27日・日曜日のテレビ番組から(夜は「日本と朝鮮半島2000年」朝鮮通信使)

師走も押し詰まってなんとも気ぜわしいこの頃、日曜というのにジックリ落ち着いてテレビを見る暇もなく・・・で、朝から、テレビはつけてはいるものの、落ち着いて見たり聞いたりしていたわけではなく、でもなんとなく気になって見出したのが、TBSの関口さんの番組サンデーモーニング年末スペシャル」の2部「世界の行詰りと時代の要請」と題されたコーナー。見終わった後から新聞の番組欄をチェックすると「右肩上がり限界と再生への”意識改革”」と書かれていました。

ゲストは寺島実郎氏、着物姿の大学の先生の田中さん、金子勝氏、珍しく生命科学者の中村桂子氏、とあとお二人。それぞれのコメントを聞いていて、「命と心」、「自然と人間」、「限界を知る」、「自給率をあげる」、「新しい産業として農業を」とどれもナルホドです。取材報告がアイスランドの1年とアメリカ、ラスベガスのカジノの地下街に住み着いている家と仕事を失った人たち。それに録画のゲストのメンバーがオヤッ!という人ばかり!

ダライ・ラマの発言は、「今回の経済危機で困っている人はお金のことばかり考えていた人たちで、家族や地域のことを考えている人たちは今度のことで混乱しているわけではない。要は価値観を変えればいいのだ」ととても解りやすい。
それから、驚いたのは松岡正剛氏の登場。関口さんがインタビューしていたのですが、このブログの出発が松岡正剛氏の本だったので、私としては年の初めと締めくくりが松岡正剛さんで嬉しかったです。その割には発言の内容を覚えていないのですが、世界史の中での意識改革の経験としてルネッサンスをあげておられました。
最後の最後、この番組の締めくくりで登場されたのがあのペシャワール会代表の中村哲氏。「今までのスタイルはピリオドを迎えつつある。今はその始まり」と。意識改革の始まりというのは、今までのスタイルを変えたくない(これがなくては生きられないという思い込みや、経済が回らないとか、便利さとか快適とかを失いたくないとか)と思わないこと。変わる、変わってもいいんだ、という楽観主義で行けば道は見つかる。自暴自棄ではない、楽天主義でいいのです。変わらないもの(やさしい心とか親を大事にとか)を守っていけば、どう変わっても幸せは消えない。

コメンテーターの一人が、京都の龍安寺にある蹲(つくばい)を取り上げていました。真ん中に口、上に吾、右に唯、下に足、左に知の字がデザインされています。真ん中の口の字をどの字も共有して、「吾れ唯足るを知る」と読みます。儒教の教えで、水戸光圀が寄進した水鉢だそうです。(「龍安寺」のサイトより)


午後、「たかじんのそこまで言って委員会」、これも途中からで、プールへ行くのを遅らせて、見てしまいました。
上下真っ赤なスーツ姿に白い花をつけた勝谷さんと天敵?の田嶋陽子さんが隣に立って二人で漫才?じゃなくって、なにやらやっているので見ましたら、8年?か10年後の日本について、米軍は日本から撤退しているか?というようなテーマで話しています。久しぶりの田嶋さん、少しキレイに?なって口は滑らかに!! 田嶋さんは「米軍基地はなくなっている」「戦争で解決するのはもう古い」「米中関係はもう戦争が出来ない経済関係になっている」「最良の安全保障は善隣友好外交」「小沢さんは北朝鮮にも行くよ!」と舌好調! 


夜は8時までと思ってフィギュアスケート、冬季五輪の代表選考会を兼ねた全日本選手権を! 9時になって「坂の上の雲」を見逃したのに気づきました。(息子に録画を頼まれていたのでセーフでしたが、) 浅田真央さん、復活!

ノーミス(に見えた)の完璧な演技にうっとり。 それに、2位、3位競いについ夢中になって。鈴木明子さんのスピード感、躍動感あふれる「ウエストサイドストーリー」はノリノリの演技。中野由加里さんは3位、でも代表を逃し残念。すでに代表内定が決まっている安藤美姫さんの来年の干支のトラ柄のクレオパトラの衣装も面白い! 男子は、高橋、織田、小塚の3人。アイスダンスがリード姉弟。来年のバンクーバーが楽しみです。


夜10時からNHK教育のETV特集「シリーズ日本と挑戦半島2000年 第9回 和解のために 朝鮮通信使
朝のサンデーモーニングで田中氏が指摘されていたのだと思うのですが、拡張主義の後の意識改革、日本は江戸時代にも経験しているというのが、この番組のテーマと重なります。秀吉の「朝鮮出兵」のあと徳川幕府は意識改革して「善隣友好、誠心交隣」で200年以上の日朝友好の期間があったということ。

徳川三代将軍家光のときから幕府の正当性を国内に誇示するためにも幕府側から通信使を招くことになり、第8回、9回の頃には案内役に雨森芳州というハングルを学んだ人物がいて「人情と時勢を理解し、互いに欺かず、争わず、真実を以って交わる誠心外交」でトラブルを乗り越えていった。
記録によると、京都のお寺に宿舎を用意したら、そこは秀吉が建てたお寺で耳塚がある。朝鮮という国は100年も前の家系図を家伝で持っていて、秀吉軍に何代前の誰それが殺されたという記録が残っているくらい。怒り出すのは当然。我々には子々孫々忘れられない屈辱の歴史を日本人は忘れてしまっているのかと。なにやら、今でも同じことが繰り返されているような? お国柄の違いなんですね〜、ま、そこは上手におさめて・・・ と。相手の言い分もよく聞き、かつ主張すべきは主張し、芳州は「倭人」という呼び方を「日本」と呼ぶように変更させたりもしたそうです。

総勢500人の一行が一ヶ月かけて、江戸へ向かう朝鮮通信使は外交使節でもあり、文化使節でも。音楽を演奏しながら進み、歓待する日本人に詩文や書、絵画を伝えた。迎える日本側のもてなしも相手の好みを調べ、牛肉を取り寄せたり、きじや豚肉を準備した。飢饉のときの非常食のサツマイモを伝えたりもした。こうやって日本側も大騒ぎのおもてなしで、人と人(知識人、庶民、医者など)の交流が進み、識字率が向上し、見物の人出でちょっとした韓流ブームになったそうです。それが260年ほども続いたのが江戸時代の朝鮮通信使だったとか。

田嶋陽子さんの昼間の演説がなにやら一寸現実味を帯びてきたりします。

PS:
今朝のテレビ朝日スーパーモーニングで、76才になるというオノ・ヨーコさんのインタビューがありました。メッセージはという問いに「せっかく皆で選んだんじゃない。温かく見守って、力を貸してあげるくらいじゃないと」と今の政治状況について。ジョン・レノン、逝って29年。世界に LOVE&PEACE を訴えて40年。少し印象が柔らかくなられた感じでした。