「核を求めた日本」

朝晩は涼しくなり、秋の花々もそろそろ開花の仕度に入っています。(本日、二つ目のアップです)
  
唐綿のツボミ。朱色が鮮やかです。西インド諸島、熱帯アメリカ原産で江戸末期に日本に渡来したそうです。
もう一つはフジバカマのツボミ。去年は群生していたのが、今年は移動してアチコチからツボミをつけて出てきました。
フジバカマに寄ってくる蝶・アサギマダラの出現が今年はあるのかどうかも楽しみです。


日曜日の「龍馬伝」、土佐の後藤象二郎と掛け合って、土佐藩を反幕に引き込む緊迫した内容でした。いよいよ龍馬暗殺まで10ヶ月となりました。侍出身でない者も兵士にした長州の軍隊。その奇兵隊を創設した高杉晋作も来週で終わります。いよいよ大詰め真近の大河ドラマです。
ところで、NHKを付けっぱなしにしていると9時からの番組が「スクープドキュメント “核”を求めた日本 〜被爆国の知られざる真実〜」
元外務省の村田事務次官が死の直前に明かしたという西ドイツとの核についての秘密協議についてでした。
1964年に中国が核実験に成功しています。この事がきっかけで外務省の一部に日本の安全保障のために核を持つと言う考えがあったということです。
当時、協議を持ちかけられた相手のドイツの元大統領補佐官バールさんは、「驚いた。日本が核を持って超大国になろうとしていると知って驚いた。当時、ドイツ国内が東西冷戦の最前線で、日本とは条件が違うと応じられなかった」と。その87歳のバールさん、今は核廃絶の運動の先頭に立っています。
さて、日本は、結局、非核三原則と引き換えにアメリカの核の傘に入って、それも裏では核持込も認めてしまっていました。もし、佐藤首相が一方で非核三原則を唱えて、もう一方で核武装の考えを持って外務官僚を指導していたなら、本音は核武装で非核は自国民を欺く為だったと言う事になります。日本の政権が非核三原則に徹底姿勢を取らないのは世論の反発を警戒しつつ本音はアメリカの核頼みで国防をということになり、不誠実極まりない政治です。これも日米安保体制に組み込まれてしまった日本の宿命?

世界で唯一の被爆国でありながら、核軍縮の国際会議でもアメリカに遠慮して提案に反対せざるを得ない場面が。佐藤栄作元総理が72年の沖縄返還後の74年にノーベル平和賞を受けたのも非核三原則を評価されてのこと。受賞スピーチでは、世界に向かって非核三原則を呼びかけるつもりだった。ところが、当然?のようにスピーチの内容をまずアメリカにお見せすると、キッシンジャーのご機嫌がすこぶる悪い。結局「核の傘」に入っているせいでアメリカのご意向に逆らってまで世界平和や核廃絶を訴える事は出来ないと、原稿から直前に削除してしまう・・・(とは、情けない)

最後に、村田元外務事務次官が「外交に裏があるのは当然で、国民も理解すべきだ」と言うような意味の事を。昔の外務官僚の方がこういうプライドを持って仕事をしていたという事がよく分る発言でした。でも、あの当時、核を持つことが国民の意思であったかどうか?は大いに疑問です。選挙で選ばれた代表ではない官僚が国家を思って遣っているから許されると考えるのは大変危険だと思いました。「裏があるのは当然」でも、それは民意に沿ったものでなければならないというのが民主主義の基本です。さて、その民意が、覚悟が、問われますね。
原爆の被害を世界に訴えて核廃絶を願う気持ちと、安全保障の問題が未だハッキリしていない。
本当に日本は一つ身を引き裂かれているような気がします。国際的な舞台でも、日本は国家として核の傘で守られながら、国民は核廃絶を願っているというダブルスタンダードの奇妙な国と映っています。理想と現実、と割り切っていいものか? いつも思うことですが、非核三原則を国是とした自立した日本は夢物語なのでしょうか。

関連ニュース:日経4日夕刊記事より

 「核保有検討」調査を指示 外相 / 官房長官は評価避ける」
 政府は4日、1960年代後半に当時の佐藤内閣が核兵器保有を極秘裏に検討していた問題で、外務省が事実関係を調査することを決めた。前原誠司外相が関係部局に指示した。仙石由人官房長官は4日午前の記者会見で「(協議が)どの命令系統の下で行われたことなのか分らない。外務省の調査をまちたい」と述べた。
 政府がひそかに核兵器保有を検討していた当時は、佐藤栄作首相が67年の衆院予算委員会非核三原則を表明した時期と重なる。官房長官は「佐藤内閣そのものに(核保有の)方針が一部にもあったのか、それとも日本の選択を狭めないための一般的な話なのか分らない」と、評価を避けた。