小学校の同窓会

今日は小学校の同窓会でした。夫の方は昨日、石川県の高校の同窓会。ついでに山の道具を車に積んで、今日は剣岳にテント泊の予定で出かけました。同窓会シーズンでもあるのでしょうか?

北小の同窓会、以前は5年に一度くらいだったのが3年に一度になり、最近では毎年!! 
私たちのクラスは二クラスで、一クラス当時は50名ほどもいたので100人程度の同窓生ということで、参加者は20名。
担任のお二人の先生はご健在で、今回は、男先生が90才の卆寿、女先生が77歳の喜寿のお祝いを兼ねての同窓会になりました。
90才の先生は足は不自由で杖を頼りに歩いておられますが自分で車を運転して来られます。シベリア抑留の経験がおありで、今日は、シベリアのお話ではなくて、台湾の日本統治下で現地の人が覚えた教育勅語が今も生きているというお話が冒頭のご挨拶でありました。隣の女先生が「久しぶりに先生と生徒の関係を見たような」と感想を話しておられましたが、今も現役の「先生」としてお元気です。
一方、私の担任でもあった女先生の方は、私たちが最初の教え子なので、年齢的にも11才しか離れていません。一緒に話していると、それこそ誰が生徒か先生かという状態。、私たちが先生を追いかけているような感じです。
今年は、卒業以来54年ぶりの同窓会参加者が二人も東京から出席という椿事が。去年は53年ぶりという方が横浜から。
やはり男性で仕事を終えて過去を振り返ってという時期が来たということらしいです。
地元にいて毎年のように同窓会をやっていて欠席できない?でいる者は、こういう日が来ると、続けて出席していて良かったと思います。
皆勤の私としては、自己紹介も変わり映えしないので今年は新しく始めた折紙と習い始めたお茶の話をしようと思って折紙の作品をいくつか持参しました。司会者から「年金の話と子どもの話は禁止」という注文がつきましたので、準備して当たり!でした。最後には折紙作品はお土産にもらって頂きました。
小学生時代の3年生から6年生までの3年間を同じクラス、学年で過ごしたということが一生の宝物みたいになるというのは年数が経たなければ分らない事ですが本当に不思議です。今日初めての参加者のお一人は6年生の2学期からということですから、たった2学期間一緒だっただけ。もうお一人は「い組」(私は「ろ組」・未だにこの火消しの組みたいな「いろは」の組名が続いています)で同じく途中から引っ越してきた大きなお屋敷の坊ちゃんでしたので、本人よりお地蔵さんの前の立派な門構えのお屋敷になじみがあったくらいです。それでも、一緒に卒業した同窓ということで懐かしくお話が出来るのは本当に幸せな事です。この方、忘れられていたら困るので証拠写真をと昔のアルバム持参でした。私も確認?させて頂きました。やはり白い襟を出したお坊ちゃまでした。
来年も皆さん元気で叉会いましょうということで4時過ぎ別れました。
健康不安を抱える人も一人ならず、年をとると「元気で」という言葉が切実です。