ある映画祭に参加して

学生時代の友人から豊中で映像祭があるからと聞いて、参加することに。送ってもらったチラシには「第4回女たちの映像祭・大坂2009」とあり、期間は1月30日から3日間。副題は「女たちの映像を女たちで上映し、語り合い、女の文化を創ります」

会場周辺には若い青年男女が沢山いて、裏方の仕事に積極的に関わっていました。聞けば写真映像専門学校の学生たちで、この活動で「単位」がもらえるようです。映画の製作、映画祭の運営は女性。観客席には上映後の質疑応答で感想を述べたり、質問をする男性も。

アメリカ人監督の「10代でフェミニストになった私」はまさに「フェミニストってなあ〜に?」という内容でしたし、日本の「ちゃんと きいて 受けとめて」は思春期の男女生徒と先生との間での性の悩み、オランダの「ネイキッド一10代のこころと性」は思春期の体の変化についてアニメを使って明るく肯定的に効果的に伝わって好感が持てます。
ドイツの作品「女の人生のリズムとはー更年期の文化史」は「更年期は病気?」ということからスタートして歴史的、文化的視点でかなり分析的。日本人の更年期が欧州の女性に比べて軽いということに興味を持った監督が日本人女性医師数人にインタビューしています。老いることを自然に受け止め、活躍する女性がパワフルです。

「ある沖縄女性の物語」は沖縄戦を生き延びたハルコさんのドキュメンタリー。日本人監督のアメリカの大学での卒業制作作品。沖縄なまりが少し残っているハルコさんの日本語に英文の字幕がつき、監督の松本さんの英語のナレーションには日本語の字幕がつきます。これが知っているはずの沖縄の歴史を客観的に見直す作用をもたらして、琉球王国が日本に侵略されたという説明や、戦後も朝鮮戦争ベトナム戦争湾岸戦争とずっと基地の役割を果たし続けたというナレーションには、否応なく「ウチナンチュー」とは違う「ヤマトンチュー」の立場を思い知らされて一寸胸が痛みます。アメリカ人の顔をしたお孫さんが沖縄舞踊や、サンシンの弾き方を教わったりして、「私は沖縄出身」と誇らしげなのがとっても微笑ましく可愛かったです。

4つの短編をつないだ「和気あいあい?」は、こなれた感じの作品。韓国労働省では50人以上の職場で年に一度は必ずこれらを見せて社員教育に使っているという。実際のセクシャルハラスメントを取材、聞き取りして脚本を練り上げた内容。ガソリンスタンドでバイトをする高校生、非正規雇用の銀行員の話、大企業の男性社員からのセクハラの後遺症に悩む姿、そして最後のエピソードは救いがあって愉快。女性二人が中間管理職の課長の意識をチェンジ!するのに成功するお話。日本の昔の職場で「あったよな〜」というシーンが沢山でてきます。チャン・ヒソン監督のお話も堂々としていて、とても有能、優秀な方。

「おんなの言葉」はスペイン人監督の作品。ニカラグアの女性闘士二人がカメラに正対して語りつづける映像の間にそれを肉付けるシーンが挟まれる手法で、とにかく語り続ける顔と声と内容と背後に流れるラテンミュージックにただただ圧倒される。ニカラグアが何処にあるかがイメージできないくらい遠い国のすさまじい話。チラシから、「サンデニスタ民族解放戦線が政権を取った後、進歩的なはずの新政府は、人工妊娠中絶を禁止した。女性の人権や解放より教会や右派政党の立場を支持したのだ。これに対し、女性たちは独自のラジオ局を立ち上げ、女性の自立と権利を求めて声をあげはじめた。」 トーク時間で、監督のベラさんがスペイン語で質問に答えるが、とにかく見ること、聞くこと、驚くことばかり。一緒に行った友人がベラさんに直接支援の方法を尋ねたら、インターネット上で署名してほしいとのことでした。この時、プログラムの裏に書いてもらった検索のキーワードは feminist movement Nicaragva, abortion prohibition Nicaragva あるいは abortion prohibition Nicaragva FSLN

