「緊急企画・普天間問題を考える」(「通販生活夏号」より)

昨日のヨーガのお食事会では長いテーブルだったため、近場の声の届く人たちだけでの話し合いになってしまいました。テーブルの一方の端にいた4人で話し合ったテーマの一つが、たまたま沖縄の普天間問題になりました。
色んな意見や疑問がでました。沖縄だけにこれ以上の負担は可哀相ということと、本当に必要なら本土で引き受けるべきだけど、本当に必要なの?
本当に日本を守るためにというのなら沖縄よりは本土の真ん中にあるべきはず、、、やっぱり、元々占領されていた島で冷戦時代に丸ごと基地だったのが、そのままなんだから・・・というような話でした。
家に帰って、届いた夏号の「通販生活」をパラパラ見ていたら、特集がコレ!! 話し合いで出た疑問点についても書かれているようですので、この問題を整理して考えるため、私なりに、順番も勝手に換えて、まとめて並べてみます。
宜野湾市普天間飛行場  ] 囲みは那覇市
黄色が普天間、左のピンクは嘉手納基地、上は辺野古
 
軍事ジャーナリストの田岡俊次さん(1941年生)の記事から:

海兵隊は司令部がバージニア州にあって太平洋海兵隊部隊と大西洋海兵隊部隊に分かれる。大西洋は第2海兵遠征軍(約5万2000人)、司令部はノースカロライナ州太平洋海兵隊部隊には第1海兵遠征軍(約5万2000人司令部はカリフォルニア州)と、日本に関係がある第3海兵遠征軍は約1万4000人で指令部は沖縄。岩国(山口)や富士(静岡)にも駐留していて、約86%にあたる、約1万2400人が沖縄(089月)にいてほとんどは司令部や補給部隊で、地上戦闘部隊は1000人程度。
第3海兵遠征軍に属する普天間の「第36海兵航空郡(ヘリ部隊)」(ヘリ36機、空中給油機など固定翼16機だが、給油機は岩国に移転予定)
キャンプ・シュワブにいる「第4海兵連帯(歩兵部隊、現在は1個大隊だけ約1000人)
以外のほとんどの部隊8000人と家族9000人は、2014年までにグアムに移すことが決まっている。
沖縄に残る海兵隊の任務は、中国、韓国、日本などアメリカ人が多く住む地域で戦乱や暴動、天災などがあった時、いち早く現地に駆けつけて空港や港を一時的に確保し、アメリカ人居留民を救出・避難させること。「日本の防衛」ではなく、アメリカ人の安全確保が第一の目的。

沖縄県知事大田昌秀さん(1925年生)

   1952年の平和条約の発効によって本土だけは独立を享受しながら、沖縄を切り離して異民族の軍政下に放置したばかりか、在本土の米軍基地は60%も削減する一方、その大部分を沖縄に移し、・・・・0.6の国土で75%の在日米軍専用施設を過去半世紀以上も負担させている・・・これが人間の平等を保障する平和憲法の下で許容できることでしょうか。

   政府首脳や高級官僚は、口を開けば日米安保は国民の生命・財産を守るためにこの上なく重要だと言っているが、沖縄住民は日常的に生命の危険に晒され、財産が守られるどころか憲法で保障された人権さえ侵害され続けている。にもかかわらず、本土のマスコミの多くはいたずらに「ジャパン・ハンドラー(操作者)」の声だけを取り上げ、普天間問題を解決しなければ日米同盟に傷が付くなどと書いたり言い立てたりしています。


   一方で、知性派の米人学者や軍事専門家たちの道理に叶った解決案、すなわち普天間の無条件返還については、取り上げようともしません。しかも、米軍の世界的再編問題との絡みで米海軍省が2007年から進めているグアム統合軍事開発計画」の中に、普天間の大半の地上部隊や司令部だけでなくヘリ部隊の移駐も含まれていることなどについても、知らぬ顔をしています。奇妙というより他ありません。
   
