アヴィニヨン(Avignon・人口約9万人)の初日 <6日目>

10日(水曜日)
ここまで、何となく4人の役割分担がハッキリしてきました。現地に行っても交渉役は夫。南仏に関してはガイドは私.
支払はFさん。F氏は決断?係り。大所高所から方角、道筋の最後の決断は1回を除いて正しかった。

今回の旅行は、待ち切れず2度のツアーを体験していたMsFさんには関空で最初に会ったとき、「ツアーは大変。今回のオンブに抱っこの自由な旅を楽しみにしているのよ」と言われました。私は3度の海外旅行の最初の2度が相棒Eさんとの自由旅行(93年のイギリス滞在型、96年のスイス、ベルリン、ウイーンの放浪型)、01年のWさんとの中欧旅行はトラピックスのツアーでした。今回の計画は、海外夫婦旅行の大先輩にたくさんのヒントを頂いて考えたものですが、ここまでは皆さん大変喜んでくださって良かったな〜と思いました。が、これから先がちょっと不安。

今から考えると、ニース4泊、3日間がゆっくりしすぎ。アヴィニヨンをもう1日増やせば、ゴッホの終焉の地、サン・レミ・ド・プロヴァンスに行けるのに。私だけならアルルよりこちらを優先するのですが、もうルノワールセザンヌで十分引っぱりまわしているので、諦めようと思いました。昨日トヨタを運転していた日本人女性ガイドにも訊いてみたら1日でアルルとサン・レミ両方は一寸無理のようだし。世界遺産ポン・デュ・ガール古代ローマ水道橋もFさんにそれとなく聞いてみましたが、行っても行かなくてもということで、とにかく計画、予定、ガイドは私にお任せでしたので、切り替えて、MrFさんの希望のコンサートを入れてアルルのみにとここで決心しました。

予算は1人1月1万円で思いがけずの41か月分。これを全部一括で4人で使うことに。関空で一部現金をユーロとスイスフランに換えて、残りはカードで支払うので銀行に置いたまま。個人のお土産代のみ個人裁量。共有現金の半分は私も預かりましたが、ややこしい支払は私には不向き(ガイド役も忙しいし?)なので途中からスッカリFさんにお任せ。帰国後、まだ私たちの方は時差ボケでボ〜としている頃に早速詳細な会計報告が届いて二人でビックリしました。お土産代も含めて黒字になっています。
アヴィニヨンで3泊したオテル・ド・ガルランドは「地球の歩き方」に紹介されていました。「旧市街の中心の趣ある路地に建つ。時計台広場まで徒歩2分でありながら、とても静か。プロヴァンス風内装がかわいらしい家庭的なプチホテル」、そのまま。素敵な笑顔の女性オーナーが片言の日本語でお出迎え。今年3月にミシェルさん(前のオーナー)から買い取ったんだそう。「地球の歩き方」を見て、と予約の時に言って確認すれば2泊目から10%びきになるのですが、夫は予約時には知らなくて、2日目の受付の男性に交渉してみたらOKでした。精算時に大丈夫か?というと「明日は奥さんが当番だから大丈夫」とのこと。この男性、女性オーナーの夫君だったよう。わが夫は出迎えの時のヴェロニク・フレスキ(Veronique Fresquet)さんの明るい優しい笑顔のお出迎えから、ホテルの雰囲気、清潔なシンプルさが飛切りのお気に入り。狭い階段を重い荷物を持って自力であがらないといけないのは問題じゃないとか。つくづく、ここを4泊3日にすればよかった…と。
さて、さて、アヴィニヨンの初日です。
7時半、まずパン屋探しです。私ならプロヴァンス風にセットしてあるホテルの食堂の朝食を初日くらいは利用するのですが、男性陣は朝から元気。
パン屋探しとカフェ探し。今度は中央市場へ。建物の前面、全面、垂直緑化してあるビル。ある、ある、なんでもあります。ここへきて初めておいしいと思ったオリーブの漬物を手に入れて、お昼のパンに果物。ホテルに一旦戻って、9時15分出直し。

