日本を考える:宮台真司著「日本の難点」を読んで

今朝8時に選挙を済ませてきました。出足が良いのだろうと思います。
名前を書くブースというのか、囲いが間に合わなくて、順番待ちをしていました。
その後、息子が行った時も、「選挙で行列は初めてや! エエこっちゃ!」と言ってましたので投票率は上がりそう。

昨日、息子との会話で、「最近の若い子(20代)は投票したことないと平気で言う。
大人として「恥ずかしい」と思うてへんのが分らん。最近は、選挙に行かんのが普通やて〜」と、
30代の若者?が、今時の20代の気が知れんと、嘆いています。
選挙に行かない理由が「行ってもどうせ変わらへん」ということらしい、とか。その結果が、こうだったわけですね。

さて、選挙を控えた今週、本屋さんで新書を見つけて、読みました。

日本の難点 (幻冬舎新書)

日本の難点 (幻冬舎新書)

著者の宮台真司さんは、1959年生れ。私は小林よしのりの「戦争論」の頃に、アンチ小林の宮台氏の名前と考えの一部を知りました。

今回の幻冬舎の新書、朱色の帯には「12万部突破! −人で「日本の論点」をやってみました。 これは救国の書です!!」とあります。

私は新聞の書評欄で興味があったので、読みたいと思ったのがきっかけです。
読んでみて、相変わらず?難解な言葉使いと理屈について行けない部分もありますが、解りやすいところは納得できました。

「あとがき」に動機が書いてあります。「日本が抱えるあらゆる問題を包括的に関連させて論じた、しかも一人の著者が書いた本ならば、読んでみたいと」思うようになったこと、その理由は「一つは、経済や政治や宗教や性愛や教育を一人の著者が串刺しにして論じ、かつ時事的性格を帯びた本がなく、これでは人々を「世直し」に適切に動機づけることができない」のと、「もう一つはニーズです」ということです。

宮台氏は、大学やカルチャセンターで若い人たちを相手にしていて、こう分析します。「経済状況が悪化し、包摂性を欠いた社会の中で、特に若い人たちが困窮する今日、彼らの学問的関心の行方については二つの仮説があります。第一は、学問どころじゃないと遠ざかる可能性。第二は「どうにもならないのだから」と腰を据えて不動点を見いだそうとするという可能性。」 宮台氏は「ここ一年の動きで完全に結論が出たと感じました。 そう。 圧倒的に後者なのです。」という具合で、この本では、日本の厳しい諸問題が最後には楽観論で書かれています。


第一章 人間関係はどうなるのか(コミュニケーション論・メディア論)
第二章 教育をどうするのか(若者論・教育論)
      例えば:いじめ、モンスターペアレンツやクレーマー対策、人の死、早期教育、など。
第三章 「幸福」とは、どういうことなのか(幸福論) 
      例えば:「自分だけ幸せならそれでいい」のか、日本人にも分る「宗教」とは、など。
第四章 アメリカはどうなっているのか(米国論)
      例えば:アメリカに守ってもらうために、対米追随は仕方ないのか、どうして、日本の政治はダメになったのか、など。
第五章 日本をどうするのか(日本論)
      例えば:秋葉原殺傷事件は格差社会グローバル化のせいか、現代日本の民主主義は信頼できるか、など。
          

賛成できない意見や解決策や考えもありますが、最後のところで納得でした。
「日本の立て直しを考える場合、柳田國男を参照することが重要だという結論に至らざるを得ません」を読んで、「なんで〜?」という感じがするほど意外で唐突でしたが、読んでみて納得。

日本人が社会を意識する上で、「宗教でも、階級でも、伝統でも、血縁でもなく、家筋へのこだわり、農村共同体的なつながり、それを生じる風景観や国土観が日本にはある。」 そこで、農業の問題が出てきます。これは政治、経済との、そして、安全保障との問題が関わってきます。そして最後の論点、「結局、社会は変えられないのか」に入ります。結論まで書いてしまうとイケマセンので、ヒントを。「スゴイ人」が必ず出てくる。その「スゴイ人」の不合理な感染力が社会を救う。「本当にスゴイ奴に利己的な輩はいない」「東大でも霞が関でも一番優秀な連中は軒並み利他的だ」と。

読み終えて、安心しました。宮台氏の言っていることは、昔から、永六輔さんや、井上ひさしさんが言っていたこと、あるいは、言い続けておられることです。日本の共同体的なつながりは風土が生み出したもの。農業、米作りを通して日本の山村の景色が生まれている。それと切り離されて社会を意識する術(すべ)を日本人は持っていない。
読み終えたあと、私はなぜか、文部省唱歌の「ふるさと」[作詞:高野辰之)を思い出しました。この歌は、お年寄りのサロンなどでもよく一緒に歌うことがありましたが、声を合わせていると、鼻の奥の方がツンとしてきます。



 1.兎追いし  かの山     2.如何にいます 父母    3. こころざしを 果たして
   小鮒釣りし かの川       つつがなしや 友垣      いつの日にか 帰らん
   夢は今も  巡りて        山は清き ふるさと       雨に風に  つけても
   忘れがたき ふるさと      水は清き ふるさと       思い出ずる ふるさと  


「ふるさと」が、生まれ故郷であっても、育った地域であっても、あるいはグローバル化の今日、日本であっても、
その故郷が無くなってしまっては、心のよすが(縁)も無くなって当然。
愛郷心も、愛国心も、立身出世(=自立)の志も生まれてこないということ。

日の丸も「君が代」もいいですが、郷土愛を抱き続けることを支えるリソースがどんどん枯渇していく事態をこそ愛国者パトリオット)は憂うべきではないでしょうか。実際、こうしたリソースを枯渇させた政策的失敗がもたらすアノミーを糊塗すべく、統治権力によって国旗国歌がもちだされるのではないでしょうか。        < 第五章 日本をどうするのか >の「結局、社会は変えられないのか」より