貴志康一とベルリンフィル

8月22日土曜日、午後二時から、高槻現代劇場のレセプションホールで演奏会がありました。
案内は6月頃に戴いていたのですが、間際になって「行けそう」ということで連絡を取ったらお二人OK。
私たちのお知り合いの娘さんがオランダ在住のヴァイオリニスト。王立オーケストラの団員と聞いています。
毎年、夏休みに2ヶ月ほど帰国され、その間に日本で演奏会をされます。

今回はタイトルがあって<ヴァイオリンと歌で語る「夭折の音楽家 貴志康一物語」>というテーマが。

貴志康一。(1909〜1937)
97年に、ザ・シンフォニーホールであった「大阪芸術大学定期演奏会」のチケットを友達に譲ってもらった事がありました。この時は、貴志康一の「没後60年記念」として、演奏会のトップに大管弦楽のための「日本組曲」から「淀の唄」「花見(Sakura)」の2曲が演奏されました。またプログラムには「午後6時45分より指揮者小松一彦氏、その他による貴志康一に関するプレトークがあります」と書かれていて、貴志康一のご遺族の方たちがステージに上がってご挨拶されました。滝廉太郎以外に、それも、関西出身者で、明治生まれ、ドイツ留学、昭和初期にクラシック音楽で日本人が活躍していた人として音楽雑誌などでは知っていた名前でしたが、演奏を聴いたのはこの時が初めてでした。

さて昨日は、平土間のホールにパイプ椅子を100席ほど並べ、正面にグランドピアノが置いてあり、後ろの方から出演者が入場、そのままハンドマイクを持って、挨拶を始め、マイクをヴァイオリンに持ち替えて演奏に入るというスタイル。演奏の前後に貴志康一の「幼少時代、家庭環境、神戸の亡命音楽家たち、留学」が語られ、「船出」で今日のメインの曲「竹取物語」のヴァイオリン演奏で前半終了。

休憩をはさんで後半は、当時流行っていたリヒアルト・シュトラウスの「あした」という歌曲から。貴志康一の「ジュネーブからベルリン、指揮と作曲に転向」と語りは続き、曲は自作の歌曲・スペイン女や漁師の唄。最後は不幸が続き、康一自身も盲腸から腹膜炎を起こし、1937年28歳で帰らぬ人に。その早すぎる死を悼んでモーツアルトのK339より「主を讃えよ」のヴァイオリン演奏で終わりました。ピアノと優しいヴァイオリンの音色にソプラノが加わると華やかでなかなかいいものでした。
ところで、貴志康一は自作曲19曲をベルリンフィルと録音し、当時のベルリンフィルの指揮者フルトヴェングラーとも親交があったとか。
1929年には1710年製のストラディヴァリウスを購入しているとも。
ベルリンフィルと言えば1887年創設の世界的オーケストラ。指揮者も名だたる名指揮者が。フルトヴェングラーのあとはカラヤンが1955〜89まで、その後はイタリア人のアバドが1990〜2002まで、その後イギリスのサイモン・ラトルに引き継がれています。

写真は1996年に指揮者フランツ・ウェルザー・メストのベルリン・フィル・デビューを聞くために出かけた時のベルリンとブランデンブルグ門。今、ベルリンで開催されている世界陸上のマラソンコース、そのスタートとゴールがこのブランデンブルグ門ですね。当時は、旧東ベルリン側では道端にベルリンの壁のかけらを土産物として売る人がまだいました。連れの彼女は、頼まれているので本物かどうかわからないけどと買い求めていました。
次の写真は、下のがフィルハーモニーの周辺、上のはその外観。ベルリン中が”UNDER CONSTRUCTION"の幕が張られて文字通り「工事中」でした。サーカスのテントのような黄色い建物の中のホールは、どこよりも親密な感じのするコンサートホールでした。客席からのステージの高さも手が届きそうな感じで、客席がステージを取り囲むようにデザインされて自然に演奏に集中できるようになっています。 写真の指揮者はお目当てのメスト氏ではなくて、代役のイギリス人。ダニエル・ハーディングです。
指揮者ウエルザー・メストの最初の海外公演追っかけは63年のロンドンで、このときは、本人、盲腸の為代役。今回は2度目でした。写真のだぶだぶのフロックコートを着た少年のような指揮者ダニエル君は、この年、22歳でした。
私たちが32歳のメストさんを見つけたのは、日本で、1992年、テンシュテット率いるロンドンフィルの公演でテンシュテットが体調不良で帰国した後、代役で指揮棒を振った演奏、ベートーヴェンの「運命」をたまたまNHKが録画中継、東芝EMIが録音し、それが世界に伝わるというラッキーなデビューでした。その後ロンドンフィルの音楽監督に。過激に改革をやりすぎたせいか、楽団員とうまくいかなかったとかで、一期で辞めて、チューリッヒ歌劇場へ。96年、いよいよベルリンフィル・デビューという話だったのです。私たち2人は、チューリヒのオペラ観劇を前々日に済まし、ベルリンへ移動したのですが、後で団員の方に聞くと、今回は、リハーサル中、風邪で耳が聞こえず、交代。今度は、自分が若者にチャンスを譲る役回り。私たちは泣く泣く、数年後には世界的な指揮者になるダニエル・ハーディングベルリンフィル・デビューを目撃することになりました。
因みに、ウエルザー・メスト氏の方は、ウイーンフィルの小澤征治さんの後任に決まっています。92年に「発見」した時からの夢・当時から一部ファンや批評家の共通の夢、久しぶりのオーストリア出身の音楽監督が、再来年には実現します。

ところで、ベルリンフィルと日本人といえば、貴志康一の時代から離れて、最近となれば、もう、安永徹さんですね。
1983年から今年2009年の3月まで、日本人初めての第1コンサートマスターを務めていました。ベルリンフィルの演奏を見て、コンマス席にこの方がおられると、何となく安心、かつ誇らしく思いました。今年で終わりか〜と思っていたらビックリするようなニュースが飛び込んできました。
樫本大進、第1コンサートマスター内定」!!?? 
樫本君といえば、ロンチボーで17歳、最年少で優勝というニュースで覚えていますが、少年でしたよね〜。
調べてみたら、1979年生れでまだ30歳! ベルリンフィルも思い切った人選をするもの…と思っていました。
ところが、先日、ご本人のインタビュー記事か何かで、かなり厳しいオーディションと審査、最後は団員との面接や演奏まであったそうで、どちらも本当に本気なんだと判りました。樫本さんの場合は国際的な教育を受けていてその上の日本人資質というので鬼に金棒的なケース。
安永さんに代わっての樫本大進コンマスベルリンフィルも楽しみですね。