「17歳のための 世界と日本の見方 セイゴウ先生の人間文化講義」

これは私がお正月に読んだ「誰も知らない世界と日本の間違い」の姉妹編、ではなくて、逆ですね。今回読んだ「17歳のための・・」が先で2006年、「誰も知らない・・」がその続編で、私の方がさかのぼって読んだことになります。

この本は、著者の松岡正剛氏が1998年、東大の客員教授を辞めて4月から、大坂の帝塚山学院大学の新設された人間文化学部で6年間、学生たちに講義した「人間と文化」をまとめたものです。帯のキャッチフレーズが「足し算の“文明”、引き算の“文化”」となっていて「大人がこっそり読んでいる」とあります。笑ってしまいました。その通りです。続編の帯は「大人は読まなきゃいけません」でした。

さて、セイゴウ先生のお相手、10年ほど前の帝塚山の学生さんたちといえば、「みんな何も知らないのです」「ブッダのことや帯のことや三味線のこと」も「伊勢神宮連歌もお手上げ」「ドストエフスキーの『罪と罰』も与謝野晶子の歌も、プラトンの理念も溝口健二の『雨月物語』も」「もう、東京裁判のことやベトナム戦争のことを尋ねる気はなくなりました」「みんなが好きなのは『お笑い』と『プリクラ』と『トレンディドラマ』でした」というのですから、ちょっと安心?でしょ! 年の功で学生さんより「一寸マシかも!」と思えるではありませんか?

そこで、神代の昔からの話が洋の東西を絡めて始まるわけです。
私が得心した説明をご紹介。日本は聖徳太子の昔から無常観=世は常ならざる=を持っていた。中国から取り入れた仏教思想のなかにそれを感じ、貴族の時代には浄土を求めて平等院鳳凰堂なども建て、ものの「あはれ」を物語にもした。貴族の時代が終わり武士の時代になると、武士は死を覚悟に戦に出る。貴族と違って、身につける兜や鎧に贅を尽くし、死に方を破裂音にして「あっぱれ」と言われるように生きた、とこういう説明がされます。
ナ〜ルほど、と納得してしまいません?

日本人の特徴として、「そば」と「ラーメン」の共存が挙げられます。蕎麦派は変化しないこと、究めていくやり方、一方のラーメンは何でもアリの世界。この両刀使いが日本人の特徴だというのです。こういう相対立する二つが同居、共存する世界が日本だというわけです。
「たらこスパゲッティ」がいい!というのですが、お分かりでしょうか?
私の説明ではチンプンカンプン?という方、是非、この本を読んでみてください!

17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義

17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義

ついでに2度目の紹介で続編も。
誰も知らない 世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義

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