大震災16年と「中国、日本海に拠点」

今日はあの阪神淡路大震災からまる16年です。隣の両親との朝のコーヒータイムでも話題に。
我が家は、あの日は一月後に会社を辞める夫が最後の業界の会議でどうしても東京へ行かなければならない日でした。
早朝、車で伊丹(大阪)空港へ。道路がガタガタで1時間かかって予定の飛行機は乗り遅れ。ところが1時間後の飛行機が、電車や道路の遮断で乗客が集まらず、空席に乗る事が出来て東京へ無事付く事ができました。大きな揺れの直後に加賀市の弟から地震見舞いの電話が入りましたが、電話はその後不通に。そして、つけっ放しにしたテレビで初めて神戸が大変な事になっていることを知りました。次男はまだ学生で、京都へ行くのに阪急電車は動いてないというのに、歩いて千里へ出て確認に行ったり。「地震がいつあるか分らぬ東京を引き上げて大阪で仕事を探せ」と言われていた長男は、連絡の取れない実家が心配だったと後で。募金に応じたりで震災貧乏になったとも言ってましたっけ。私たちは、阪急六甲と国鉄六甲道駅の間に住んでいたこともあって、二人で4月にJR経由で宮前商店街のあの辺りを訪ねた時は、あたり一面、建物はなく瓦礫と焼け跡になっていて、息をのみました。戦争中の空襲を知らない私でも、きっとこんなだったんだろうと思いました。
あの時から、夫は転職に次ぐ転職を重ねて、今の仕事も8年目、何とか68歳を2月に迎えて現役です。幸運に感謝し、犠牲になられた方のご冥福を祈りたいと思います。また、今も後遺症に苦しむ方たちに行政の温かい支援が届くよう願っています。

さて、16日の朝刊(日経)の5面(「国際」頁)にかなり大きく「中国、日本海に拠点」の記事が。

「アンカー」の青山繁晴氏の東アジア再編について先日取り上げたところだったので、この記事に興味が。

「中国が北朝鮮を介して日本海に進出する動きを本格化し始めた。
韓国紙、朝鮮日報によると、中国軍は北朝鮮経済特区日本海に面する羅先(ラソン)市に進駐した。
中国が同市にある港湾の商業利用を開始したことも明らかになった。
日本海に出口を得た中国の存在感が高まるのは確実で、北東アジアの安全保障面にも影響を与えそうだ。

「識者コメント」欄によると、「マラッカ海峡に依存するリスクを少しでも分散するために、欧州から北極海を経てベーリング海を通り日本海へ抜けるルートを開拓しようとしている。」そうです。

中国・吉林省揮(王へん)春市の当局者は日本経済新聞に対し、羅津港から中国産の石炭を出荷したことを明らかにした。昨年12月に約2万トンが陸路で北朝鮮入りし、羅津港で荷積みされた貨物船が今月14日に上海に到着した」そうです。「中国東北部吉林省黒竜江省は海に面しておらず、食料などの積み出し港は遼寧省の大連を利用してきた。揮(王ヘン)春市と羅先市は昨年、中朝国境を流れる豆満江にかかる橋を改修し、羅津港へ通じる道路整備も進めている。当面は中国屋内向け輸送を中心とする見通しだが、日本や韓国向けへの輸送も視野に入れ、出荷能力の拡大を狙う。

青山氏の予測では、北朝鮮が崩壊した後は南北朝鮮統一ではなく、南北別々の連邦(「統一高麗連邦」という名称まで挙げておられます)にして、北は中国の支援を続けてもらえるようにというシナリオがあるというお話でした。
しかし、このニュースを読むと、中国にとっては北朝鮮の現状維持が国益ととれます。崩壊して難民を抱えることも、北が南に吸収されることも望んでいないでしょう。北にとっても中国の支援は国家としての存続に関わる大事、一層の協力関係が進みそう。で、中国も北朝鮮を支援して、そう簡単に崩壊しないようにするでしょう。しばらく現状維持が続く可能性も大? 
軍事的脅威を煽る方向ではなく、日本はあらゆる可能性を考えて、平和的に対応できる準備が大切だと思います。
それに、大陸から見た日本の地図がまるで日本海を湖のように囲んで見えるということが現実味を帯びてきます。
いつまでもアメリカを通してのみアジアを見るのではない日本独自の視点というか視線も大切にしたいです。
松岡正剛さんの平城京モデルを今に活かす工夫をしなくてはということですね。