「消えた家族たちーコロンビアの記憶」も強烈な印象の南米コロンビアの作品。1984年に左派政党UP(愛国統一党)が誕生。選挙でUP党の国会議員、代議士、市議会議員が選出されるように。ところがその後20年間に2人の大統領候補者をはじめ、5000人もの党員、賛同者が殺される事態に。この作品はその虐殺の犠牲者や生存者や遺族が演劇を通して精神の回復に取り組むドキュメンタリー。演じることで癒されると同時にそれが告発にもなっているということに心を動かされます。どちらも今の時代に?と信じられない事態に驚きますが、日本にはこれらの情報は伝わらず、伝わったとしても政権側からの一方的な情報ではこれらの活動はゲリラかテロリストとして片付けられているとうい解説がありました。

さて、最後に韓国の作品「ファンボさんに春が来た」。74歳のファンボさんに5年前、識字学校で初めて字を教えたのが当時学生だった監督のチミンさん。カメラの前で自然に振舞える人間関係、信頼関係ができてからの映像化だったとのこと。

ファンボさんの日常生活が淡々と描かれる中で衝撃的な事件の告白が始まります。62歳の時、姑と夫を3日の内に亡くしてしまいます。不治の病を宣告された息子より先にと姑が毒を飲み、その2日後の夫の死。3年間、仕事も手に付かず落ち込んだ。姑がああいう死に方でなければ罪の意識を感じなかったかもしれない。でも、文字を知って心の中を作文に書いていくうちに癒され、解放されていった。自身の身の上をつづった作文で大賞をとり、今は演劇大学の学生たちから演技の指導をうけ、女性たちの生活史をお芝居にして上演。農家の労働力として嫁に行き、婚家では夫、姑に仕え、子を産み母の役割をおえて、今、一番幸せ、と輝く笑顔のファンボさん。人生のあらゆる出来事を受け止め、誰のせいにもせず、誰をも恨まず、学ぶことが楽しいと今を一生懸命に生きるファンボさんが本当に美しく見えました。こんな風に生きたいと思いました。

2度目に見たあと、会場の外の通路で、通訳の方を通して監督のチミンさんに質問しました。「ファンボさんが故郷へ帰って、昔馴染みの方に「ばあちゃん」と呼びかけているのを聞いて、私は夫の母を思い出しました。夫の実家で同居していた頃、私は義母のことを「おかあさん」とは言わず「おばあちゃん」と呼んでいました。孫からすると「お祖母さん」で、家族のみんなもそう呼ぶならわしでした。先ほど、「あれは夫の母のことです」という説明がありましたが、本当は韓国ではどう呼んでいるのでしょうか? 私は、「おばあさん」と字幕にあったので、あ〜韓国でもいっしょなんだ!と思ったのですが」と。通訳の方がとっても上手に話して下さっているのが良く分かって、すぐ同じだということがわかりました。「夫のことを『お父さん』と言ったりするのと同じで、韓国でもそうです。ただ、夫の母だということが分からないといけないので説明をしました」とのことでした。「私は韓国へ行ったことがありませんが、景色や人間関係にとても近いものを感じました。素敵な作品でした」と伝えました。

チミンさんのお話でもう一つ印象に残っているのが「ハン」ということ。何のお話でだったか定かではないのですが、「ハン」に3つの意味を持たせている。一つは、物事は始めることが大事で、始めた段階で事の半分は成っている。もう一つは世の中の半分は女性だということ。三つ目の「ハン」は、時には物事に反対という意思表示も大事だということ。どれも勇気を伴うことですが大切だなと納得でした。

映画の中でファンボさんがお墓参りに帰るところで、車窓の風景が映ります。海岸沿いの景色や田んぼの風景、苗代や田植え、日本では今は少し懐かしいようなモンスーン気候のアジアの典型的な風景。同じ気候風土が同じような考え方を生む、ということを今回いろんな国の作品を見た後で改めて強く感じました。韓国については日本より感情表現が激しくてと違いの方が大きいと思っていたのに、逆に、気性や感じ方、表情、考え方など共通するところがたくさん感じられて本当に意外でした。