トリプル災害から考えること・・・(原発と日本人)

7日の深夜に、震災後最大(震度6強)の余震がありました。
もう直ぐあの大震災から1ヶ月を迎えるという時に、この余震にしては大き過ぎる地震は、せっかく立ち直ろうとしている被災地の人々には本当にお気の毒です。今回は、津波はなく、いっせいに停電し、東北電力最北端の東通原発と、女川原発の外部電源が一時途絶えたということです。
地震津波までは天災で仕方がないと耐え忍ぶしかありませんが、人間の作った原発の事故はやはり人災です。
今さらながら、人類は、いえ、日本は、禁断の果実に手をつけてしまったのだな〜という感じがします。
こんなに危険なものを地震国の日本に本当に安全だと思って50何基も作って・・・  反対している方たちが居たのも知ってはいましたが、大多数の私たちは、深く考えもしないで電気の恩恵を受け続けていました。その報いを、今、受けているような気もしています。
私は今、地震の被災地に居るわけでも、放射能の汚染地区に居るわけでもありませんが、南海地震はいつ起きても不思議は無いといいますし、関電の原発依存率は東電の30%を上回る50%だといいますから、いつ何時という不安はあります。問題の先送りは政治家だけではなく有権者もそうですし、原発で利益を得てきた企業だけでなく、電気をふんだんに使って便利で豊かな生活を求めてきた私(私たち)も、不都合な事には目を向けず問題の先送りをしてきたように思います。
8日の日経の社説の後段では「原発事故『レベル6』に見直せ」と題し「原子力安全・保安院は、福島第1原子力発電所の事故の深刻さを直視し、国際的な評価尺度を、レベル5(施設外へのリスクを伴う事故)からレベル6(大事故)にただちに引き上げるべきだ。」と主張しています。
保安院は3月18日、暫定評価として、米スりーマイル島事故と同等のレベル5と発表した。これまでの最大の事故は、広範囲に大量の放射性物質をまき散らした旧ソ連のチェリノブイリ事故で、レベル7(深刻な事故)だった。国際原子力事象評価尺度(INES)は、原子力事故やトラブルの深刻さを知る世界共通の物差しだ。福島第1では、水素爆発や火災で大気中に放射性物質が放出された。さらに、原子炉内の壊れた核燃料に接し、強い放射能を帯びた水が外部に漏れだし、一部は海にも流れ出た。正確な漏出量などは現段階では不明だが、レベル5を超え、少なくともレベル6であると国内外の多くの専門家が指摘している。・・・・情報開示の不足が不信と混乱を招く。」
やっと新聞も、先日の讀賣についで日経も、情報開示を求めるようになってきました。
今や、日本国の信用問題になっていますし、海洋汚染の犯罪国家になりかねない(既になっている?)事態です。
政府が作る安全チェックのお役所が体をなさないということは、私もこの家を経てる30年ほど前に体験しました。住宅金融公庫を利用すると、建前が済んでしばらくするとお役人が来て建築基準通り建てられているかチェックに入ります。ところが工務店の社長さんが全くバカにしています。建築の事なんか何も知らん者がやってきて見るだけ、手抜きしても袖の下を渡せばすぐ通るというのでした。バカにする棟梁を、「間違ってる、嫌な人」と思いましたが、バカにされるお役人も情けないと思いました。私もまだ若く、世の中を知らないで額面どおり受け取っていましたし、信じてもいました。
でも、その後は、耐震設計の問題で同じことが起こり、今度は原発です。お役所の仕事は、全く「お役所仕事」が現実でした。そういう日本の現実に気がつき、大きな仕組み自体を変革しない限り、この国は良くならないと大多数の人たちが政権交代を望みました。その結果、今私たちが直面しているのは、変革の願いを飲み込む反変革の大きな力です。今は、民主党も2年前の民主党ではなく、バラバラになり、変質して「元通り」どころか、通り越してしまっている分野もあります。元政権党の自民党もバラバラ、野党として国民の期待に応えているとは言い難い。そんな時に、この地震津波原発放射能)のトリプル大災害です。

日本人は、一人ひとりは真面目でしっかりした意見を持っていても、組織となると「長いものに巻かれろ」意識や「その場の空気」を読んで、異なる意見は胸にしまってしまいます。その結果、肝心の問題では見事に皆そろって責任逃れをしてしまい、組織として誤るということがあります。過去の大きな例では、戦争の時もそうだったといいます(昨年のNHKの海軍さんの番組)。会社や所属する組織でそういう場面を経験されている(元)サラリーマンや、(元)責任ある立場だった方もおられるはず。私も会議では、通らなくても意見は言おうと努めてきたつもりですが、それでも、もういいや、どうせと諦めたりしたことも数多くあります。やはり、諦めてはいけないと思います。これからは、個人としても組織としても少しマシな新しい日本人、新しい日本に意識的に変わっていかなければならないように思います。
個人が生きる組織にしていくこと、そして、リーダーの選び方も考え直す必要があるようです。本当に指導者に相応しい人が選ばれるような組織になっているでしょうか。私の経験では、なって欲しい人は固辞し(逃げる?)、なって欲しくない人が喜んでトップになる組織もあるようです。仕方が無いと諦めていましたが、結局、足元がそうだから、国のトップもそうなってしまっているような気がしてきました。日本が変るのは、こういう末端から天辺までが変わる時ですね。
今はもう高齢者の介護世代に入る私ですが、若い人たちに希望をつないで明日の日本を夢見ています。がんばろう、日本!


昨日は駅前のビル(サンプラ)の地下で「生け花」展がありました。
私が習っているお茶の先生は未生流のお花もやっておられて作品を出展されていますし、
そこのお茶席のお当番だという事で、お茶仲間のNさんに誘われて午後から出かけました。

その後、3月27日から駅前に足湯ができたと聞いていたので、回り道を。阪急の駅の段差が無くなっていました。
元のタクシー乗り場の向い側、花樽がいくつか置いてあった場所に「駅湯」が出来ました。
チラシの「足湯三姉妹」によると、JR九州の「由布院駅」と京福電鉄の「嵐山駅」があるそうです。
ガラス越しに楽しそうに足湯に浸かっている人たちが見えました。「青い地球」の像は撤去され市役所前に移設されました。
まだ工事中でガラっと変わりそうです。駅を通り越して、大きなお屋敷裏の小さな隠れ家ショップをNさんに紹介しました。 前回と違って入り口左手もギャラリーとなり、ある作家さんの作品展が。
昔の生地を使用しているんですよ〜と若い店長さんが。なるほど、若い頃に流行ったサイケ調のガラです。
マツゲは皮製とか。大きな唇がカワイイとは言えない面白い雰囲気です。