曼珠沙華、別名ヒガンバナ(彼岸花)が、稲の穂がすでに重たげな田圃と水路の間の畦道に咲いています。
プールへ行く方向とは逆、阪急箕面駅に向かってお地蔵さんの通りを半分ほど下ったところにあります。
今でこそ、残っている田圃(たんぼ)はこの辺りではここだけですが、小学校の頃はこの辺一帯が田圃で、授業でそろって稲の花を見に出かけたのもこの辺りでした。今ではバス道と地蔵どおりと民家とマンションに囲まれています。田圃の横を流れる水路を辿っていくと山の麓(ふもと)の北小学校の東側の大きな側溝です。その上は被昇天の裏の山の中、水源は、才が原あたりかな〜と想像しています。
小学校の横の側溝は暗渠になっていますが、私が小学校の頃はむき出しの大きな溝で身体がスッポリ入ってもまだ大きく、護岸のシッカリした深い小川みたいでした。それがバス道沿いに流れて、途中から南に下り、民家の家を90度に方向転換して芦原池へ注ぎます。直角に曲がる所は、大雨や台風の時、角にぶつかる轟音と水しぶきを跳ね上げる勢いが凄まじくて、学校帰りに皆で遠巻きにして眺めたものでした。
この田圃も、その溝の途中から水を引き込んでいます。この少し先では、箕面川から流れる別の水路と合流して、芦原公園を通って公園の一部である芦原池に流れ込みます。この合流地点、八百屋の向かい側に当たる地点で、街なかを暗渠で流れてきた箕面川の水が、青空の下、水路と一緒になって、小川になります。
ここは今も子どもたちの遊び場で、何年(十何年?数十年?)か前の大雨の後にはオオサンショウウオが流されてきた事もあります。アオサギがじっと一本足で魚を狙っている事も。買い物帰りに覗き込むと魚が群れているのが見えるくらい天然の小川です。
写真は、昔、この辺の溜池を利用して稲作をしていた生きた証の田圃と曼珠沙華です。
◎今日40歳のクルム伊達公子さん、23歳のシャラポワ相手に、昨日余裕の勝利! 1970年生まれだとは!驚きました。白い歯がこぼれて最高に美しい笑顔でした。