ちょうどNHKの番組の感想を下書きしていた昨夜、久しぶりにSさんから電話。まずは私の南仏・スイスの旅行の話になり、ブログで読んだとのこと。彼女もあちこち旅行をしているので、ヨーロッパの話に。結局、ヨーロッパって、ローマ帝国の遺物?があちこちにあるのよね〜。イギリスにも有った。バース。テムズ河を上って、シティ(ロンドンの金融の中心地)まで来たんだって。名だたる観光地はローマの遺産で食べてるような。そうね、中欧に行けばハプズブルグ家だし・・・
一寸乱暴な言い方かもしれませんが、実感!です。
ところで、その彼女が「元貴族で日本に住んでいるベニシアさん、知ってる?」と。「知ってる。京都で古民家に住んでガーデニングやっている人。テレビで見た。」「ハイビジョンで今やってる。今日、最終回」「じゃ、今から見る」
最終回でまとめに入っているような内容で、ベニシアさんが16歳で何のために生きているのかわからない生活を捨てインドに行ったこと。そこから日本にたどりつき、日本に居場所をみつけたこと。同じように、若い時に聴いた尺八の音色に土の匂いを感じ、それを求めて日本に来て、尺八奏者として生きているドイツ人の生活も紹介されました。日本人の奥さんと美山に移り住んで、そこで畑仕事も田植えもしているという。
Sさんが言っていた石の文化に対する日本の木(水・土)の文化。乾燥と湿潤。永遠と移ろい(虚ろ? 儚さ?)
西洋文化への憧れは日本に定住しているからこそだとすると、西洋の人たちが東洋に憧れるのも同じなんでしょうか? 昔は日本文化に憧れて、日本に住み、日本人以上に日本人的な外国人を「ヘンなガイジン」と呼んでいた時期がありました。フランソワーズ・モレシャンさんとか大阪弁でいま和歌山に住んでいる女性とか、山形弁の上手な男性とか。黒姫山を買ったC・W・二コルさんもいますね。こういう人たちの言動を見ていると日本再発見的な驚きがあります。
私は小さな庭で草花や木の花を植えたり(枯れさせたり?)の庭いじりを楽しみにしています。最初はイングリッシュガーデンに憧れていました。
しかし、植木屋さんが作った石の囲いや父が大昔、梅田の阪急百貨店の屋上で買って来た椿が植わっている日本風の庭にはシックリいかず、鉢植えのいかにものハーブやらあちらの草花をやたらに置くだけの庭いじりでした。いつまでたっても全く思い通りにはならないし、どう見ても美しい庭には程遠い。
ある時、気づきました。そっくり変えてしまう事が出来ないなら、今あるものを活かすしかない。石囲いも椿も活かしてと考えると、花や花の咲く木の種類も和風で、あるいは洋物でも和風と違和感なく調和できるものをと考えて苗を選ぶようになりました。一番良いのは昔ながらの花たちです。アジサイ、グラジオラス、桔梗、立ち葵、芙蓉、シャクヤク、ツワブキ、ギボウシ、など、どれも丈夫で違和感がありません。ベニシアさんや宝塚の植物園を手がけたというポール・スミザーさんの考え方です。日本には日本の気候や風土に合った植物がある。それを活かして庭造りを考えるという提案です。
憧れを実現するにはその場へ行くことが一番。居ながらにしてというのは無理がある。
夢を移植するにはよ〜く考える必要があるということを庭作りに教えられました。