昨日、隣の両親が読み終わった後、我が家に回ってきた讀賣夕刊の一面に、又、
痛ましい児童虐待による犠牲者の記事が載っていました。
東京都江戸川区の小学一年生の海渡(かいと)君(7才)。
21歳の無職の実母(千草)と31歳の電気工の継父(建二)が、暴行をくり返した疑いで逮捕されています。
海渡君が搬送先の病院で息を引取ったのが24日。以下、新聞記事から引用してみます:
その2日前の22日午後、一家が暮らすアパートのすぐ裏手の工場勤務の55歳の男性が、下校途中の海渡君から「こんにちは」とあいさつされ、男性は「お父さんから、いじめられてないか?」と聞いた。虐待の事は知らず、ただ連れ子だと知っていたための質問だったが、「いじめられてません。悪いことをしたら怒られるけど。」とはきはきした海渡君の返事に、この男性は異変を感じなかった。
海渡君が両親と暮らし始めたのは昨年4月。千草容疑者が客の建二容疑者と結婚し、小学校入学を機に、千草容疑者の母から引取られた。一家の様子の変化は昨年夏。近所の住民たちは「ぶっ殺してやる」という大人の声と、「ギャー」という子どもの叫び声を何度も聞いていた。数軒先に住む男性はアパートの窓越に、大人が子どもを床に落とす光景も目にした。
区の「子ども家庭支援センター」も昨年9月、海渡君の胸や腹にアザがいくつもあるのを、診察中に見つけた歯科医から通報を受けていた。海渡君は医師に「パパはいつもぶつんだよ」と話したという。この事実は学校にも伝えられ、校長、副校長、担任の3人がアパートを訪ね、建二容疑者が「二度と殴らない」と話したため、報告を受けた同センターも都墨田区児童相談所も「対応は不要」と判断した。
しかし、翌10月、海渡君は11日間、12月も6日間欠席。同じ頃、近所の路地裏に100点満点ばかりの海渡君のテストの束が捨てられているのを住民がみつけていた。1月も始業式から20日まで登校していなかった。それでも学校側は「虐待」とは受け止めていなかった。
「区立幼稚園・小学校展覧会」に、海渡君が教科書の一節を鉛筆で写し、熊野写真をまねて挿絵にした作品が、優秀作として展示された。親熊と2匹の小熊の絵は、親熊だけが、目がつり上がって描かれていた。
「それでも虐待のサインは何度もでていた」と記事にも書かれています。
どうして、学校側は長期欠席が続くのに放ったらかしにできるのか? 虐待をしている本人が「二度と殴らない」と言ったから「虐待はない」のでしょうか? 欠席が続くことを「子ども家庭支援センター」に足を運んで報告して何故相談しなかったのでしょう? 余りに鈍感すぎます。
子どもの叫び声を聞いた近所の方たちの一人でも、もう少しこの海渡君の命に関心をもってくれて、親に問いただすなり、学校に告げるなり、地域の民生委員・児童委員に相談するなり、警察に知らせるなりしていてくれたなら・・・
親の元に居ることでしか生きていけない子どもが、その親の虐待で命を亡くすという事件、子どものSOSに気づかない大人や学校や地域や社会が変わってくれない限り、犠牲者は絶えないのではないでしょうか。みんな、もう少し、厚かましくお節介になっても良いような気がします。
銀(しろがね)も金(くがね=黄金)も玉もなにせぬに 勝れる宝 子にしかめやも 柿本人麻呂
<児童虐待防止法より「児童虐待に係る通告」>
「第六条 児童虐待を受けたと思われる児童を発見した者は、速やかに、これを市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所又は児童委員(民生委員が兼ねている)を介して市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所に通告しなければならない。」 *気づいた人は(確証がなくても)通告する義務があります。調べた結果、虐待でなかった場合でも通告したことで罰せられたりすることはありません。