昨年秋に、大阪府の広報紙に載っていた歌舞伎と文楽の新春公演のチケットを申し込んだところ両方から返信が届いたので、まだ経験したことの無い文楽を選び、21日(木)の11時開演の第一部 「伽羅先代萩」 (めいぼく せんだいはぎ)を観にでかけました。
駅で滅多に会えない友達に。去年、水中歩行を始める時に電話で相談に乗って貰った彼女です。「久しぶり〜。今日はお出かけ?」「そう、宝塚」。彼女は毎月タカラヅカへでかける熱心なファン。「私は、今日は、初めての文楽! 大阪府のに当たったの・・」「母がよう行ってたわ〜。楽しんでおいで〜」「あなたも〜」。 彼女はお友達の方へ、私は夫を追っかけて。 地下鉄の難波で乗り換え、一駅、日本橋で地上へ。幟がはためく国立文楽劇場へ。
ホールは白と桃色の餅花が飾り付けられてお正月気分が残っています。お弁当を買い込んで中ほど右寄りの席について初体験の文楽を。
三味線の音と浄瑠璃を語る大夫の声がとっても気持ちがよい。
「伽羅先代萩」は伊達藩のお家騒動を題材にしたもの。「竹の間の段」と「御殿の段」で約2時間。浄瑠璃の言葉は難しく、正面、鯛と「寅」の額の下の辺りに、大きな字で「字幕」が出て、とっても助かります。一階入り口正面の額に描かれた登場人物。女性二人、忠義の乳母(めのと)政岡とベージュの方が幼君を毒殺しようとする悪役の八汐。7,8歳の男の子が政岡の息子、見事毒見役を果たし、悪事の露見を防ごうとする八汐の懐剣で母の目の前で殺される。真ん中の福々しいのが若君、政岡が作るご飯以外を口にしないで、ひもじい思いを耐えて毒殺の危機を凌いでいる。
「御殿の段」に入ると登場人物(人形)は、政岡と幼君と千松の三人(体)。ここの語りが重要無形文化財の竹本住大夫さん。さすが上手い! と、30分のお昼休みにパンフレットで確認できました。
御簾が上がって、お茶の風炉で政岡がご飯を炊く場面。それを待つ間のひもじい千松と若君のやりとり。
親スズメが籠の子スズメに餌をやるのを見て、若君が「あのように早う飯が食べたい」。
千松「母様、飯(まま)はまだできぬかや」「エエせはしない。其方迄が同じ様に行儀の悪い」
「イエイエ、わしは食べたいことはないけれど、御前様がおひもじからうと思ふて」
「エエ何のお強いお殿様がおせがみなされう、ソリャそちがせがむのじゃ」
「イエイエわしはせがみはいたしませぬ」と ]
小さいながら若殿様に仕えるこの子が母親にたしなめられるこの場面は涙を誘います。
こういうやり取りがかなり長く続いて、最後の急転直下の大展開とのコントラストが際立つところなんですが、
「まだ炊けへんの〜?」「はよ〜握って食べさせてやり〜!」と声を掛けたくなるほどです。
やっとご飯にありついたところへ毒饅頭をもって敵方の八汐と栄御前がやってくる。無碍に断りきれず困っているところへ千松が飛び出して饅頭を食べ散らかし、苦しみだす。毒を盛ったことが露見しては拙いと八汐が懐剣で嬲り殺し。わが子が目の前で殺されるのに顔色一つ変えない政岡に栄御前は「取替え子」と思い込んで、悪巧みの一部始終を話して、良くぞやったと一人合点。
再び3人になって、殺された我が子をかき抱き嘆き悲しむシーンは:♪〜わが子の死骸抱上げ、耐へこらへし悲しさを一度に『わっ』と溜涙(ため涙)、せき入り、せき上げ嘆きしが(セリフ)「コレ千松よう死んでくれた、出かした出かした出かしたなう。・・・
三千世界に子を持った親の心は皆一つ、子の可愛さに毒なものをたべなと云ふて叱るのに、毒と見えたら試みて死んでくれいと云ふやうな、胴欲非道な母親が又と一人あるものか。武士の胤(タネ)に生まれたは果報か因果かいじらしや、死ぬるを忠義と云ふことは何時の世からの慣わしぞ」・・・泣かせどころです。このあと、悪事の証人が出てあっという間に最後、切りかかる八汐の懐剣を受け流し、政岡が八汐を討ち果たします。(紫字は付録の「床本集」より引用)
「・・・御心根の勿体なやと君を思ひ、わが子を思ひ心の奥の信夫山忍び涙の折からに・・・」
「沖の井が深き心は和田津海の汐の八汐も打ち連れて・・・」と、掛詞が快いリズムを生みます。
すっかり文楽の世界に引き込まれて楽しみました。そういう年齢になったのでしょうか?
午後からはお夏清十郎の「寿連理の松」と安珍清姫のあの清姫「日高川入相花王」(ひだかがわ いりあいはなざくら)。
お弁当直後のは眠かったですが、「全身が恋の十六歳」清姫の恨み妬みの化身の蛇体、川に身を投げ、波間を泳ぎ抜いて対岸に。三味線は4棹、煽りにあおりますし、浄瑠璃の大夫も大勢で声をそろえて唸りますし、波打つ布間で赤から白(銀箔のうろこ模様)の衣装に変身しするあたりでは拍手喝采(私もモチロン拍手しました!)、モウ本当に解りやすい〜 終わったら3時過ぎ。タップリ楽しんで帰途に。