ロミー・シュナイダーのシシー!

お天気の良い土曜のお昼は、久しぶりに息子が腕を振るってのタラコ・スパゲッティです。
薄皮を剥いだ明太子やタラコに、湯煎したバターとお酒を足して、茹で汁を切らないパスタと混ぜ合わせ、トッピングにネギと海苔を用意して、サンルームのテーブルへ。夫はイタリアの白ワインを用意。小皿に、鮭の身と卵(イクラ)の麹漬けとナスの漬物も用意して、ランチです。
さて、午後からは水中歩行へと思っていたのですが、何気なく見たBS2の番組表に「プリンセス・シシー」の文字。
1時半から何と連続で3本、シシー・シリーズです。勿論、ロミー・シュナイダーです! ドイツの国民的アイドルと言われた映画スターで、アラン・ドロンと婚約して話題にも。長い婚約期間の末、結局、別れ、その後、2度の結婚、息子を交通事故で亡くしたり、若くして亡くなった大スターでした。
シシーは1937年生まれのバイエルン・ミュンヘンの貴族の娘エリザベートのことで、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフの皇后(16歳で!)となります。小説や映画の「うたかたの恋」(マイヤーリング)で有名なルドルフは息子。皇太子亡き(1889年)後は喪服で過ごし、旅先のスイス・レマン湖のほとりでイタリア人アナーキストに心臓を刺され殺害されたのが1898年。身長172cm、ウエスト50cm、体重50kgの体形維持のため城内には色んな美容体操?器具が備えてあったとも。従兄の子にあの「狂王」と言われ、ワーグナーのオペラの世界に心奪われたバイエルン王ルートヴィッヒがいます。
3時15分からは「若き皇后シシー」、5時からは「シシーある皇后の運命の歳月」となって、どうも3部作のようです。これは、困りました。7時までかじりついているわけにはいかず、2時過ぎから3時半まではプールへ。ということで懐かしい、といっても映画雑誌でのみお目にかかって、映画は一本も見ていない、(と思っていましたが、どうも、後年、ヴィスコンティの「ルードヴィヒ神々の黄昏」でもシシー役を演っていたような…)ロミー・シュナイダーを見ることに。
なるほど美しい! 若い頃は四角い顔の女優さんで美しいとは思わなかったのですが、輝くような美しさ!
シシー(エリザベート)は実物を写真や肖像画 よく知っていますが、髪の毛の結い方や衣装もソックリ! 何よりも、一部のフランツと結婚するまでのバイエルンの乗馬好きの自然児シシーのなんと魅力的なこと! コチラを最後まで見るべきだったかも。
二部は、結婚して皇后になって、女の子を出産、ところが皇太后との確執から子供を奪われ、シシーは、馬車で実家のバイエルンに向かう。優しい母を演じるのはロミーシュナイダーの実母だそうです。
三部は、皇后としてもやはり国事よりは旅行が好き、そして、ハンガリーとの特別な関係。2000年に今は山口にいるWさんと元オーストリア・ハンガリー帝国中欧旅行に行ったとき、ウイーンの森にルドルフ皇太子の最後の館を訪ねたり、ハンガリーではとても好かれていた皇后を記念したエリザベート橋を見たりしました。そのハンガリーの場面で、ロマ(ジプシー)の占いの女性に手相を見てもらって、シシーには「幸せな人生」と言って、本当は「お気の毒に、お辛い人生を送ることに」という場面があります。実際のシシーの過酷な運命を知っているだけにここは辛いし映画がドコまで描いているのか気になるところです。
実際には、ハンガリーから帰って、肺の病を宣告され、地中海のマディラ島で療養生活に、母が駆けつけ、奇跡的に完治。その後、統一運動が激しくオーストリアには厳しいイタリアへ夫のフランツ・ヨーゼフと訪ねるシーンが当時のハリウッド映画に対抗するかのように豪華絢爛。スカラ座での貴族の抵抗やヴェネツィアの運河航行シーンやサン・マルコ広場での娘との再会のシーンなどを通して、最後は歓呼の声を勝ち取って映画は終わるのですが、悲劇的な最期が前提のつかの間の幸せなシーン、やはり哀しいです。

運河の行幸シーンでは、イタリア民衆の無視の中、二人は直立不動のまま会話を。「だから私はイタリアは来たくなかった」という后妃。フランツも「だからラデツキー将軍にやり過ぎるなと言ったのに」と云うようなことを。
「ラデツキー」! そう、ウイーンフィルのニューイヤーコンサートでフィナーレに演奏されるヨハン・シュトラウス作曲の「ラデツキー行進曲」のラデツキーです! 畏まって聴いていた聴衆も、この時ばかりは手拍子で演奏に参加。指揮者もオーケストラを背に聴衆に向かってキューを出し指揮したりします。ラデツキー将軍は、ハプスブルグ家の軍の重鎮として北イタリア方面を任され、イタリア人の抵抗と反乱を武力で鎮圧した1848年の大勝利に、オーストリア側ではその祝勝を記念する曲まで捧げて祝ったというわけです。
でも、今は恨みっこなしで、イタリア人指揮者(アバドムーティ)がウイーンフィルを指揮し、世界中の音楽ファンが手拍子で応じる平和な時代になっています。因みにニューイヤーコンサートは1939年スタート、「美しき青きドナウ」と「ラデツキー行進曲」が演奏会のラストにアンコールで必ず演奏されるようになったのは第二次世界大戦後。また「ラデツキー行進曲」での聴衆による手拍子や演奏者の新年の挨拶が行われるようになったのはヴィリー・ボスコフスキー時代(55〜79年)から。
それにしても、長生きはするものです。昔、見逃した映画を、今頃、見ることが出来て、時間を取り戻せます。