1100年前の貞観(じょうがん)地震

NHKの「サンデースポーツ」で知ったのですが、日本産の馬がドバイの競馬で優勝したという嬉しいニュースでした。
月曜の新聞の写真  騎手は「昨年の皐月賞有馬記念を制したミルコ・デムーロ」とか。
ドバイ・ワールドカップは「今年で16回目と歴史は浅いが、世界最高の高額賞金<1着賞金600万ドル(約4億9000万円)>で世界屈指の大レースに成長」とか。競馬に疎い私ですが、ニュースで見る走りっぷりには驚きました。最後尾から追い上げて一気に先頭に出て、そのままゴール!
2着のトランセンドも日本人騎手藤田伸二騎乗の日本馬。日本産の馬二頭がワン・ツー・フィニッシュ! 優勝したヴィクトワールピサに騎乗したデムーロ騎手は、腕に喪章をつけていて、優勝インタビューは涙ながらでした。「頑張ろう!日本」です。

ところで、タイトルに挙げた貞観地震(じょうがんじしん)についても27日(日)の日経新聞記事から取り上げてみました。
津波警鐘間に合わず」「対策促した研究者ら落胆」「あと数年あれば・・・」という記事から。
茨城県つくば市にある産業技術総合研究所の研究チームは東日本大震災の発生前に、沿岸部の地層調査などから巨大津波に襲われる可能性を指摘し、対策を急ぐように警告をしていた。研究者は「あと数年先なら、もっと手を打てたはず」と肩を落としている」という記事です。

研究チームが調査を始めたのは2004年。東北では三陸海岸がたびたび津波被害を受けた歴史があり、専門家の間では古文書の記載などから869年の貞観地震仙台市なども巨大地震に襲われたと推定されていた。


宍倉チーム長らは古い地層に残る痕跡から巨大津波の詳細を明らかにしようと計画。ジオスライサーという特殊な器具などで宮城県福島県茨城県などの約400ヶ所の地層を採取した。


この結果、9世紀ごろの地層に、津波によって海から内陸に運ばれた堆積物を確認。石巻では海岸から少なくとも約3キロ、仙台は約2キロ、福島県沿岸は約1・5キロが浸水していたことが明らかになり、最低でもマグニチュード8・4程度の大地震が起きた、と結論付けた。


その後の調査で、15〜16世紀にも、東北から北関東の太平洋沿岸の少なくとも約200キロの範囲で巨大津波の被害があったことが判明。宮城・福島沖では450〜800年程度の周期で巨大津波が発生しているとして、学会などで警告していた。

研究で明らかになった巨大津波の危険は、昨年夏の月報(産業技術総合研の)でも紹介し対策を急ぐよう呼びかけ、政府の地震調査研究推進本部も今年春の改定で国の防災対策の基になる「地震活動の長期評価」に反映させる準備をしていたところだったとか。宍倉チーム長らは自治体の防災担当者らにも訴えたが、反応は鈍く、東京電力も昨年、福島県沿岸部で古い津波の痕跡を調べ始めたが、原発の対策強化にはつながらなかったそうです。

記事の中の「古文書」に当たるところは、Wikipediaではこう記されています。「陸奥国城下が壊滅的被害を受け、津波で平野が大海原になり、溺死したのは約1000人と『日本三代実録』に記録されている。陸奥国城下は多賀城と推測されており、多賀城市の市川橋遺跡からは濁流で道路が破壊された痕跡も発見されているが、はっきり明記されているわけではないので異説もある」、「記録通り仙台平野に海が溯上した痕跡があるが、この痕跡はこの地震以外にも複数存在することが分かっている。その痕跡から判断した場合、超巨大地震による津波により仙台平野が水没するという現象が約1000年間隔で繰り返されているとされる」。
貞観地震は、1707年の宝永地震(M8.6)と並び日本史上最大の地震とされる。貞観3年(861年)には世界最古の目撃がある隕石が落下。貞観6年(864)には富士山が噴火しており、この時代は天変地異が相次いだ。」 と紹介するサイトもあります。近い内に富士山噴火という噂もここから来ているようです。
宝永地震というのは、江戸時代の宝永4年10月に起こった東海・南海・東南海連動型地震で、今回の3・11東北地方太平洋沖地震までは、記録に残る日本最大級の地震だったそうです。
富士山噴火はともかく、三陸沖の巨大地震450〜800年、あるいは1000年周期説が信じられていれば、巨大津波の広報活動が間に合っていれば、と残念です。