内閣参与・「原発対応」抗議の辞任

やっぱりというか、こういう人が出てこなきゃ、日本も救われません。
内閣官房参与の小佐古敏荘(こさこ・としそう)東大大学院教授は29日、菅直人首相宛てに辞表を提出。衆院議員会館で記者会見し、政府の原発事故への対応を「場当たり的で法にのっとっていない」と涙ながらに批判しました。小佐古氏は放射線安全学などが専門で、3月16日に事故の対応に当たるため参与に就任していた。
日経朝刊一面に記事となっていますので引用します。(辞意表明全文はPSに)

政府の原発対応を「場当たり的な対応で事態収束を遅らせている」と批判した。


特に緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の運用に関して「計算結果が使用できる環境にありながら、きちんと活用されなかった。データを隠さず開示すべきだ」と主張した。(このシステムについては3月21日のブログでもふれました)


そのうえで「法令に定められている手順通りに運用されておらず、結果も迅速に公表されていない」と抗議した。


小学校などの校庭利用を制限する限界放射線量を年間20ミリシーベルトに決めたことについては「20ミリシーベルト近い被曝をする人は約8万4000人の放射線業務に従事する人でも極めて少ない」と疑問を投げかけた。同時に「容認したと言われたら学者生命が終わりだ。自分の子どもにそうすることはできない」と見直しを求めた。

この校庭利用の放射線量基準引き下げ要求に対して、細野豪志首相補佐官は29日夜のTBS番組で、<「政府の最終決断だ。下げる努力はしていく」と変更しない考えを示した。原発事故に関しては「長い目でみて苦労するのは2号機だ。圧力抑制室に穴が開いているのではないかと見られており、工程が大変だ」と語った。(同じく日経2面より)>とあります。

ついでに、日経の「新しい日本を創る」と題された囲み記事でシリーズなのでしょうか1となっていますが「社説」です。
「3・11は戦前と戦後をわける8・15に相当する歴史的な転換点だ。現在を「ポスト戦後」ととらえ、新しい日本を創るきっかけにすることが求められているのではないだろうか」と書き出しは威勢がいいのですが、中段で「再生のためには経済の成長が欠かせない。エネルギー政策を転換し、成長にこだわらない考えもある。はたして、それでいいのだろうか。いまさら昭和20年代や30年代の生活にもどれない」。「豊かで自由な国で生きていくために」、「大震災を踏まえた新たな成長戦略をおしすすめなければならない。キーワードは成長。」「大事なのはオールジャパン、挙国一致」「公助に頼らず共助」と、な〜〜んだとガッカリです。
いつか聞いた言い古された掛け声ではありませんか。日本経済新聞社が考える「新しい」とはこういうこと? 
そういえば、真ん中の大見出しは「成長と連帯の旗を高く掲げよう」でした。
エネルギー政策に関しては「闘い」が待っています。「成長」は何のための、何に向かっての成長なのかの考え方の闘いであり、生活全般を見直す闘いであり、国のあり方を変える闘いでもあり、その闘いに勝たない限り新しい日本は生まれないでしょう。闘いは私たち自身の内心の闘いでもあります。その結果が20年前や30年前の日本になるというのは後戻りであって「新しい」とは言わない。真に「新しい日本」は前途多難だな〜と思いますが、原発推進の国の方針に逆らえなかったエリートの人たちの中から、小佐古氏のような、勇気ある日本人が真実を語り始め、勇気ある行動を取り始めれば・・・と希望がもてます。


昨夜のロイヤル・ウェディング、西洋の王子様とお姫様の結婚式、見てしまいました。
ケイトさんが愛称から本名のキャサリン妃に。バッキンガム宮殿バルコニーでの中継はNHKでしたが、
途中地震速報が入りました。余震が続く日本の現実です。


PS:小佐古氏の辞意表明全文を掲載しているブログを見つけました(カーソルを置いてクリックすると入れます)
     (http://junta-enviro.blog.ocn.ne.jp/seasons/2011/04/post_d59b.html