ゴッホのアルルを訪ね、夜はオーケストラのコンサートへ(11日・木曜日) <7日目>

時計のついたポールが真ん中に立っている小さな広場に面した角にあるカフェでクロワッサンとコーヒーで朝食。
9時、ホテル出発、アヴィニヨン・サルトル駅へ歩いて。9時49分発、20分足らずでアルル着。自転車を持ち込んでいる女性に教えてもらってあわてて下車。駅のインフォメイションで地図をもらって歩き出す。
帰りは2時16分の電車でアヴィニヨンに戻る予定。

円形闘技場

駅から真っすぐの道を歩き出すと右手に大きな白い石のライオン像が2頭、あらぬ方角を見ている。大工事中のよう。
そのまま真っすぐ歩くといきなり石造りの巨大な円形闘技場が見えてくる。いかにもローマ時代の建造物。立派なのに驚く。
高い階段の上にまだ聳えている感じ。ワクワクしてくる。中に入ると立派、立派。階段式の通路を上って最上階まで。改めて闘技場の大きさを感じる、そして、アルルの町が見渡せる。闘技場の周辺を取り巻く通路の幅の広さにも驚く。石灰岩の大きな石を切り出して作ったのがよくわかるが、その石の角がとれて擦り減っている。修復作業が進行中だ。「ローマ時代、2万人以上の観客を集め、血なまぐさい闘技が行われた。あらゆる階層の市民が訪れたが、決して身分の違う者同士がすれ違うことがないように工夫されていたという。直径の最も広い所で136mと、フランスで最大の闘技場」だそうだ。
今でも、復活祭から9月までの間、闘牛がみられるとか。まだ、闘技場として現役なんですね〜

古代劇場
入口で闘技場と共通券だからフリーで入ってよいと言われた。「紀元前1世紀末に造られたこの劇場、当時は1万人もの観客を収容したという。」大理石の円柱が二本だけ青い空に突っ立っていて、その横には柄のはっきりした大理石の柱の根元部分のみが残っている。ここも、もうすぐ観光シーズンの盛りを迎えて何かに使われるようで、ステージが作ってある。早速男性二人は一人づつステージに立ってオペラ歌手よろしく数節、朗々と歌い上げるパフォーマンス。正面の石の座席で私たちは拍手喝采。他には、だ〜れもいない。「中世には、アルルの都市づくりのために、ここの大理石の柱や彫刻などが使われたという」。それで、あちこちにゴロゴロと石柱の欠片や寸足らずの石柱が無造作に転がっているのか。そこにも夾竹桃が燃えるように咲いて。

サン・トロフィーム教会]
レピュブリック広場にある大きな美しい教会。アーチ状の正面入り口(ファサード)の彫刻は「最後の審判」図が描かれているとか。分厚い木の扉の中に入る。


これから先がわからず迷いに迷った。古代フォーロム地下回廊を訪ねようとしたのだが、どの地図をみても行きつかず、同じ場所に戻ってくる。あちらの通路の先にどうもゴッホのカフェらしきものが見えてきたので、つられるようにそちらの方に歩きだす。やはり、そうだ。客引きの人もいて、すでに腰かけている東洋人の一行も。結局、座ってビールとジュース。お腹が空いていないのでサラダを一つ。出されたサラダを見て、一つで正解!と思った。とにかくパンまでついてドッサリの量。そうそう、「ヴァン・ゴッホ・サラダ」って言ってましたっけ、お店の人が。黄色いテントのお店の真横に別のお店が出っ張っていて上手に撮れた写真は1枚もなし。
さて、どうも教会の広場に面した建物の中に地下回廊があるらしいが2時までお休み。あきらめることに。
不思議なことに、「Hotel de ville」と書いてあるので「ホテル」かと思っていたが、どうも「市庁舎」のことらしい。アヴィニヨンにもオペラ劇場(今晩コンサートのある)の隣が大きな古い建物で、やはり「HOTEL DE VILLE」とデカデカ書いてあるがフランス国旗がかかっているし、地図には「市庁舎」とある場所に建っている。フランス語がわからないので「HOTEL」を「ホテル」と思い込んでいた。

夫はアルルに来れば「アルルの女」に会えると楽しみにしていたが、それらしき女性には出会えない。今度はエスパス・ヴァン・ゴッホへ。ここはゴッホが入院していた病院をゴッホのアルル移住100年を記念して文化施設にしたもの。図書館などの施設のほかに、ゴッホグッズが沢山売られている。複製画や絵葉書ももちろん。ここはお休みではなくやっていました。真中にはゴッホの絵を元に復元された花壇が花盛り。ゴッホの絵のパネルもたっている。

