「さようなら、『ゴジラ』たち」

加藤典洋著「さようなら、ゴジラたち」(岩波書店)というタイトルの本の副題は「戦後から遠く離れて」となっています。
その中の「さようなら、『ゴジラ』たち」にも副題がついていて、「文化象徴と戦後日本」となっています。
ゴジラ映画は「1954年に封切られて、その年、961万人の観客を動員した」。
その後シリーズ化され、以後50年間、2004年の作品まで28作が作られ、その合計の観客動員数がだいたい9920万人。封切り時に総人口の約一割を越え、50年間でほぼ全人口の94%以上の日本人をこの映画がひきつける理由とは・・・で始まります。
ゴジラ」が封切られた1954年の3月には「ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験があり、第五福竜丸被爆し、乗組員の久保山愛吉さんが死亡」した年。映画のプロデューサーは昔見た「キングコング」ともう一本のハリウッド映画と、水爆実験に対する抗議の気持ちとから、この映画のゴジラという怪獣を構想したと言っている。監督も、中国大陸で兵士として過ごし、原爆投下直後の広島も目撃した体験から、戦争はいやだ、繰り返すべきでない、原水爆実験にも反対だ、という気持ちをこめてこの映画を作った。だからと言って、反戦が、第一作はともかく、その後50年間28作も作られ続けた事実の説明にはならない、と、ここから著者の解明が始まります。

登場人物の心理分析から、何を象徴しているかという、文学から始まっての、綿密な「読み解き」が語られます。
まあ、作家というか、文芸評論家というか、思想家という方の思考のもの凄さに感心してしまいます。
ゴジラ」は、結局、著者によると「戦争の死者の体現物」であるとされ、「不気味なもの」が一旦は撃退され、殺されるものの、これを「衛生化、無菌化、無害化」のために繰り返し作り直され、「かわいく」される、「ハローキティまであと一歩」として、次の論考につながるのですが、その前に、著者は「もしももう一作、ゴジラが作られるなら」とアイデアを披露します。品川沖から東京に上陸したゴジラの行き先は、これまで行かなかったところにしたいと、この論考の締めくくりの2行の1行目が、この本の帯に書かれている「行き先は、靖国神社。」なのです。

次の「グッバイ・ゴジラ、ハロー・キティ」は日本の90年代後半からのサブカルチャー文化を特徴づける「かわいい(cute)」文化についてです。イラストのキティちゃんに、なぜ、口が消えているのか、ミッキーマウスに取って代わって今なぜ日本のキティちゃんなのか、の読み解きなど、な〜〜るほど学者というのはこういう風に読み解くのか〜〜と感心してしまいます。

「あとがきに代えて」の「『壁のない世界』の希望」は現在の私たちが直面する状況を言い当てています。
「壁」というのは、ベルリンの壁であって、かつては壁を挟んで相互に壁の彼方に夢を描いていたが、今やその壁が消えて、お互い壁の向こうが「見える」ことになって、夢(理想)は消え、残るのは幻滅。

9・11を機に、世界の本当の矛盾 − 南北の格差、文明間の対立、資源・環境・人口の有限性の問題 − が露頭し、せり上がってきた。」「『おおきな夢』は消えたが、それに変わり、いま生まれようとしているのは、『おおきな気がかり』である。地球というもはや壁のない世界に対する大きな『心配』が新しく生まれたきたことを、9・11は、自らとその後に起こった事柄とを通じ、われわれに教えているのである。」


「この先は、長く、この長い行路こそが、思想と言動の試される場所である。しばらくは、もっと手前の『小さな手がかり』からはじめ、『大きな気がかり』が一つの概念に育つよう心がけたい。眼前にせり上がってきた問題に心をつかい、つねに現状変革を模索すること。これが、壁と夢のない世界に、なお希望を育てるカギである。」

 この「あとがき」から引用した部分に私は希望を感じます。