「粛々外交」って?(尖閣諸島沖衝突事件)

アンデスの乙女が鉄柵を越えて茂っています

      

9月7日に尖閣諸島沖で中国漁船と海上保安庁の巡視船が衝突した事件は、中国での18日の反日デモ(この日は満州事変勃発のきっかけとなった「柳条湖事件」を日本側が起こした日、79年前の昭和6年(1931)に関東軍が陰謀を画策し、具体的には満鉄線を爆破、「中国・張学良軍の攻撃である」と発表した日)を境にいよいよエスカレートし、中国側が次々と打ち出す強硬策に押された形で、24日突然、那覇地検の判断として船長釈放、チャーター機で船長帰国という結末です。
その間、日本政府は「法治国家として粛々と対応する」と言い続けただけです。
いったい「粛々」という言葉は、国際的にアピールする際、英語や中国語に変換する時、具体的にどの様な言葉になるのでしょうか? 折角の国内外アピールのチャンスに「粛々」以外に言葉がないことが残念です。コレこそが外交目的であって、船長逮捕が目的化したことがつまずきの始まりではなかった?

ここで、尖閣諸島のおさらいです。(学校で習わなかったもんで・・・)

尖閣諸島領有権問題とは、台湾(中華民国)と中国(中華人民共和国)が、日本が自国の領土として実効支配している尖閣諸島に対する領有権(主権)を主張している問題である。尖閣諸島は、台湾では釣魚台列嶼、中国では釣魚島と呼ばれている。



日本は、日清戦争中の1895年1月14日から一貫して尖閣諸島を領有しており、沖縄県石垣市に属するとしている。他方、中国および台湾は、尖閣諸島を実効支配していないものの、1895年の下関条約(4月17日)(馬関条約)は侵略戦争によって強引に結ばれたものであるなどとして領有権を主張し、台湾省宜蘭県に属するとの立場をとっている。 しかし日本領土を主張した時期(1月14日)と下関条約が結ばれた時期(4月17日)は明らかに違っている。



しかし、1969年および70年に行なわれた国連による海洋調査で、推定1095億バレルという、イラクの埋蔵量に匹敵する大量の石油埋蔵量の可能性が報告され、結果、周辺海域に石油があることがほぼ確実であると判明すると、ただちに台湾がアメリカ合衆国のガルフ社に周辺海域の石油採掘権を与えるとともに、尖閣諸島に上陸し「青天白日旗」を掲揚した写真を撮らせ世界中の通信社に配信したため、日本政府が抗議した。


当時の琉球政府も、尖閣諸島石垣市に属することを前提に警察本部の救難艇による警備を実施し、接近した台湾漁船に退去を命令する等の活動を実施していた。1970年9月には魚釣島に掲揚されていた青天白日旗を撤去し、米国民政府に保管している。


1971年6月に台湾、12月に中国が相次いで領有権を主張した。その根拠は、尖閣諸島が中国側の大陸棚に接続しているとの主張にくわえ、古文書に尖閣諸島を目印として航海に役立てていたという記述が見られることで、最も古くから同諸島の存在を認識していたという解釈による。ただし、1970年以前に用いていた地図や公文書などによれば両国とも日本領であると認識していたようで、米国の施政時代にも米国統治へ抗議した事実がないことなどから、日本国内では領有権を主張し始めた切っ掛けとして海底油田の可能性が高いと唱えられている。そのため、国際法上以前に黙認によって許容した関係に反する主張は、後になって許されないとする禁反言が成立する可能性も指摘されている。   (Wikipediaより部分引用)

「当初から、船長の逮捕を見送るとの選択肢もあり得たところを、起訴を視野に拘置期限を29日まで延長した数日後の唐突な釈放(日経25日記事)」、日本の民間人が4人も拘束され、アメリカのクリントン国務長官オバマ大統領と外務大臣、総理大臣が会った直後と、いかにも拙いタイミングです(遅いと言う意味で)。
日経でも触れている「逮捕見送り」をせず、今の状況下で逮捕したら中国がどう出るか?を読まず、出方を探るために逮捕したのなら余りに無謀ですし、出方を読んだ上での逮捕なら、余りの腰砕けです。元々、問題にせずと言う道もあった(衝突は7日午前11時前。逮捕は約15時間後の翌日。その間、関係閣僚が協議している=同じく25日日経紙)し、地検の言う「計画性や前科もなく重大事件ではない」という理由ならもっと早い段階で釈放すべきでした。

24日突然の釈放は、誰の目から見ても一地方の検察の判断を越えて、日本政府の政治的判断、背後にアメリカの意向があったと取れます。
日本外交の危機管理の甘さ、民主党の外交の責任とその能力を問われる問題です。特に前原外務大臣
いまだ何事も最後はアメリカのご意向を、では政権交代が泣きますね…  ツルバラのカクテルも
◎「内田樹の研究室」の記事が中国と日本の政治状況の違いを知るのにとっても参考になります。
    < 参照:26日付け「外交について」http://blog.tatsuru.com/> ←クリックしたら入れます
◎ 「中国人船長の拘置延長で抜き差しなら無い事態になった20日、スタインバーグ国務副長官は日中両国に対話を通じた取り組みを促した。 船長の釈放発表は日米首脳会談の直後だった。日本の方針決定の時期は不明だが、一連の接触で伝えられた平和的解決を望む米側の意向が影響したのは疑いない。」(日経25日記事「尖閣が試す日米同盟」)