どうるするの?862兆円の借金!

日曜日の大河ドラマ龍馬伝」は「龍馬の休日」で、暗殺に至る最終盤のホッと一息、お龍さんの最後の出番だったようです。ドラマの後の案内でお龍さんの龍馬亡き後、晩年までとお墓まで紹介していました。「まっこと面白きおなご」のお龍さん、目鼻立ちのハッキリした美人、再婚相手も龍馬ファン?の方だったと聞いています。龍馬、惜しい人を惜しい時期に失ってしまうことになりますが、あと3回になってしまいました。

ところで、その後のNHKスペシャルは「862兆円 借金が…」という何とも中途半端なタイトル。
内容は知っている事とはいえ今さらながらの膨大な想像を超える額の借金、それを棒グラフに表したのが何度も画面に出ますが、恐ろしいばかり。 一人当たり700万円の借金!?

NHKの番組案内によりますと、「2010年度末で、862兆円に達する見通しの“日本の借金”。なぜ、これほどの借金を積み重ねたのか。手がかりとなる財務省の内部文書を入手。旧大蔵省の歴代幹部が、自分たちがかかわった財政政策について語った証言録。かつて“麻薬”と呼ばれ、発行が戒められていた「赤字国債」。それが、なぜ止まらなくなったのか。証言録を糸口に、元大蔵省幹部や政治家を訪ね、日本が借金大国に陥った歴史の舞台裏に迫り、教訓を見出す。」

旧大蔵官僚100人の退官後の聞取り調査で、中には答えることを拒否したり、過去よりこれから先のほうが大切と言った人もいたとか。(メモした中から羅列してみます。洩れている箇所がありますが、気にしないで書いてみます。ミスもあるかも?)

谷村元事務次官(昭和42〜43年):昭和40年に赤字国債に踏み切った後、東京オリンピック後、2000億円不足。赤字国債を。
赤字国債は出したくない。前例は作りたくないと思っていた。」麻薬と同じで「癖にならないように」と思っていたのに何故?



列島改造を唱えた田中角栄総理(昭和47〜49年)は同時に福祉元年も唱え、社会保障の拡大にも乗り出す。老人医療の無料化と年金の増額が大蔵官僚を苦しめることに。田中総理は「金は天から降ってこない」「経済の拡大を!」。
松下元事務次官(昭和57〜59年):「毎年10% 歳出が増えていった」。当時38歳の大蔵官僚として査定の最前線にいた藤井裕久氏は「税収が上がっていくという暗黙の了解があった」。昭和48年のオイルショックは、社会保障に力を入れたばかりの時期。社会保障費は止まらず一兆近く増えていく。藤井氏「社会保障は仕組みなので一旦遣り出したらとまらない」。


昭和50年(1975年)2兆円の赤字国債、再発行。封印が解かれる。財源の裏づけも見通しも無く借金大国の扉を開く事に。
ますます慢性病患者に。借金による思い切った景気対策を(借金返済のための借金)。 福田赳夫総理:11兆円の超大型予算
長岡元事務次官(S54〜55年):「史上最高の予算額で、予算をつけてやるから持ってこい!という勢い。借金へのためらいを感じつつ、予算を増やさねばと思った。日本の国として無理をする必要が有ると感じた。それは昭和53年〔1978年)の西ドイツ・ボンサミットで海外から7%成長の要求があった。日本が経済大国になったと気づいた。日本一国の問題だけではなくなっていた。」しかし、「これ以上借金できない」と考えた長岡は大倉真隆主計局長に相談。「次年より先取りして予算を組む」ことに。これもその場しのぎ。場当たり的判断、問題の先送りにしか過ぎず、麻薬の常習状態。「経済体質まで変化したと言う認識はなかった」。


