静かな朝、ヒョットしてとカーテンを開けると雪景色。道路も瓦屋根も白くなっています。
雪の朝のしぃ〜〜んとした独特の静けさは、どうしてなんでしょう。雪が物音を吸収するせいなのか?
大雪で困っておられる地域の方には申し訳ない程度です。
鈴生りのウィンタークレマチス、この寒さで今年は咲けるのかしら・・・
と半ば諦めていましたが、今朝、雪のお陰で外に出てみましたら、少し、開きかけています。
明日の深夜、カタールのドーハではサッカーアジア杯の決勝戦ですが、先日の韓国戦の余韻が続いています。
角田(つのだ)房子著「閔妃(ミンピ)暗殺」はいよいよ暗殺決行の時を読み始めています。
行け行けドンドンの当時の日本、政治家や知識人やメディアが煽り、一般国民が熱くなってしまっている当時の世相。福沢諭吉の「脱亜論」、(昨年のNHKのシリーズでも問題になっていましたが)、その「脱亜論」発表の5ヵ月後、「時事新報」に掲載された「朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す」という社説(発行停止を命ぜられています)でも、余りに独りよがりな文明国、先進国意識に驚きます。福沢諭吉が元幕臣でありながら明治政府に協力した勝海舟を非難したことはよく知られていますが、朝鮮についても二人の考え方は対極にあったようです。
「日清戦争を”不義の戦争”と呼んだ勝海舟は、近代日本の進路を誤りと断じ、伊藤、陸奥、福沢に対しても批判を向けている。勝は日本が”西洋型近代国家”になることに反対し、アジアの同盟を構想した。したがって、アジアから脱して西欧諸国と進退を共にして、アジア諸国とは西洋流に接してゆこうという「脱亜論」の福沢への風当たりは強い。」(297〜298頁)
当時の「脱亜論」が今の日本にとっても韓国にとっても過去のものとなっている事を示すニュースを。
一つは先日のドーハでの日韓戦の後の記者会見の席上、韓国チームの監督が選手への感謝の言葉を述べた後のことです。<会見の終了間際、監督は記者を引き留めるように「最後にひと言。日本におめでとうを」と延べ拍手を送った。死闘をともにした宿敵へのエール。そんな監督に会見場から温かい拍手が返された。>(日経26日朝刊より)
もう一つは、「2001年にJR山手線新大久保駅で酒に酔ってホームから落ちた男性を(一人の日本人男性とともに)助けようとした韓国人留学生、李秀賢さん(当時26)が死亡して10年の26日、偲ぶ会が都内であった。」人助けに身を挺した二人の男性、特に「日本と韓国の架け橋になりたい」という志を持って学んでいた外国人留学生の死とそれを10年間も両親を呼んで顕彰し続けた皆さん。ご両親は寄せられた寄金から10年間に多数の韓国人留学生に奨学金を渡してきたそうです。