ポール・ヴェルレーヌの詩と俳人・坪内稔典さん

「15才の志願兵」で予科練に志願した笠井光男が親友の藤山正美にヴェルレーヌの詩を聞かせるシーンがありました。
懐かしくなって、あの詩「巷(ちまた)に雨の…」を全文、堀口大学の訳詩でみつけましたので、載せてみます。


       「巷に雨の降るごとく」  
    巷に雨の降るごとく われの心に涙ふる 
    かくも心に滲(にじ)み入る この悲しみは何やらん? 


    やるせなき心のために おお、雨の歌よ!
    やさしき雨の響きは 地上にも屋上にも!


    消えも入りなん心の奥に ゆえなきに雨は涙す。
    何ごとぞ!裏切りもなきにあらずや? この喪そのゆえの知られず。


    ゆえしれぬかなしみぞ げにこよなくも堪えがたし
    恋もなく恨みもなきに わが心かくもかなし



ところで、ヴェルレーヌと言えば、上田敏の「海潮音」。
例の「秋の日の、ヴィオロンの・・・」がお馴染みでしたので、こちらもシーズン先取りで:


      落葉
                      上田敏 『海潮音』より

    秋の日の ヰ゛オロンの ためいきの
    ひたぶるに 身にしみて うら悲し。


    鐘のおとに 胸ふたぎ 色かへて
    涙ぐむ 過ぎし日の おもひでや。


    げにわれは うらぶれて ここかしこ
    さだめなく とび散らふ 落葉かな。



昨日、いつもは玄関先に「しんぶ〜ん」と言って置いてくれる夕刊を手に持ち、「モーロク」と言いながら母が。
何事かと思ったら、母の俳句の先生(以前の伊丹三樹彦さんが病に倒れ、その後千里教室を受け持たれた)、坪内稔典さんが出された本が賞をもらったということです! おめでとうございます。
母の話によりますと、息子ほどの年齢(私と同い年のはず)の坪内稔典さんは、大学の先生と掛け持ちで俳句教室を持っておられて、箕面市在住、京都まで単車で通勤とか。母は句柄が若くなって、ナカナカ取ってもらえない、と最初の頃はついていけなさそうでしたが、今はどうなんでしょう・・・(因みに、教室は千里よみうり文化センター内)
最近出された本が「モーロク」という言葉の所為で売れなくて、という話を聞いて、母は教室の帰りに早速千里の本屋さんで買い求めて帰ってきました。面白いからあなたも読み〜、で私の手元にずい分前からあったのです。昨日は夕刊に敬愛する先生のビッグニュースが出ていたものですから、「あの本ある〜?」というわけで返したところです。

モーロク俳句ますます盛ん 俳句百年の遊び

モーロク俳句ますます盛ん 俳句百年の遊び

桑原武夫学芸賞授賞式「第二芸術論」格別の思い俳人坪内稔典さんあいさつ


 「モーロク俳句ますます盛んー俳句百年の遊び」(岩波書店)で第13回桑原武夫学芸賞を受けた俳人坪内稔典さん(66)が、京都市内で行われた授賞式で「俳句界が敵としてきた桑原氏の賞をいただくと、総スカンをくうかも」とユーモラスなあいさつをして、会場を沸かせた。
 1980年代以降に発表した俳句論、対談を収めた本書では、正岡子規から高浜虚子河東碧梧桐らへと引き継がれた近代俳句の革新運動を通覧。桑原が敗戦直後、俳句が持つ前近代性を批判した「第二芸術論」に対する、俳人たちの反応をつぶさにたどり、その相克が「戦後俳句を発展させた」と論じている。
 「私も若い頃は反発したが、日本近代を総体として問う第二芸術論の地平で、日本語の詩としての俳句を考えるところから私の俳句論は出発した。肯定的に引き受けた方が面白いと考えるようになった」と格別の思いを語った。
 選考委員の一人、哲学者の梅原猛さんは「第二芸術論の文学史的な位置づけが見事に行われた、初めての仕事。しかも、俳人らしくひょうひょうとしている」と絶賛。同じく委員の仏文学者、杉本秀太郎さんも「句会の重要性を坪内さんは指摘したが、その雰囲気は、桑原さんが主宰した京大人文科学研究所の共同研究会にも共通だった」と振り返った。
 「桑原さんが生きておられたら、きっと喜ばれただろう」。京都学派の華やかなりし頃が随所で語られる、和やかな授賞式だった。(西田朋子)夕刊讀賣

坪内さんは日本全国の動物園に居るカバを訪ねて句を読んだ方というのでユニークな俳人さんだな〜と思っていました。
ネンテンさんの俳句を本の中から:  三月の甘納豆のうふふふふ
                      水中の河馬が燃えます牡丹雪
                      たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ
「第二芸術論」については:http://www1.odn.ne.jp/~cas67510/haiku/kuwahara.html