再現で、大和朝廷が、百済を支援し、唐と新羅の連合軍と闘って敗れた白村江の戦いの直後、大陸からの逆襲に備えて対馬や福岡、香川など西日本に11の山城を築いたものの一つがこの鞠智城
亡命百済人の指導で建てられたとみられ、中国や朝鮮半島にも同じ八角形のものがあるそうです。鼓楼の中は柱ばかりで、強靭な軍事施設の造りになっているそうです。場所は大半が山鹿市内にあり、一部が菊池市にまたがっているが、菊池市街が近い。最寄の鉄道駅はなく、JR熊本駅からバスで菊池市まで1時間20分、タクシーに乗り換えて5分。車だと、植木IC、役20分、阿蘇くまもと空港からは車で約40分。(日本経済新聞1月27日夕刊より)


日夕刊の「こころのページ」の「見えざるものへ」というコラム。
仏教学者の末木文美士(すえき・ふみひこ)氏の「死ねば皆、仏様」誤解という記事。

最近の政治家の宗教についての発言について宗教学者から「日本の宗教を誤解している」という指摘です。
まず、新しいところで民主党小沢一郎幹事長の一連の発言について。

昨年11月に小沢氏が高野山を訪れ、記者会見で「キリスト教イスラム教も非常に排他的だ。その点、仏教は非常に心の広い度量の大きい宗教、哲学だ」と発言。キリスト教団体が抗議すると、改めて記者会見で「(仏教では)死ねば皆、仏様。ほかの宗教で、みんな神様になれるところがあるか」などと述べて撤回を拒否、12月にも同趣旨の発言をくり返した。

中曽根康弘首相(当時)は、国会の施政方針演説で「仏教思想」の「山川草木悉皆(しっかい)成仏」を持ち上げた。
森喜朗首相(当時)は、日本が「天皇を中心としている神の国」と発言して、批判を浴びた。
小泉純一郎首相(当時)は、靖国参拝に際して、「日本人の国民感情として、亡くなるとすべて仏(神)様になる」などと、その宗教観を披露した。
そのような発言に対して政治的な観点から批判がなされることがあっても、それらが日本の宗教を正しく理解しているかという肝腎の点に関しては、ほとんど検討されることがなかった。ところが、実はこれらの発言は、いずれも日本の宗教を誤解している。

反論のまず最初は中曽根氏の「山川草木・・・」は造語で、正しくは「草木国土悉皆成仏」である。
氏には、日本が「天皇を中心としている神の国」と考えられたのは明治の国家神道によるもので、それ以前には一般的ではなかった。
小泉氏には、人が死んで神となるのは、古くは菅原道真のように、恨みを呑んで死んでいった人だけで、一般の人が神となれるわけではなかった。
最後に小沢発言の「死ねば皆、仏様」については:<そもそも日本以外の仏教では、仏は特別の存在であるから、「誰でも死ねば仏様」はあり得ない。 日本でも、そのような観念が広く普及したのは近世以後。一方では悪いことをすれば地獄に落ちるという観念もあり、道徳的歯止めにもなっていた。 確かに、誰でも仏となる可能性を持っているという「仏性」の観念は、最澄以後、日本仏教の共通の基盤となった。しかし、それさえも広く受け入れられたのは東アジアの仏教だけで、東南アジアやチベットの仏教では認められていない。>

ともすれば仏教というと何でもありのルーズな宗教のように考えがちだが、決してそうではない。誤解の上に立った自国賛美はきわめて危険である

滅多にお目にかかれない内容の記事で面白いなと思いました。宗教的な発言はともすれば「言ったもん勝ち」?で許されてしまうところがありますが、誤解にもとづいた我田引水、煙に巻く戦術として使われるようでは危険、危険、要注意ですが、反論できるほどの知識も信仰心もないのが困った事です。