マイケル・ジャクソンの「This Is It」

昨日、電話で「日本辺境論」のことでお電話を頂いて、しばらく話していたのですが、「”This Is It”、又、やってるから、是非!」と勧められて、調べてみると今日が再上映の最終日。3時半からの上映に出かけました。すでにこの映画を見た2,3人の方たちから勧められてもいました。

最初から最後までマイケル・ジャクソンの音楽というよりミュージックを浴びてきました。
私たちはマイケルのデビューの頃をテレビで知っている世代です。ジャクソン・ファミリーの一員として喜々として歌って踊っていたあの黒人の男の子が、成長した青年として「スリラー」で世界のマイケルになり、大スター、キング・オブ・ポップとなるのを「成功物語」として、一方ではスキャンダラスな細々とした事象を大騒ぎして取り上げるマスコミを通して「落ちた偶像物語」として、マイケル・ジャクソンを知ったつもりでいました。

この映画は説明を省いて、音楽そのものを映像にして見せてくれます。その事がマイケル・ジャクソンという音楽に命を捧げたスターを余すところなく伝えてくれます。
映画は通常の画面の1.5倍もあろうかという大画面で大音響。IMAXというデジタルシアター特設サイトで、日本で4館だけ。109シネマズ川崎(神奈川)、菖蒲(埼玉)、名古屋(愛知)そして、ここ箕面(大阪)!だけなんだそうです。それはそれは凄い臨場感!それで通常料金より高くなって2000円、私はシニア料金なので1200円でした。 

観ているうちに、いろんなことが胸に去来します、頭も目も耳もマイケル・ジャクソンのSONG, VOICE, DANCE, BEATを浴びているのに。
そして泣けてきます。涙が出るのではなく、マイケルという存在に泣けてきます。身体が音楽を体現しているというか、肉体が音楽そのものというか。このビートの刻み方は黒人の持つ音楽性そのもの。そのマイケルが肌の色を白くしたいと願い続けていたという。
アメリカの音楽は、イギリスのフォークミュージックと亡命ロシア人がもたらしたクラシック、それに黒人音楽が混じって、私たちが大好きなアメリカンミュージックに?、マイケルのステージを見ているとそんなことも思わせてくれますし、緻密なリハーサルを重ねてパフォーマンスを完成させていく姿は、まるで指揮者がオーケストラと一緒に交響曲の演奏を仕上げていく姿そのもの。

環境・自然・地球についての映像と音楽とメッセージが取り上げられますが、もうマイケルは神の領域というか、芸術家そのものです。追求しているのは美、完成され完結した音楽によるマイケルの世界です。

アマデウス! モーツアルトのミドルネームを思い起こします。アマデウス、神に愛でられし者。
彼と一緒に踊りたい、一緒に歌いたい、一緒に奏でたい、一緒にステージを創造したい、マイケルのワールドに参加したいという人たちの崇敬の眼差しに、彼は神ならぬ人として誠実に、真摯に、謙虚に全精力で応えようとします。その姿は、すでに超越した領域に入ってしまった人に見えてしまいます。
音楽のエンジェルが、キングになり、とうとう神になって、本当に、今年、昇天してしまった・・・

一曲、終わるたびに斜め後ろから拍手が聞こえます。最初、生? 観客が拍手しているの? それともサラウンドで? でも、斜め後ろの一方向から??最後、クレジットが終わって、その後でも拍手が聞こえましたので、観客席のファンの方たちが拍手していることが分かりました。映画が終わって座席の照明が点くまでの間、見終わった人たちからも拍手が、私もつられて拍手してしまいました。

冬至の今日、帰り道には5時半でも三日月と宵の明星が藍色の空にクッキリと。帰り道で)
ジョン・レノンは LOVE & PEACE でした。
マイケル・ジャクソンは LOVE と PEACE と CHANGE ! でした。 
マイケルの活躍なくして黒人大統領オバマの出現はなかったという話を思い出しました。
不思議です、芸術家は世界に向けてメッセージを発し、理想を語るようになるのですね・・・・
「未知の領域(ステージ・パフォーマンス)を世界の人へ」と精魂こめて歌い踊った音楽の化身の姿を忘れないでしょう。