ちなみに、ケイトー研究所は、つとに1997年ごろから沖縄の米軍基地の削減・撤去を求めて数百頁の勧告書をアメリカ議会に提出し、「在日米軍を沖縄を最優先にして数年以内に撤退させ、その2年後に安保条約を破棄して日米平和友好条約を締結する旨、米政府は日本政府に通告するべき」と要請したほどです。(注1)出典:CATO Handbooku for Congress:Policy of Recommendation for the 105th Congress(1997)
   キッシンジャー国務長官でさえ「日本政府が正式に要請すればアメリカは柔軟に対応し、普天間の替わりの基地を造らなくともすぐに返せる」という趣旨の発言をしているのです。(注2)出典:ジャパン・エコノミック・ニュースワイヤー(1997年5月12日)

普天間飛行場のある宜野湾市長・井波(いは)洋一さん(1952年生):

そもそも、普天間飛行場の返還が決まったのは1996年、いまから14年も前のことです。95年に起きた米海兵隊員による少女暴行事件で、沖縄の怒りが沸騰しました。それを鎮める解決策として、日米両政府は普天間返還を決めざるを得ませんでした
2006年5月、日米政府間でいわゆる「米軍再編ロードマップ合意」なされた。この中身を検証すると、半年前の合意(05年10月「日米同盟:未来のための変革と再編」)では、在沖の海兵隊司令部だけがグアムに移るという話が、海兵隊の部隊が一体となってグアムに移転すると変わっている沖縄に常駐する部隊はもう必要ない、全部グアムに移るというのがこの合意だったのです。このことは、米太平洋軍司令部作成の「グアム統合軍事開発計画」の中にもきちんと書かれています。
アメリカは西太平洋で、日本、韓国、タイ、フィリピン、オーストラリア、この5カ国との間で安全保障条約を結んでいて、日本以外の4カ国とは定期的に合同演習を行っています。ですから、海兵隊の主要部隊は、1年のうち半分くらいは沖縄にいないんです。そういうことを、日本政府も防衛省や外務省もきちんと言わないまま、「海兵隊がいなくなったら日本は守れない」と大騒ぎするのはおかしな話です。

   
グアムへの統合計画を作っている「グアム統合計画室」のホームページを見てください。「9・11以降、米軍はこれまでと違って自国をまもることを最重要としているので、自国の防衛政策や関係国との相互防衛、攻撃に対する抑止力、そういったものをより強化するために、今回、西太平洋における米軍を再編して「沖縄の米軍をグアムへ移す」とはっきり書いてあります。実は、普天間飛行場の危険性については、米軍自身も充分に認識していて、早く撤退したいというのが本音なのです。
「基地がなくなれは、経済的に困るのはあんた方だ]という人がいますが、全く間違いです。たとえば、北谷(ちゃたん)街のハンビー飛行場の跡地に「ハンビータウン」という新しい町ができた。ここに巨大ショッピングセンターや郊外型店舗が進出し、若者に人気の街で、雇用効果は23倍、税収が50倍、経済波及効果は実に81倍という結果がでている。基地経済はすでに破綻し、逆に新しい町づくりが経済発展につながるという証拠です。
   
最後に念を押しますが、普天間海兵隊はグアムへ行くんです。替わりの基地は必要ないんです。政府は、普天間の移設先として、キャンプ・シュワブ陸上案やホワイトビーチ沖合案を検討しているけれど、そもそも”移転先”は必要ないのです。これまでも、県内の基地建設がうまくいかなかったのは、沖縄県民が強く反対していたからで、そのことは忘れないでください。

以上三人の方たちが触れている、2014年までにグアムへ移転させるという「グアム統合軍事開発計画」とかいうものについて、マスコミがあまり取り上げないのはどうしてなんでしょうか? 沖縄の方たちの発言にはテレビでも「グアム移転」に触れておられたのを何度か聞いたことがありますが、各民放のスタジオでのニュースや解説でこれを詳しく取り上げたのは見たことがありませんが、何故なのでしょうか?
アメリカ側で沖縄海兵隊の存廃について大きな方針が決められているのに、辺野古沖の現行案が「絶対」のようにオーバーに取り沙汰されるのは、勘ぐれば、日本側と米側でこの案によって利益を得る人たちがいて、その人たちが失いたくないために一斉に声を挙げているのではないの?

