「日本・トルコ120年の記憶」

昨日、夜8時からNHKの「かんさい特集」で放送された番組がとてもよかったです。

内容に入る前に、阪神の矢野捕手の引退の話題を。
今年はプロ野球、それも阪神戦をほとんど見なかったので、理由を考えてみたら、城島さんには悪いのですが、キャッチャー矢野が見られなかったからだと気づきました。赤星さんも辞めているし、私にとって今の阪神は蝉の抜け殻みたいです。中学校でソフトボール部のショート、当時阪神のショート吉田牛若丸が私のお手本でした。1985年、日航機墜落事故の年の阪神優勝、岡田、掛布、バースのあの連続ホームランシーンは今も語り草、そして、第11回ショパンコンクールブーニン優勝の年、12月ヨーガを始めた年と思いで深い年の記念の優勝。そして2003年星野監督率いる阪神の優勝。この時以後阪神の捕手は矢野でした。捕手で打者としても凄〜い矢野さん。それまでの阪神選手とは違って細身でスマートさが新しい魅力でした。
涙の引退。残念です。ご苦労様!

「日本・トルコ120年の記憶 〜エルトゥールル号の救出・語り継ぐ子孫たち〜」
▼串本の海に沈んだ軍艦 ▼必死の救助 ▼子孫の思い(新聞番組欄の見出しから)
120年前、明治23年9月16日、トルコの軍艦が串本沖で遭難、死者280人以上を出して沈没。遭難現場に近い樫野地区の住民は夜中、総出で救出。その資料はほとんど残らず、断片的に伝わる証言では、「阿鼻叫喚だった。お祖父さんたちがフンドシ一丁で生死の境の人を両方で抱えて温めて助けた。40mの崖を一人ひとり担いで救出した」という。乗組員69人の命が助かり。死んだ人たちも慰霊祭を行って手厚く葬った。「先祖が正月の米まで出して遣ったことを誇りに思うてる。」
今年1月トルコから海底発掘調査団がやってきた。3年目の最終年。去年は大きな鍋を引き上げ、今年はベルトのバックルや靴が引き上げられた。
先祖代々救出の話を引き継いできた濱野(83歳)さんは、急な崖を降りながら「大きなトルコ人を背たろうて大変やったやろう。この浜へ流れ着いたんや」。濱野さんは関連記事をファイルにして残している。その中に歌い継がれている追悼歌がある。その歌詞のなかにオスマン・パシャの名前が。パシャは、親善使節団の団長で、船が沈む時逃げずに、明治天皇に拝謁した時と同じ正装姿で船と運命を共にしたと伝えられている。

オスマン・パシャの直系のひ孫のオスマン・テキタシュ(68歳)さんも同じ話を伝え聞いている。子供のいないテキタシュさんは夫婦で串本の6月の慰霊祭を訪ねた。街中で出会うお年寄りにも小学生にも曾おじいさんの名前が知れ渡り、今も小学校ではエルトゥールル号の歴史が教えられ追悼歌が歌われ、5年に1度の慰霊祭にも歌い続けられているのを知る。

濱野さんがファイルを紐解きながら語るお祖父さんから聞かされた話は、トルコで自分が曽祖父から聞かされた話と一致する!
二人は握手。救助活動してくれた日本人のお墓に是非お参りしたいとお墓参りにも・・・二人は再会を約して分かれる。
9月、今年「日本年」のトルコ、メルシンという南部の町では調査団が串本沖で発掘した遺品を公開する遺品展が開かれた。
慰霊碑→
                        参照:http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/000200/turkiye/index.html