「日本と朝鮮半島2000年」(第7回倭寇)

録画したこのシリーズも、年末28日に第9回の朝鮮通信使を見ていますので、
残すところあと2回になりました。 雨に光る万両の実
第7回「東シナ海の光と影〜倭寇の実像を探る〜」
レポーターは韓国と日本で活躍する女優のユンソナさん。

894年に菅原道真遣唐使を停止して、1404年、室町時代になって明との勘合貿易が再開されるまでの500年間、1274年と1281年の2度の元寇があったが、大陸・半島との公の関係は途絶えていた。しかし、この間、民間との交易(関係)はあった。

それを示すのは昨年テアン半島200m沖合いの沈没船の中から水中発掘された2万点に及ぶ墨書陶磁器の破片である。墨書というのは陶磁器の裏に墨で書かれた漢字で中国の貿易商社を表している。また、1976年に丸ごと引き上げられた船は長さ34m、幅8m以上の大規模船で長期航海可能なV字底をしている。15C、元で建造された。この中に当時日本では垂涎の青磁の花瓶や香炉があり、荷札の木簡からは、1323年を示す年号と東福寺の文字が。
東福寺には10月の開山を記念する時期だけに公開される香炉があり、引き上げられた元の香炉とソックリ。実は木簡の年号の4年前、火災にあっている。積荷は東福寺が発注した物と考えられる。他にも日本人しか穿かない下駄とか将棋の駒、銅銭の束なども見つかっており、博多で雇われた日本人が乗組員として乗っていたと考えられる。

当時、日本の玄関口は博多で、元寇以後も、やはり青磁や墨書陶磁器が2000点以上も発掘されている。13C,民間貿易が行われていて中国、インド、アラビア半島までのセラミックロードがあったといえる。日本の輸出品は砂金・水銀・武具など、輸入品は陶磁器や銅銭(そのまま通過として用いた)。中国の寧波(ニンプー)と博多の直行便があったようだ。

1223年、「高麗史」に「倭が金州を寇す」と書かれていて、頻繁に数百隻の船団を組んだ倭寇が高麗の町を襲った。プサンまでわずか50kmの対馬、入り組んだ地形、9割が山で耕作地無く、自給自足は無理という半島の目と鼻の先が倭寇と呼ばれる海賊のアジトであった。「高麗史」によると1350年以降、倭寇の襲撃回数が急激に増えている。日本は、ちょうど南北朝時代、国内を二分して争う60年の騒乱の時期にあたる。武力に訴える気分が蔓延、飢饉により供給ルートも途絶える。こういう時期に対馬の人が対岸の朝鮮へ。ただ、専門の盗賊だったかどうか? 普段は交易をしていて、ある条件化に略奪に走った。相手が交易の条件を国策として厳しくすると、充分利益を上げられないので倭寇化するのでは。盗賊というより、境界人としたい。(日本側学者の考え)]  韓国の学者の話では、高麗では、北からのモンゴル侵略を受け、その支配下にあった。又、日本への二度の出兵があり、被害も受けて国は疲弊、効果的な倭寇対策は打てなかった。倭寇の襲撃で、沿岸部の村を内陸に移したり、島を空にすることもあったという。

「高麗史」によると海賊の活動のピーク時には500隻の船団が西海岸に押し寄せ、100km内陸の奥深くまで進入、史上最大の戦いとなり、高麗の英雄イ・ソンゲ将軍が戦った。海賊が騎馬軍団?の謎には奇妙な歴史が潜んでいる。あの三別称が最後まで抵抗したチェジュド(済州島)はその後モンゴル帝国が馬を放って牧場とし、モンゴル人が移住、牧子となっていたため、高麗政府に抵抗した。この頃、国境とか民族は大きな要素ではなく、日本の倭寇と、干満の差や潮流を熟知しているモンゴルの末裔の牧子が共通の敵とした高麗政府を相手に戦ったのでは。この戦闘は高麗の英雄イ・ソンゲが勝つ。しかし高麗は弱体化し、高麗を無くし新たに朝鮮を興すことに。この頃はチェジュド、対馬倭寇)、半島沿岸部には異なる民族が同居し境界領域の人々として海賊集団をなしていた。
14C〜15C初め、大変化が次々起こる。
1368年には元が滅び明王朝に。日本では1392年、南北朝廷は統一され、室町幕府第三代足利義満は明と貿易を。倭寇取締強化の要請を受け、朝鮮のイ・ソンゲと日本は倭寇対策を。次第に倭寇の活動も下火になる。倭寇には対馬攻撃で撲滅を図ると同時に懐柔策も。朝鮮王朝第4代世宗(セジョン)大王から対馬早田(そうだ)家(倭寇の末裔)に伝わる辞令書がある。それには「告身」という将軍の官職を与えると書かれていて、正式の交易を認められたわけである。この頃から倭寇は急激に減った。明朝成立、使者を送り、倭寇問題を解決できる勢力を日本の政権と認めるた。こうして政治的安定が倭寇対策を可能とし、政治の安定がアジアの課題となった。
結局、日本の国内政治の混乱と半島に於ける政治的混乱が貧困問題を生み倭寇を作り出した。今日に於いても中東問題やアフガニスタン問題も政治の安定が重要だとわかる。今、こういう境界の空間にいる人々を「境界人=ボーダーレス」として捕らえて、境界のどちらでもない、あるいはどちらでもあることを認めて、そこから利益を得ることはできないか?と考えることが大切なのではないか。(「境界人」の考え方については日本人学者がリード)

500年後の対馬は韓国プサンから2時間の近さ、
年間7万人の韓国人観光客が訪れている。] 以上。