国民の欲求の多様化と多額の借金、増税は不可避。
大倉事務次官(昭和53年〜54年):昭和53年(1978年)当時は予算の4割近くが借金。危機感を持って大平総理に「消費税を入れるしかない」と。「今年選挙があるんですが」と言うと、大平は「やるんだ」と答えた。柳澤伯夫元大蔵官僚に言わせると「消費税は悪魔のような税制で、ごまかしの効かない税制」。大倉は「いきなりぶつけても上手くいくか自信がなかった」ので、歳出20%のところを13%に押さえた画期的予算を出して国民の理解を得ようとした。昭和54年〔1979年)大平総理解散ー選挙で敗北。柳澤も落選。大倉:「あとからもう一度は無理。観測が甘かった。世の中、甘いものではない。」


平成元年(1989年)消費税3%導入。バブル景気の追い風。4年後、赤字国債発行。
斉藤次郎事務次官(平成5年〜7年):2つの事が印象深い1つは政治との関わり、2つ目はアメリカとの関係。税収は減り続け、財政悪化。ところがアメリカにクリントン大統領が登場、日本へのあからさまな要求が強くなる。アメリカ製品を買うべきという消費拡大の要求と細川政権に8兆円の減税要求を。当時の大統領補佐官ホウマン・カッター氏は「日本の円高財政赤字は知っていたが、関係ない」。
斉藤事務次官:3%だった消費税の引き上げを密かに考えていた。抵抗する細川総理に消費税を社会保障にまわすことで食い下がる。「連立政権の政治層の薄さを感じた。自民なら持って行っても自分なりの考え方に練り上げて外に出すのに、全てがストレートに外に出る、社会党増税と騒ぐし。新生党の小沢氏と図って税率7%の国民福祉税を制度化し消費税を廃止という案で強行突破を計る。平成6年、細川政権の支持率が高かったので「やろうか」ということに。しかし、1日で白紙撤回。減税のみが残る。


二人の官僚の失敗が、国民の税に対するアレルギーを作ってしまった。財政の番人はどうしていたのか?

田波耕治元事務次官(平成10〜11=98年〜2000年):「正直、わからない」。
平成9年〔97年)橋本内閣の時に政治家が「財政構造改革会議」を持ち、当時の与謝野官房副長官が言う「政治主導で財政を立て直す」ことに。大倉:官邸主導の珍しく画期的な会議。
小林武元事務次官(平成9年〜10年):反発が強くうまくゆかないので、政治主導(がよい)と絶えず言った。
消費税が5%に引き上げ。
平成9年〔97年)金融危機不良債権問題。大蔵省が先送りしてきた問題が噴出。
小林元事務次官:「よもや、こんなに発展するとは予想していなかった。何とかなる、まだ大丈夫と期待していた」。


平成10年小渕内閣景気対策、宮澤大蔵大臣ー巨額の減税(財政危機を大きくすると反対したが・・・)
加藤治彦元主計局長:自自連立ー各党の要求を取り入れて予算拡大(介護保険、児童手当、新幹線と…)大蔵省の無力感。
借金を膨張させたのは、どう思っているか? 田波耕治元事務次官:責任があると思う。


NHKキャスター:バブル崩壊後の今日も経済は低迷している。平成10年〜13年の事務次官であった尾原秀夫氏は「どうすればよかったのか、悪夢のように蘇る事がある」と。政権がクルクルと変わり、先送りのくり返しで借金がふえる。借金してでも社会保障を望んだ国民、チェックできなかったマスコミ。

本当に一人当たり700万円もの借金をどうするつもり?と暗くなってしまいます。
大蔵官僚の方たちの言い訳めいた思い出話。官僚任せから政治主導になってからの安定した政権はなかったような。
まともに赤字国債と借金の問題に向き合えば国民の嫌がる増税の話になるということなのか。みんな逃げたいんですね〜。
農業問題や食糧自給問題からも逃げているし。本気で解決しようという政治家があまりに居ませんね〜。
民主党政権交代に期待してガッカリしている今、だからと言って後戻りは出来ないし。
でも、このまま行ってどこへ連れて行かれるのかが解らない状態に不安も責任も感じるし。
ビデオ流出を「月光仮面」だとか「国民は歓迎している」という今の状況、国家の溶解が恐ろしいです。
失われた20年、30年は大きいですね。教育問題も大きいし。とにかく借金、何とかしなきゃ!
赤字に因んでじゃなくて、ヘンリー蔦が紅葉しています。