「安保50年」第一回を見て

昨日のMHKスペシャルの「安保50年」、この一週間、クローズアップ現代国谷裕子さんをお見かけしなかったように思ったらキャスターとして国谷さんがこの番組に出演でした。私はNHKが昨年辺りから内容が大胆になったように感じていました、夫も「やっとNHKが変わり始めた」と洩らすくらいに。そして変わり始めた切っ掛けは安保50年とか韓国併合100年とかの節目に当たる時期と重なった事と同時に、戦後初めて選挙による政権交代を成し遂げた(その結果が今どうであれ)ことと関係があるのでは・・・なんて考えたりしていました。そして今回の番組の内容も期待を裏切らないものでした。

日本一の美しい山、霊峰富士。新幹線で原から富士、三島までの窓から富士山が見えたときはやはり日本人の誇りの山・・・と思ってしまいます。その裾野が自衛隊の演習場になっているのは知っていましたが、13年前の沖縄での戦後最大の基地反対闘争(少女暴行事件が切っ掛け)で沖縄を避けて東富士がアメリ海兵隊の演習場となったという経緯と、イラク戦争で使われ使用規制が問題となっている白リン弾の訓練がなされているという映像はショックでした。

自衛隊の国内基地49箇所、全体の7割を米軍が自由に使えるようになっている。それも国民的議論になる事から避けて「米軍を隠す」方策を日本の外務官僚が提案した形でなされたというのも衝撃というか、情けないというか。だから国民が意識できないわけです。日本人自ら日本人を「誤魔化す」方法をアメリカに持ちかけたというのですから・・・。
官僚がこの国をダメにしている、「官僚支配からの脱却」という政権交代時のスローガンは正しかったし、また現状維持を望む勢力側からは、的を得ていて「危険」だったわけも解ります。だからこその反動が今です。(以下、メモを頼りに私なりにまとめてみます)

さて、旧安保には基地提供する日本に対して、アメリカには日本を防衛する義務の規定がなく、新安保ではアメリカに防衛義務を課すという日本にとっては「改善」されたはずなのに、広範な激しい「安保反対」の国民運動が何故起こったのか?がアメリカには謎でした。これに学んだアメリカは親日派と言われるライシャワー駐日大使を送り込んで1970年に向けて新しい対応を始めます。70年に安保体制を破棄されることを恐れたのです。その対策はお金で住民を分断すること、そして、戦争アレルギーや核アレルギーには「慣れ」てもらうことです。


60年安保改定が成った後、日米安保協議委員会の席上、日本側から富士演習場返還とその代わりに自由に使っていいという「共同使用(joint use)」の提案がありました。東富士農民再建連盟の関係者が証言します。地主には借地料の引き上げで対応(防衛予算から時には一挙に30,40%アップも、20年で15倍にもなる上がりっ放し!)、本質論が語られなくなり、放っておいても上がるという「慣れ」が。


佐世保では、1964年11月12日、最初の原子力潜水艦シードラゴンの入港に6万人の抗議集会がありましたが、アメリカは「核慣らし政策」をとり、事前通告もし、最初は一隻づつ、3ヶ月ごとに定期的に、停泊数も徐々に増やして、確実に「慣らし」てゆきました。長崎の新聞記者が語ります。最初はトップ記事だったのに、扱いは小さくなり、反対集会も規模が減少、参加人数も減り、関心は薄れる。一年後の6回目の入港時にはデモは20分の1になり、参加者は疲れる。アメリカ側の狙い通り「反対勢力は完全に失敗(アメリカ人の発言)」し、原潜入港は普通のこととなった。そして、1968年1月19日のエンタープライズ佐世保入港には全国から学生が集結したものの市民の参加は少なく、アメリカ側の予想通りの結果となった。「核慣らし」40年後の佐世保は原潜入港は当たり前の風景になり、通産307回目の入港は新聞記事にはなるものの扱いは小さい。


一方、東富士でも。1965年、新兵器訓練導入計画がありました。地対地ロケット弾リトルジョンの発射訓練でミサイル基地化が心配されました。日本と極東の平和維持が目的でしたが、ベトナム戦争の拡大と共に米軍施設は拡大。(そういえば、「極東」の範囲が国会でも問題になった事がありましたね。)
1970年(新安保の期限)を控えてアメリカは日本人と上手くやっていく必要があり、アメリカの対応が迫られていました。日本はこの間に高度経済成長を遂げ政治にも新たな潮流が生まれていました。保守的でナショナリスティックでアメリカに敵対的な勢力(当時の中曽根運輸大臣が代表)は自主防衛論を唱え始めていた。アメリカは基地反対闘争の反戦意識と自主防衛論のナショナリズムの両方を警戒した。


モートン・ハルペリン(沖縄返還時に日本側の密使を務めた若泉敬を騙?した…)氏が証言します。「米軍基地を目立たなくさせる」ことだ。1968年7月18日、日米合同委員会で東富士返還が話し合われ、アメリカと秘密の合意がなされました。日本側は基地返還を求め、再び持ち出した「共同使用」で米軍に実質今まで通りの自由な使用を保証したのです。9月12日外務省の一室で会議があり、東郷氏、牛場氏が「Ⅱ4(b)」で大丈夫と保証したといいます。「日米地位協定の第Ⅱ条4項b」は「米軍が自衛隊の基地を一定期間使用できる」というもので、「一定」を「長期・頻繁」にしても構わないとの提案です。


モートン・ハルペリンは言います。米軍は背後に隠れ機能は今まで通り、それに、基地にかかる費用も削減できる。
外務省アメリカ局は米軍を日本の管理下に置いて、星条旗の代わりに日章旗を立てて、国民の目から米軍を隠す提案をしたことに。中曽根氏は、米軍はいずれ日本から帰る、帰る前のステップとして一歩前進ではないかと当時は受け止めたと発言。


あれから40年、今年東富士の米軍演習を事前通告した日数はすでに300日となる。
自衛隊基地の7割以上が「共同使用」となっている。

中国、北朝鮮、ロシアになめられているとか、日米関係が壊れたスキを狙われたという言い方がありますが、私はアメリカとの関係をキチンと出来ない戦後65年を、直近では沖縄普天間飛行場移設での日本の右往左往(沖縄県民・日本国民の沖縄に基地はもう要らないという意志は明確なのにそれをアメリカに伝えられない日本政府)を近隣国はモチロン、世界は見ていると思っています。
友情や他人との関係が結ばれる基本は自立した個人です。国民と国民の友情も基本は自立した国同士です。そして「国家」と「国家」に「友情」はあり得ないのが歴史です。国益第一ですし、それが当然です。戦後15年と新安保体制の1960年から冷戦が終わる1990年までの30年は本当に今となっては仕方がなかったとしても、1990年以降の20年間も自立した日本を私たちが取り戻せないのはどうしたことでしょう。
しかし、この番組を見ていると、アメリカの統治が巧妙に日本人のメンタリティに対応してきた様子が分ります。アメリカの国益にとって現状はこよなく都合がよいのです。私はアメリカが民主主義国家であるという点で、日本国民の意思、市民の総意に銃を向けてまでの圧力をかけてくる国ではないと思っています。そうならないように陰での工作や懐柔や謀略があるのでしょう。
でも、それも見破って、日本人が主権を回復し、自立を望めば、出来ない事はないと思います。フィリピンや韓国でさえ米軍撤退や削減を実現しています。要は、目覚めるか、否か、だと思うのです。お金で自立心をアメリカに買われている、それも自分たちのお金で・・・こういうことに気が付かない限り・・・