今度はインフォメイションへ先によって地図をもらって、お得だというアヴィニヨン・パッション(2か所目から入場料割引)を手に入れ(各見学先で入手可)、ついでにF氏にはコンサート情報も聞いてもらう。今日はやっていないみたい。前の通りがレピュブリック通りというメインストリート、立派な市庁舎と劇場のある時計台広場の真ん中にはメリーゴーランドがある。取り囲むように思い思いの色のパラソルが立ち並び、カフェとなり夜は食事が。昨夜はここの一つで夕食だった。時計台広場の奥の細い道を抜けると広々とした広場にでるが、ここが目指す法王庁広場。視界の先に思いがけないほど壮大、広壮な法王庁が。その奥には教会の鐘楼の上に金色に輝く聖母像が見える。これが12世紀の建物ノートルダム・デ・ドン大聖堂。
法王庁宮殿は1334〜52年にかけて、二人のローマ法王が建てた宮殿で、面積1万5千、高さ50メートル。入口に並んで入場料金を払い日本語のオーディオガイドを受け取る。この説明が懇切丁寧、観光客には詳しすぎるほどの濃い内容。しばらく聞きながら進むがとても歩きながら聞く内容ではなく、皆ベンチに座って聞いている。外人さんたちもそうだから詳しいんでしょう。このまま聞いていると法王庁だけで日が暮れそう。途中で端折りながら進むことに。創建者のベネディクト12世が建てた北半分の旧宮殿。後継者のクレメンス6世の建てた南半分の新宮殿。修道士出身のベネ法王は質実剛健、贅沢好みの貴族出身のクレ法王は華麗な宮殿風だったとか。その贅沢な家具、調度、彫刻類はフランス革命時に売り飛ばされたり、壊されたりし、その後宮殿は長く兵舎として使われたという。でも、礼拝堂に残るフレスコ画や、小さな鹿の間のフレスコ画は素晴らしく、小鳥や草花がモチーフとなっていて、お土産物のスカーフやハンケチの柄に使われていた。往時の華やかさが窺える。立派なタペストリーが石壁に飾られて権威や装飾、あるいは暖房の役目を担っていたでしょうに焼けてむき出しの壁面だけでした。床下に金庫室があり、小銭や金貨が散らかっていました。法王とは、宗教的な意味でのトップと同時に政権トップでもあって当時はあらゆる権力がここに集中していたにちがいない、と思わせてくれます。                (法王庁を支える岩盤)    
屋上テラスに上がってみますと、町中が見渡せます。ローヌ川にかかるサン・ベネゼ橋も。今度は有名な「アヴィニヨンの橋」へ。
城壁の外へ出るので、下って行くうちに、プロヴァンス風の生地屋さん(「Le Lavandin」)に出くわして立ち寄る。道の突き当たりの静かなコーナーにあるお店で、店長さんは男性。自らミシンを踏みながら客の相手。日本語もお上手でした。バス道に出ると一面ラベンダーを植え込んだ場所が。これは写真用に植えられたよう。バスから降りて低い位置でカメラを構えている外人さんもいます。私たちも中に入って記念写真。

さて、こちらも入口は込み合ってきました。「地球の歩き方」から引用しようとしていますが、オーディオ・ガイドもそっくり同じことを説明してくれていました。「アヴィニヨンの橋で踊ろよ、踊ろよ・・・」の歌で世界中に知れ渡った橋。1177年から8年の歳月をかけて造られたこの橋にも伝説があることを初めて知りました。「ベネゼという羊飼いの少年が、神のお告げに導かれて、橋の建設を決意した。大人の男が30人がかりでもビクともしなかった岩を、神がかりになった少年が一人で持ち上げ、川に投げ込み、橋の基礎にした。それを見て感動した群衆が、橋の建設費用を次々と寄付した」というものです。

「フランスって、ジャンヌ・ダルクといい、神のお告げとか、神がかりの話が多いよね〜」「ちょっと怖いとこもあるよな〜」とみんなで感心。
跳ね橋を渡って橋の上に立ってみると、見るだけで行かなくってもと思ったのが恥ずかしくなるくらい素晴らしい!! 石造りの橋の存在感とローヌ川の真ん中に立って見渡す景色! 先ほどの壮大な法王庁の全景(といっても上の部分)が小さく見えるくらい。これは来てみてよかった〜
創建当時は、長さ900m、22のアーチがあったそうですが、戦争やローヌ川の氾濫で何度も破壊され、17世紀以来修復は打ち切られ、現在は、4つのアーチと中ほどにある小さな礼拝堂を残すのみ。

橋のたもとにテーブルとイスが置いてあるパティオ(中庭)があり、そこで朝仕入れたパンと果物と飲み物で昼食。私たちの他にも1,2組。静かな時間。
ここにも夾竹桃と松が見える。 =劇場
帰りは広場の劇場へ直接寄ってコンサートのチェック。今日はやってないが、明日、バーンスタインベートーヴェン、それも9番とか。夫は旅先で9番みたいな重たいモンを・・・と乗り気じゃない様子でしたが、「何も大晦日に聞くばかりが9番じゃなし、いいんじゃない」と私は賛成。入口の受付の人だかり。覗いてみるとオーケストラのリハーサル中の中継映像でした。明日のリハーサルをやっていました。これで明日の夜は8時半からコンサート、きまり。一番料金の高い席と安い席が残っていたので、安い方にした、というのですが、これが大変でした。

ともかく、アヴィニヨン初日の観光は終わり、2時半ホテル着。休憩です。