今回、沖縄が自民党から共産党まで普天間飛行場県外・国外移設で一致しているというのは素晴らしいことだと思います。日本の安全保障についても本来なら党派を超えて一致できる所を見つけてアメリカと交渉すべきだと思います。その点で、寺島実郎氏の意見も、日本人の異なる意見の中から共通点を見つけて「日本の自立自尊のための第一歩」を踏み出すべきという現実的な提案だと思います。
日本総合研究所所長・寺島実郎さん(1947年生):

日本の今後のあり方をどう考えるのか。端的に言えば、日米関係の将来をどうするかという議論の中に普天間をはじめとする基地問題を位置づけなければ、仮に普天間が返還されても沖縄県民、そして日本国民抱える問題は解決されないでしょう。


独立国に外国の軍隊が65年間もの長期間にわたって駐留し続けている事実。あるいは、国内に約4万人もの米軍兵力が存在し、いわゆる「思いやり予算」を含め、米軍駐留費の7割に及ぶ年間約6000億円を日本が負担しているという事実。これらを不自然と思わないのは、どう考えても「常識」が欠落しているとしか思えません。なぜ、このような現実を不自然と感じない「思考停止状態」に陥ってしまったのか。それは、冷戦構造の下での考えをそのまま引きずり、新たな思考を何もめぐらさないまま、対米協調・対米依存外交を続けてきたからです。

ライシャワー東アジア研究センター所長ケント・E・カルダー氏が、自著「米軍再編の政治学」(日本経済新聞出版社)の中で発表した調査結果に興味深いデータがあります。「過去50年間、米軍の基地受入国で政権交代が起きたとき、その後、基地が撤退する確立は67%」というものです。米軍基地の受入国が、過去にこれほどの割合で基地撤退を実現していたことは、我々日本人の「常識」感覚の欠落ぶりを改めて印象づける事実です。


東西冷戦を背景に構築された日米安保体制は、「日本の安全・極東の安定」を目的とした冷戦型の暫定的な措置でした。だから当然、冷戦の終結と共に問い直されるべきものだった。・・・
97年に、橋本政権が行った日米ガイドラインの改定で、日米安保の対象を極東に定めていた「極東条項」が見直され、日本の安全が脅かされることであれば、適用範囲を世界中に広げられると拡大解釈してしまった。ここにおいて、日米同盟の本来の目的は完全に変質し、日本は米国の戦争への加担をより強める結果になったのです。そして、9・11以後、米国がアフガニスタンイラクへと侵攻すると、日米安保の見直しどころか、米国の戦争に巻き込まれていく結果となりました。

日本が極東条項の見直しをする4年前の93年、ドイツは米軍基地の縮小と在独米軍基地内でもドイツの国内法を遵守させるための地位協定改定を実現しています。日本と同じ第二次大戦の敗戦国であるドイツは、90年代を通して米国との関係をどう再構築するかを徹底的に議論し、主権を回復していくプロセスを歩み始めていたのです


では今後、われわれはどんな日米関係を目指すべきなのか?  まずは日米地位協定の見直しです
その中で最大のポイントは基地の「管理権」です。(略)日本にあるすべての米軍基地を、ますは「日本側が管理権を持ちながら米軍が駐留する形をとる基地」に移行するようアメリカに働きかける。これは、「東アジアの安定のために米軍の抑止力は必要だ]という人も、「米軍のあり方を見直すべきだ」という人も納得するでしょう。さらに、日米安保条約そのものにも踏み込んで、東アジアに軍事的空白を作らないことを前提に、在日米軍基地の一つ一つの使用目的を検討すべきです。「目的を終えたものから削減し、10年以内に半減を目指す」など、目標をはっきりさせるのです。

食事会でも出たことですが、今回、民主党になってというか、政権交代が実現して、やっと沖縄の問題が日本人全体の問題となったとい点で良かったということでは一致しました。「最低でも県外」というのに拘った結果が徳之島なら、話として、それもあり、ということですが、肝心なのは、寺島氏が言われるように、見通しを持ってほしい、安全保障についての日本側の方針を明らかにして欲しいですね。アメリカとの関係、反米ではなく、親米だけど従属ではない関係にしていくために日本はどうしていくつもり?というところが一番大切なところですね。