八月もあと一週間に・・・

昨日の讀賣新聞夕刊に高村薫さんのエッセイ「寸草便り」が掲載されました。
高村薫さんは1953年生まれの方なので、団塊世代以後ですし、団塊以前の私とは同世代とは言えないくらい若い方なのですが、以前から作品よりは時評に共感するところがあり注目してきました。特に、小泉政権の時代に文学者として小泉首相の国会でのやり取りを敢然と「政治家の発する言葉として無責任」と批判された一文は今も鮮烈な印象を持っています。
今回の「戦後の歪み 消える高齢者」と題されたエッセイも、丁度私があと1週間でこの八月を終える今抱いている感慨と共通するものがあって、大いに共感するとともに、そのどうしようもなさに切なくもなり・・・

広島、長崎の原爆投下の日と終戦(敗戦)記念日とお盆がある八月は、例年、戦争について、平和について、命について考える月でもありますが、今年は終戦65年ということと、昨年、戦後初めての選挙による政権交代があって迎える八月ということも重なってか、いつもにも増して考える事がありました。
65年の歳月を経て初めて語り出した戦争体験者もあれば、65年の歳月が戦争体験の風化を招いて断絶を生んでいる場合もあるようです。若い世代が語り部の役割を引き継いでいこうとしている広島のケースは素晴らしいなと思いました。しかし、未来の事を考えますと、断絶の方がはるかに大きくのしかかって見えて打ちひしがれそうになります。
歴史を紐解いてアレコレ知って、考えてみると、国際関係は結局、国内の対立する意見、国論によって決まるわけですから、日本の中の力関係ですべては決まるということが解ってきます。
日本が民主主義国家、主権在民になってまだ65年ということです。もう65年と言ってもよい年月なのかもしれませんが。国民が本当に望む政治を選んでいるのか疑問です。もし、今がそうだとしたら、本当に私たち自身が変わらなければ平和で安心できる生活を手に入れることは出来ないでしょう。
リュックサックに母親の骨を入れていた64歳の息子。死んだ母を弔う事すら出来ない60歳代の貧困問題。世界第2位の経済大国の成れの果てがこんな現実を生んでいるという皮肉。間違いを犯してきたのでは?と考えて普通です。政権交代は国民の総意だったはず。スピードを上げて変えてくれなければ・・・と政治には大いに期待します。
さて、高村薫さんのエッセイの中から一部を引用してみます。

 とはいえ、戦後の冷戦構造という時代背景を差し引いても、戦争指導者たちとそれに連なった人びと、あるいはまた戦後に彼らの責任追及を放棄した国民のそれぞれに、わが身を切る勇気が足りなかったことも確かである。国家が公式に行った戦争であっても、結果的に三百万の国民を死に至らしめたことの道義的責任はやはり、東京裁判を待たずして、私たち国民自身が真剣に追及すべきだったのではないか。それが正義というものだったのではないか。
 いまになって、あらためてそんな思いを強くするのは、国家の歩みとその足跡は、ときどき国民自らが修正してゆかない限り、歪(ゆが)みはさらなる歪みを生み続けるだけで、けっして自然解消されるものではないからである。現に戦後六十五年、日本がどれほど平和を積み重ね、どれほどアジア諸国への援助を積み重ねても、迂回したまま放置した歴史認識が、日本をアジアの外縁に追いやり続けているではないか。
 (略)
 見捨てた家族が悪いのか、見捨てられた本人が悪いのかといえば、両方だが、家族や共同体の崩壊は、昨日今日の社会の変化に因るものではない。共同体とは、むしろ個々の人間が崩壊することで内部崩壊してゆくのだが、端的に戦争によってあいた心身の穴を、日本人はついに埋め戻せなかったのではないか。戦中戦後に自分たちを押し流した奔流について、誰も善悪の決着をつけないまま、個々に不条理の穴を抱えることになった一億人の塊が、今こうして高齢者から少しずつ欠け始めているのではないか。
 言葉で十分に歴史化されなかった戦争は、すでに大半の日本人にとって記憶の彼方になった一方、国として個人として決着をつけるべきことに決着をつけなかったツケが今年、高齢者の所在不明というかたちで回ってきているのだと思う。迂遠な話ながら、これは普遍的な正義を欠いた共同体の崩壊に違いない。