「大阪センチュリー交響楽団」の改称

まず、大相撲の久しぶりの明るいニュースを!
千代の富士の53連勝記録を横綱白鵬が抜いて54連勝です。]
年内にトップ記録の双葉山の連勝記録を越す可能性もあるとか。日本人よりも日本人らしいモンゴル出身のこの横綱が日本の今の相撲界を立派に背負ってたっています。優等生も素晴らしいけれど、落第生がいても面白い。あれから相撲を見なくなったと言う人もいますね。


9月17日(金)の夕刊の記事に大阪センチュリー交響楽団 改称し府から独立 公益法人化」の記事が。

 2010年度からの大阪府補助金全廃が決まっている「大阪センチュリー交響楽団」が、来年4月に「日本センチュリー交響楽団」と改称し、府から独立することが17日、分った。22日に正式決定する。
 府によると、同楽団は早ければ今年11月にも公益財団法人化を内閣府に申請する方針。認定されると公益目的事業が原則非課税になるなどのメリットがあり、当面は基本財産約20億円を取り崩しながら公演活動を継続し、財団運営の安定を図るという。
 同楽団の年間運営費は約7億円、入場料収入などの自前の稼ぎは約3億円。差額は府の助成金で埋めてきたが、府は橋下徹知事の財政改革で09〜10年度の補助金を約7割削減。11年度からは補助金が打ち切られるため、同楽団はスポンサーを公募するなどしていた。(日本経済新聞


まるであの有名な映画、1955年(昭和30年)の「ここに泉あり」(監督:今井正、出演:小林桂樹岡田英次岸惠子)のモデルとなった「群響」でお馴染みの群馬交響楽団の逆?を行くようなお話しです。戦争直後の1945年に「高崎市民オーケストラ」として創設され、翌年「群馬フィルハーモニーオーケストラ」と改称、翌47年にプロ化し49年に財団法人が設立され、63年に現在の名称「群馬交響楽団」になったと沿革に記されています。

大阪府が貧しくなった為ではありますが、心まで貧しくならないように、頑張ってほしいと思いながら、思い出したことがあります。
この「大阪センチュリーオケ」は多分その第1回のコンサートをわが箕面でやったはず、そのコンサートを私も聞いています。
初代の指揮者はウリ・セガルさんだったはず。ところがご縁はとどまらず・・・

昨日、この7月にOFFでお会いしたUKさんのブログを訪ねて驚きました。この楽団の主席コントラバス奏者の追悼の記事でした。( http://d.hatena.ne.jp/katchan/20100918 ) マウンテンバイクでの不慮の事故死のニュースも数日前に聞いていて、音楽家だということでしたが、お知り合いだったとは。9月16日の楽団の定期演奏会の曲目がチャイコフスキーの第6番の交響曲「悲愴」だったそうで、追悼の演奏会となったそうです。

ヒョットして、とチラシのファイルを探してみましたら、ありました! 1990年の3月です。          
デビュー時の名前は「センチュリー」じゃなかったことも判りました。曲目も豪華な組合せ!
府の補助がカットされるので「大阪」改め「日本センチュリー交響楽団」なんですね。名前通り日本中で演奏活動がんばって!!