「アメリカに甘える時代は終わった」(文藝春秋4月号)

カレル・ヴァン・ウォルフレンの「アメリカに甘える時代は終わった」の後編が文藝春秋の4月号に掲載されています。隣の父が読み終わった前月号が手元に回ってきました。ちょうど、日本とアメリカについて考えている時でしたので早速読んで見ました。そういえば、前編を読んで、直ぐ後編を読みたくて父に頼みに行こうと思ったまでは覚えていますが、母の圧迫骨折のためだったか、その後のことも、前編の内容も思い出せません。3月号は、つい先日の子ども会の回収に古雑誌として一緒に出してしまっています。
井上ひさしの「日本語教室」にも書かれていたことですが、眼ですべての物を見ているが、自分の眼だけは見ることが出来ない。日本語について日本語で考えることは至難の技だということです。私も沢山の方たちと色んなことを語り合った経験から、自分以外の方たちの感想や意見を知ることによって何が解るかと言うと自分の感じ方であり考え方、すなわち自分なのだという体験をしました。日本を知るためには外国人の意見を聞いてみるのも有効かと思います。
カレル・ヴァン・ウォルフレンの著書は「日本/権力構造の謎」1990年早川書房、「人間を幸福にしない日本というシステム」1994年毎日新聞社、「なぜ日本人は日本を愛せないのかーこの不幸な国の行方」1998年毎日新聞社などが有名? この記事を書くために検索したら公式ホームページがありました。詳しくはコチラで:http://www.wolferen.jp/index.php?t=1&h=2
私は政権交代時の民主党の考え方のバックボーンというか、あるいは応援団のお一人なのかな〜という感じで知っていました。
さて、文藝春秋誌の「アメリカに甘える時代は終わった」の後編です。
出だしに、前編のまとめが載っていますので、好都合。
前編のまとめと後編の内容紹介かねてそのまま引用してみます。(赤字はcangael)

日本人の多くがこれまで当り前のように受け入れてきた日米関係とは、古今東西の歴史を見回してもまったく前例のない、実は「病的」といえるほどに極めて異常なものであり、この二国間関係が新しい転機を迎えようとしている今、その弊害はかつてないほどはっきりと、我々の目に明らかになろうとしている。前号では、戦後、日本が一環して外交や防衛政策をアメリカ任せにし、国際社会で他国と伍す必要のないままに、「事実上の鎖国」政策を続けてきたと述べた。そしてアメリカに過剰なまでに依存すにいたった原因として、日本に政治的な責任所在、すなわち国の中枢としての政府がないことを挙げた。


だが、今後、日本がこのままアメリカに依存し続けることは、日本にとってきわめて危険である。なぜならアメリカではすでに革命に近い変化が起き、この国は以前とは似ても似つかぬ国家へと変容してしまったからである。私はこれまで著作を通じてこの事実を日本人に繰り返し警告してきたわけなのだが、現在、ますます危惧の念を強めている。なぜなら日本政府も、インテリや評論家も、いまだにこのアメリカの実態に気づいていないからだ。そこで、今号ではこの点を中心に、日米関係の「病理」についてさらに議論を深めていくことにしようと思う。

時々覘いている田中宇さんの国際ニュース解説ブログから引用してみます:【2011年5月12日】韓国では「米中どちらと組むか」という議論が続いているが、李明博政権は天安艦の北犯人説を取り下げて態度を転換できそうもない。韓国は国家的に重要なときに内紛になり、過剰に議論してうまく国是の転換ができない性癖がある。これと対照的なのが、隣のわが日本である。韓国は過剰に議論して失敗するが、日本はまったく議論をしない状況を自ら作り出して失敗する。第二次大戦の敗北がそうだった。最近の日本で国是転換の議論が始まりそうだったのは、09年秋に鳩山政権が成立し、東アジア共同体や米中等距離外交を打ち出した時だ。だがその後、鳩山・小沢コンビは官僚機構からの攻撃にさらされて潰れ米国覇権の崩壊が如実になっても対米従属以外の国是は全く議論されなくなった
上記の問題点を頭に、ウォルフレン氏の後編の内容を小見出しを並べ内容を端折りながら追ってみます。

