夾竹桃の思い出と小林秀雄賞

 夏の花というと、私にはカンカン照りにも負けずに咲く夾竹桃です。
それも50年も前、阪急宝塚線の十三(じゅうそう)駅に咲く夾竹桃です。高校生だった私は、土曜日毎に、放課後、北千里(阪急千里山線、関大前を通り越しての終点駅)まで個人レッスンを受けに一人で通っていました。その線路際に咲く夾竹桃の恐ろしいほどの花数と暑さをものともしない勢いに驚きつつ感心して、いつもその夾竹桃に励まされるような気がしていました。
去年、フランスへ旅行した時、ドゴール空港からニースへ向かう国内便の空港へ移動するバスの中から夾竹桃の花を見ました。南仏のニースに着いても街路には夾竹桃が、アヴィニオンの法王庁の中庭にも夾竹桃があり、アルルの街中にも、人気のない古代劇場跡にも咲き誇っていました。
先日、プールへ向かう自転車でいつも通る道端に、やはり、夏の日差しに負けずに咲く夾竹桃を見つけました。
帰りに、久しぶりに、唐池公園のなかを通ると、真ん中辺りにも数本。
夾竹桃の花は私に時空を超えた夏の日を思い出させてくれます。


ところで、26日、加藤陽子さんの「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」が第9回小林秀雄新潮文芸振興会主催)に選ばれました。
このブログでも5月24、6月10と12日、3回にわたって取り上げました。その時引用した言葉をもう一度引用してみます。

 私たちは日々の時間を生きながら、自分の身のまわりで起きていることについて、その時々の評価や判断を無意識ながら下しているものです。また現在の社会状況に対する評価や判断を下す際、これまた無意識に過去の事例からの類推を行い、さらに未来を予測するにあったては、これまた無意識に過去と現在の事例との対比を行っています。

 そのようなときに、類推され想起され対比される歴史的な事例が、若い人々の頭や心にどれだけ豊かに蓄積されファイリングされているかどうかが決定的に大事なことなのだと私は思います。多くの事例を想起しながら、過去・現在・未来を縦横無尽に対比し類推しているときの人の顔は、きっと内気で控えめで穏やかなものであるはずです。

最近、NHKや民放でもコメンテーターで出演されている加藤さんをお見かけしました。一層のご活躍を楽しみにしています。