逃げの小五郎・ガラスのハート

昨夜のNHKの夜10時からの番組歴史秘話ヒストリア」、タイトルが「逃げちゃだめだ〜逃亡者・桂小五郎 明治をひらく〜」で楽しみにしていました。ところが、10時を過ぎてもニュース番組が続いています。そうです、多分、ノーベル化学賞を日本人お二人が受賞したことで遅れたのでしょう。
そのお二人、米バデュー大学特別教授の根岸英一氏〔75〕と北大名誉教授の鈴木章氏〔80〕。受賞理由は高血圧薬や液晶材料など多彩な工業物質の製造に必須の合成法を開発した事が評価されたそうです。9月に入ってずっと気の滅入るようなニュースが続きましたので、嬉しいニュースです。
今朝の日経に紹介されていたエピソードが面白い。
<鈴木名誉教授はクロスカップリング反応の特許を出願しなかったことで知られる。同氏は6日夜、日本経済新聞の取材に応じ「我々の時代は、特許を取るにも維持するにもお金がかかり、出願の余裕がなかった」と振り返った。>
ところが、世の中、何が幸いするか分らないのが面白い! コラムのつづきをご紹介。

 ノーベル化学賞受賞者で米スクリプス研究所のバリー・シャプレス氏に以前、鈴木氏は「あなたの反応は特許を取っていないから世界中のいろいろなところで使ってもらえるんだな。おれの(発明した)反応を使ってくれないのはそこなんだな」と言われたという。
 優れた技術を囲い込まなかったことによって、企業が鈴木氏のカップリング反応を自在に使えるようになったともいえる。この反応は今日では「世界で最も普及した日本初の合成法」とされる。


今年は椿の実が鈴生り。種を弾いています。


さて、10分遅れで桂小五郎の番組は、無事、渡邊あゆみさんの快調な語りで始まりました。
桂小五郎の家の門構えは、何年か前萩で見た高杉晋作の家より立派。実家は、医者で、お侍の家に養子に入ったそうです。
池田屋新撰組に襲われた時、30人ほどの中でただ一人屋根伝いに逃げた。それで、「逃げの小五郎」といわれた。もともと、「戈(ほこ)を止める」と書いて武士の「武」、やたら剣を抜いて闘うのではないという教えがお気に入りの心優しい青年だったとか。ところでこの不名誉な評判は、またまた続くことに。「禁門の変」で長州は幕府を敵に廻して200名ほどの犠牲者が。この時も小五郎は姿を消す。
京で馴染みになった芸妓の幾松は10才年下の20才。小五郎を探して長州へ。長州では侍仲間から出石に姿を隠していると言う情報を得て、はるばる出石へ。やっと会えた小五郎は幕府方の探索を逃れて町人に姿を変え、13歳の娘と結婚も。1年がかりの幾松の説得でやっと桂は名を木戸貫治に変えて長州へと向かう。幾松さんが一緒にと誘った年下の妻は身を引く。逃げの小五郎の汚名に深く傷つき仲間に合わせる顔もないと武士を捨てる覚悟だったのかもしれないという。
さて、2歳年下の坂本龍馬に会い、薩長同盟の立役者となり、動乱の幕末、明治維新へと木戸としての活躍が待っている。
龍馬暗殺の痛手を乗り越え、木戸孝允となっても彼はかつての仲間を忘れる事はなく、京都に坂本龍馬のお墓を建て、その周りには志半ばで命を失った仲間を手厚く葬った(現在の京都霊山(りょうぜん)護国神社)。また、敵として戦った元会津藩にも情けを掛けて伊藤博文にかけあって面倒を見たりしている。
45歳で亡くなる時、「東山に」と言い残し、今は神社の中で、倒幕・維新を闘った仲間と共に眠っているという。
豪傑ばかりの偉人伝の中で、傷つきやすい「ガラスのハートを持ったイケメン」(渡邊あゆみさんが番組で…)志士の桂小五郎のエピソードはなんだかハートウォーミングないいお話でした。(イケメンで思い出しました。木戸孝允の顔写真が日本のブロマイドの最初だったそうです。)
今日、先生のお宅で宿題の花をクス球にまとめました。