[沈まぬ太陽」

昨日の月曜日、「沈まぬ太陽」、観てきました。

山崎作品は、「白い巨塔」、「華麗なる一族」、「大地の子」も、そして、現在テレビで放送されている「不毛地帯」も、私は原作を読んでいないのですが、「沈まぬ太陽」だけは、ハードカバーの時に仲間内で回し読みをして読んだ作品でした。原作を読んで映像化されたものを見た時に感じる物足りなさには一寸ガッカリすることが多いのですが、この「沈まぬ太陽」は違いました。

小説の方は叙事詩的ないわゆる大河ドラマ式の時系列で語られていたと思いますが、映画はいきなりアフリカのシーンから、又いきなり空港のシーンから航空機事故、そして組合の争議シーン、と現在と過去、場所も東京、大阪、アフリカと、複層的、重層的に絡んで自在に行き来し、最初はとまどいますが、やがて大きなドラマに収れんして3時間半近い時間の長さを感じさせません。

クライマーズ・ハイ」でも御巣鷹山の事故現場がリアルに再現され驚きましたが、この映画はそれ以上の克明な復元作業であの年のあの事故が再現され、私は自分にとっても忘れられない1985年を一気に思い起こしました。お盆で妹たちが帰省していて、甲子園の高校野球が始まる頃でした。夕方、日航機が行方不明というニュースが入り、そして悪夢の520人の最悪の事態。それからというもの航空評論家の「ダッチロール」とか「圧力隔壁」という言葉をどれだけ聞き続けたことでしょう。近くの千里の葬儀場では連日犠牲者の葬儀が行われているという噂でした。

あの当時でさえ、御用組合が出来、社員の分断が図られ、遺族会もツルませてはいけない、という考えで、4つの組合があったことになっています。渡辺謙が演ずる恩地元と三浦友和演ずる行天四郎の2人の生き方は会社勤め、あるいは大きな組織で働いたことのある人間なら誰しも経験したことのある生き方だと思います。あるいは、恩地、行天、2人の生き方はその二つの生き方の間を迷い悩んだ経験がある人たちや、あるいは今その渦中にある人には、とても身近で象徴的な生き方だとも思えます。「アカ」攻撃の懲罰人事で、職場でイスと机だけを与えられて晒しものになる元組合の活動家(香川照之)の最後、一寸の虫にも五分の魂というような最後の行動が救いとも取れ、ドラマの収束のポイントにもなっているのですが、現実にこういうことがあったのかは? 虚実ない交ぜの山崎ワールドです。 
「国見(石坂浩二)さんがやめはったら、また暗黒時代に戻る」という遺族のセリフがありましたが、事故後の改革が2年で元に戻り、その後が今につながって、組合は8つになっています。

個人の生き方を通して、家族との関わり、友人、仲間、会社、国家と大づかみに時代を切り取って腑わけしていくような山崎豊子氏の変わらぬ情熱と迫力が映画からもストレートに感じられ圧倒されます。どの俳優も演じる役割に関わらず静かな力演、熱演が伝わります。折しも、鳩山首相が国会で所信表明演説を2時から始めていました。冒頭、20分ほど聞いて夫と車で映画館へ向かったので、帰ってから夕刊と7時のニュースで52分の異例の内容であったことを知りました。

この8月に政権交代が実現していて本当に良かったと思いました。この映画が企画された頃は政界の予測は困難で、おそらく、この映画は事故当時とその後を担当した責任政権(政官財)を告発する役割を果たしていたことでしょう。でも、現実は一歩前進していて、国交省はすでに日航の見直し再建に取りかかり始めるところです。それでも、事故後24年の歳月ですし、「沈まぬ太陽」発表後10年です。

 夕刊には所信表明演説の全文が掲載されました。
「・・・しかし、市場にすべてを任せ、強い者だけが生き残ればよいという発想や、国民の暮らしを犠牲にしても、経済合理性を追求するという発想がもはや成り立たないことも明らかです。・・・・
鳩山内閣が取り組んでいるのは「無血の平成維新」であり、官僚依存から国民への大政奉還であり、・・・・
これまで量的な成長を追い求めてきた日本が、従来の発想のまま成熟から衰退への路をたどるのか、それとも、新たな志と構想力をもって、成熟の先の新たなる飛躍と充実の路を見いだしていくのか、今、その選択の岐路に立っているのです。・・・・・」