読み出した本について

昨日から角田房子の「閔妃(ミンピ)暗殺」を読み出しました。
NHK日韓併合100年を記念して韓国特集のシリーズ番組を制作。色々「批判」や「非難」があったなか、よく頑張って・・・と思った面もありましたが、最後にアレ?と思ったのが、この事件です。NHKの番組では一切触れなかったのです。そして、私は何故触れなかったのかが気になりだしました。いつか知りたいと思っていましたら、この本に出会いました。書かれたのは1988年ですから、もう22年も前のことです。

閔妃(ミンビ)暗殺―朝鮮王朝末期の国母 (新潮文庫)

閔妃(ミンビ)暗殺―朝鮮王朝末期の国母 (新潮文庫)

プロローグには角田さんが何故この事件に取組んだかが書かれています。
1972年(昭和47年)から3年間駐韓大使としてソウルに住んでいた人から聞いた最も印象深い思い出、それは、朴大統領夫人射殺事件(1974年8月15日)で犯人は在日韓国人であった。「あのときの、韓国大衆の日本に対する怒りは激しいものでした。日本はま・た・も・我が国母を殺したーーという声が、あちこちから聞こえてきました。」
角田氏はこの”またも”に疑問を感じ、この元大使から明治28年(1895年)の”閔妃暗殺事件”を教えられます。「大勢の日本人が王宮に乱入して、閔妃という王妃を殺した事件があったのです。日本では殆んどの人が知らないでしょうが、韓国人は日本との不快な事が起きるとこの事件を思い出す。・・・・ 中学生でも知っていますよ。なにしろ小説やテレビ、映画などでくり返し扱っていますから。”閔妃暗殺事件”は、韓国人にとって、”忠臣蔵”のようなものですよ」
その朴大統領射撃事件から8年後、1982年(昭和57年)には教科書問題が起こり、宮澤喜一内閣官房長官〔当時)の談話があった。1965年〔昭和40年)の日韓共同コミュニケにある”過去の日韓関係に対する遺憾の念”を改めて述べ、政府の教科書検定作業においてもそれが尊重されるべきものーーという趣旨だったように記憶しているが・・・と角田さんは、この「遺憾の念」発言を「ひとごと」ではないと考えるようになります。「私自身が、”過去の日韓関係”をどれだけ知っているのかーー。」

私は”閔妃暗殺事件”を調べようと思い立った。90年も前の事件だが、韓国人にとっての”忠臣蔵”であり、国民感情に影響を与えているてんで、私はこれを”今日の問題”として考えるようになっていた。この事件さえ知れば事足りると思ったわけではなく、これを調べればその背後にある日韓関係の歴史も知ることが出来ると考えたのだ。そこには日本にとっての”恥”の部分もでてくるであろう。それを調べるのは私にはつらいことだが、しかし目をそむけてはならないと心に決めた。今のように無知のままでいることは”臭いものにふた”の状態をつづけることになる。その”ふた”の上に立って韓国の人と握手をしてみても、心は通じないであろう。

私も知らないできました。
今、我が家で取っている日経新聞の朝刊に掲載されている小説は辻原登の「韃靼(だったん)の馬」です。江戸時代の対馬藩と朝鮮が舞台の物語で、新井白石が出てきたり朝鮮通信使が登場します。NHKの番組が切っ掛けで読むようになりました。
秀吉の朝鮮征伐以後、徳川の時代になって朝鮮との良好な関係が明治の時代に変わるまではあったといいます。通信士使一行の出迎えの場面は文化交流でもあったといいます。相互交流だったようで、キムチに欠かせない唐辛子は日本から韓国に伝わったのだとか。これは角田さんの本からの受け売り。「1610年代に日本の唐辛子の種子と栽培法が通信使一行によって日本から朝鮮に伝えられた」そうです。
ところで、私たちが持っている「朝鮮人」に対するイメージというのは明治以降から第2次大戦までで作られたもののようです。それが韓流スターブームまでの大方の日本人のイメージであったといえます。
朝鮮人」という言葉には「チョウセンジン」というような響きがありました。「朝鮮人」と大きな声で言ってはいけないような雰囲気がありました。子供心に差別を感じて、使わなければならない時は「朝鮮の人たち」と言い直していましたが、あれは私(たち)世代だけ?
さて、文庫本で450頁ほどもあって細かい字。なかなか時間がかかりそうです。