迷っている時に建物の真ん中に古代遺跡を残した変わった建物があったのが「アルラタン博物館」で、「ここの女性職員が民族衣装で迎えてくれる」と書いてある。残念なことをした。帰る時間を決めているのでアルルはここまで。帰り道、Fさんたちはプロヴァンスのテーブルクロスを見たり、お土産探しに余念がない。私はルノワールのアトリエやセナンク修道院で買ったし、テーブルクロスはアヴィニヨンの橋の所で手に入れたので、ここでは冷やかしのお客さん。地図を見ると、ローヌ川沿いの道でも駅へ通じている。そちらへ廻って見ましょうと、河岸へ。土手の上が道になっているのでここを歩き出す。   Fさんが、「ライオンが見える! 橋の工事中〜!」と大発見!! 最初に見たライオンはローヌ川にかかる橋の両端の巨大イメージキャラ? どうも、橋げたがまだ一本もないので、どういう橋になるのか分らないが、護岸工事と橋の建設とをやっているらしい。「今度来るときは完成しているかも」、「私たちが行ったときは工事中だった」と話ができるね、なんて言ってるうちに駅に到着。予定時間に少し余裕があるので、ベンチに座って、Fさんが洗ってビニール袋に入れて持ってきたというスモモを食べることに。みずみずしくって甘くって本当にフランスのスモモはオイシイ!! 

アヴィニヨン・サントル駅から見た城門。
もう一度アヴィニヨンの街中のホテルに戻ったら3時前。
今日は夜コンサートなので、早めに夕食を。アヴィニヨンとこのホテルの最後なので2度目のルームパーティ。
それまでにシャワーと洗髪。3階(実は2階、1階はグラウンドフロアーと呼ぶので)のFさんの部屋はやはり大きくて、私たちの部屋のテーブルの代わりにソファがあるので、今回もお世話になることに。部屋の色はガラッと違ってブルー系。カーテンはブルー地に小花柄。それぞれ内装が違うんだ〜。
メニューは市場で買ったオリーブ、パブリカやトウガラシや他の野菜と漬け込んだオリーブがとってもおいしかった。パン屋のピザもサンドウィッチもチーズもとってもおいしい。持参のお箸が役立った。
着替えて、8時前にオペラ劇場へ。
歩いても2,3分。すでに大賑わい。チケットを見せると地下への通路を案内される。一度下ってあとは上って上って最上階まで階段を上り続ける。昨日の夜が涼しかったので、今日は少し着込んできたのが大失敗。安い切符は天井桟敷の最上階から二つ目の席。暑いの何のって、汗が噴き出してサウナのよう。さすがの私も1枚づつ剥ぐように脱いだ。黒い半袖のTシャツを下着代わりに来ていたので、それ1枚に。ネックレスをつけてきてよかった。何とか誤魔化せるかな〜 みんな持っている人は扇や扇子(Fさんはバッグにいつも入れていたのでと)でパタパタやっている。ステージは奈落の底のように見える。

楽団員が入り始め、いよいよ指揮者、Jonathan Schiffman登場。一礼後フランス語でどうやらバーンスタインについて生誕何年?か没後何年?とか言いながらかなり長めのトークがあって、演奏。曲名は分らなかったが、優しい曲調でメロディが懐かしいような美しい曲。きれいに髪の毛を編んだ黒人のカウンターテナーがソプラノで歌った。20分ほどの休憩。93年、ロンドンで当日券で「オペラ座の怪人」を見た時も天井桟敷だったけど、アイスクリームが食べられた。今回はじっと待つことに。席を立った夫は、堪りかねて一旦外にでたそうだ。外に出てくる人が大勢いたらしい。私はハンカチで汗をふきふき我慢。

いよいよベートーヴェン交響曲第9番。オーケストラの編成も先ほどより大きくなって、フルートや管楽器もうんと増える。
途中、合唱の入る楽章の前でコーラス200人ほどがしずしずとオケの後ろに階段状に並び、最後に4人のソリストが入場。
最後の楽章の全員の演奏が終わるとブラボーと拍手の嵐。私も、私たちも、拍手、拍手、15分ほど続いたでしょうか。

指揮者が一人一人立たせてアプローズをうけさせると、やはり、ティンパニーのおばちゃんとフルートの両腕ムキムキのおばちゃんに、ひと際大きな拍手と声援が飛びました。ティンパニーは指揮者なみのリーダーシップで演奏を引っ張っていました。この人の全身で奏でるリズムが素晴らしかった!
オケのコンサートマスター役は女性、美しい女性のコンサート・ミストレスだったし、コーラスは女性が多いし、ティンパニ−とフルートの女傑二人も加えて女性上位の演奏でした。暑さも、(演奏の)熱さにふっとんでしまいました。
F氏も、グンゼの下着だから脱ぐわけには、とお行儀よく長そでシャツを折り曲げたまま最後まで我慢されていましたが、「いや〜よかったね〜!天井桟敷も音の点では遜色なかった。よかったね〜」と大満足。乗り気でなかった夫の拍手が又一段と大きく響いていました。

日本なら師走、大晦日に聞く第九ですが、今日、旅の途中で、汗だくのサウナの天井桟敷で聴いた第九はそれだけ印象深いものになりました。

アヴィニヨンの夜が終わります。