「インビクタスー負けざる者たち」(INVICTUS)

昨日、満員で観られなかった「インビクタス」、仕切りなおしで、今朝、二人で10時10分開演の分に出かけました。
ところが、映画館へ入るや否やマタマタ長蛇の列、どうして〜?と思っていたら10時開演で後ろについたお二人がいて、なんで〜?と仰るので女三人で一寸お話。「昨日もでしたよ。」「やはり、アバター人気でしょうか? それとも大学生がもう休みに入ったから?」
インビクタス」は昨日の「おとうと」より小さいシアターで3分の2は埋まっていました。
映画館のポスター     映画はさすがクリント・イーストウッド! 
映画らしい映画というか映画でしか味わえないスケールの大きな楽しさ。
モーガン・フリーマンネルソン・マンデラその人でした。パンフレットを読むと、マンデラさん自身が自伝の私を演じるのならモーガン・フリーマンと願っていたとか。モーガン・フリーマンはいつか演じる日のために、マンデラさんの歩き方、話し方を観察していたといいます。若手のマット・ディモンも南アフリカ訛りの英語アフリカーナーをマスター、食事も身体作りも本格的に準備してラグビー選手のキャプテンを演じたといいます。
27年間囚人として監禁されていて、釈放後南アフリカ初の黒人大統領になったネルソン・マンデラは大統領官邸に初めて入った日、白人の職員達が荷物をまとめているのに気づき、全職員を集めてスピーチをする冒頭のシーンからこの映画の主題が示されます。白人が黒人に報復をするのではなく、今まで自分達が白人から酷い目にあったことはすべて赦すことから始めよう。
和解から出発するというテーマです。新しい国づくりには黒人だけではなく白人の協力が不可欠という信念です。
その象徴としてマンデラが目をつけたのが「スプリングボクス」という南アのラグビーチーム。そのキャプテン、フランソワ・ピナールをお茶に招待。

「南アのラグビーはイギリスから入植してきた人たちが持ち込んだ。おもに17世紀に移住したオランダ系のアフリカーナーという人たちにとって、きわめて重要なスポーツになり、アパルトヘイト(人種差別)の象徴でもあった。一方、黒人には自分達を弾圧する白人のスポーツだったので、今までは試合があっても南アチームの敵国チームを応援していた。映画に出てくるチェスターという唯一の黒人選手は実はカラードと呼ばれた白人にも黒人にも分類されなかった混血の有色人種。国の代表チームとして活躍していたスプリングボクスアパルトヘイトの制裁措置として国際試合への参加を禁じられていましたが、それ以前、1980年代まではニュージーランドオールブラックステストマッチで戦っていて、互角。”アフリカーナとしての優越感”が心の支えだった時代があった。」(パンフレットの解説より)

国の政治的リーダーとラグビーチームのリーダーの話し合い。ここでピナールはマンデラの目標が一年先の95年の南アで開催されるワールド・カップでの優勝だと悟ります。その間、チームは大統領命令で各地の黒人地区に入ってラグビーのコーチをすることになり、かつてのアパルトヘイトの傷跡を知ることになります。そして、ピナールは大統領が獄中生活の18年間を過ごした監獄島ロペン島をチームメイトと家族とともに船で訪問します。(この島は今は世界遺産とか)
ピナールは一人狭い独房に入って、マンデラを支えたインビクタス(負けざる魂)の詩を心に刻む。その詩はマンデラ大統領からキャプテンのピナールに手渡しでプレゼントされていたのでした。
そして1995年6月24日、ヨハネスブルグでの決勝戦。世界最強チーム、ニュージーランドオールブラックスとの決勝戦で奇跡の初出場初優勝を成し遂げる。試合開始前、マンデラはチームカラーのユニフォームにキャプテンナンバー6をつけて現れる。
黒人と白人との和解。ONE TEAM ONE COUNTRY のスローガンが実現します。

凄い映画です。30分ほどの試合のシーンはもう素晴らしい迫力。どうやって撮影したのかと本当に不思議です。大規模な群集シーンと壮絶なスポーツの戦闘シーンの迫力が半端じゃありません。良く出来た夢のようなお話ですが実話です。試合前のまさかのヒヤッとする空からの轟音シーン、あれも信じられない出来事ですが実際にあったこととか。話の組み立て方、つむぎ方が、綾なして自在、うまいな〜と感心します。
現在92才のネルソン・マンデラさんは「1999年、一期で大統領を辞め、92年の離婚後一人暮らしを続けていたが、98年、モザンビークの故マシェル大統領夫人、グラサさんと再婚。今は生まれ故郷の田舎で穏やかな日々を過ごしている。」(パンフレット)

ウィリアム・アーネスト・ヘンリー(William Ernest Henley)という人の詩「INVICTUS」はマンデラさんの不屈の精神を現していて、それがピナールに受け継がれていく様子がこの詩を通して映画でも効果的に描かれています。ここに最後のフレーズをパンフレットから紹介します。
最後の二行は日本語訳より英語の方が解りやすいと思いますので両方を:

     It matters not how strait the gate,         門がいかに狭かろうと
     How charged with punishments the scroll,    いかなる罰に苦しめられようと
     I am the master of my fate:            私は我が運命の支配者
     I am the captain of my soul.            我が魂の指揮官なのだ     (長い詩の最後の部分より)