アメリカの金融システムと軍事機構は制御不能
アイゼンハワー大統領(1890〜1969年)はテレビ中継された退任演説(1961年1月)のなかで「軍産複合体」が政治的な支配下から逃れ、さらに増殖すれば、やがてはアメリカの民主主義を蝕み、ついにはそれを破壊してしまうだろうと警告した。ブッシュ政権が発足した2001年以降、警告を発した当時のアイゼンハワーが怖れていた規模をはるかに超え、本来の存在理由であった旧ソ連が崩壊した後も、年間1兆ドルという軍事予算を呑み込みながら、なおも拡大を続ける一方である。アメリカの軍産複合体が完全に誰の手にもおえない存在へと巨大化し、アメリカを軍国主義的な国家へと変貌させた事実を理解する必要がある。
日米外交をペンタゴン国防総省)が牛耳っている
外交政策を決定づける主要な役割を国務省ではなく、ペンタゴンが果たすようになった。日米関係が、伝統的なやり方を踏襲する外交官や、日本通と呼ばれる人々の手を離れて久しく、ここしばらくは、重要な外交上のつながりは、アメリ財務省と日本の財務省の間で結ばれてきた。ところがいま、それを担当するのはペンタゴン出身者である。
旧ソ連が存在していた頃のアメリカには戦略があった。今は旧ソ連に代わる敵はいない。「テロに対する戦い」は「ドラッグに対する闘い」と同様、ファンタジーなのだ。
北朝鮮の脅威という大いなるウソ
もし、戦略的な思考のできる政治的な中枢が機能していれば、北朝鮮が核開発をめぐってなぜあのように行動するのかを、日本はもっと正しく理解できるはずだ。北朝鮮朝鮮戦争以来、いつでも攻撃できるよう、核兵器の標的であり続けた世界で唯一の国である。つまり北朝鮮アメリカに望むのは、不可侵の確証とでも言うべきものである。
北朝鮮潜在的脅威をそれほど懸念するのであれば、日本はこの問題に関連して韓国と中国との外交関係をいっそう深めるべく努力すべきであり、さらにアメリカ政府にも働きかけるべきである。一定の確証を与えられたなら、恐らく北朝鮮はこれまでとは違った姿勢を示すはずである。ただし、アメリカと病的な関係を結んでいる日本は、ありとあらゆる複雑な議論を聞かされることになるだろう。たとえ北朝鮮の脅威なるものが消えたとしても、アメリカ政府はきっとまたもや別の口実や新しいウソを考え出して、なんとか在日米軍の戦力を現状のまま維持しようとすることだろう。
「成熟した日本」とは何か
日本の官僚や政治家が首都ワシントンを訪れる際に、最も熱心に面会を求めるアメリカ人の筆頭は、リチャード・アーミテージ(1945〜)とジョセフ・ナイ(1937〜)である。ネオコンアーミテージは、ジョージ・ブッシュ政権で国務副長官を務め、いまなおアメリカの対日政策に大きな影響力を持つ。国際政治学者のナイは、「ソフト・パワー(軍事経済力ではなく、文化や政治的価値観を通じて、その国が国際社会の信頼を得る力を意味する)」の提唱者として名高く、日本の外務官僚たちが駐日大使にと強く望んだ人物である。
21世紀の始まりの時点で、両者は外交政策や安全保障の専門家、学者を交えたグループをしたがえて、望ましい日米関係とはなにかを検討したが、その結論を集約するのが「成熟」という表現であった。
つまり、成熟した日本とは、アメリカが自国を保護してくれることに感謝し、いっそうその市場を開放し、さらにはアフガニスタンでのアメリカの戦争をもう少し支援するような国家なのであって、アメリカ政府はほぼ当然のごとく、日本はそのような姿勢を示すべきと考えているのである。
アメリカにとって戦争は正当な手段である
かつてのアメリカは国際社会に有効な外交政策を打ち出すことを重視していた。
1945年、戦勝国となったアメリカは比較的平和で、安定した国際秩序を生み出そうと尽力した。その際、同国は国連やそのほかの国際機関をツールとして用い、第二世界なる共産主義国を一まとめに扱うことで、それが世界秩序におよぼす悪影響をできるだけ制限しようとした。それはアメリカ人がもっともアメリカ的だと信じていた自由といった理念と不可分な関係にあった。しかし旧ソ連の崩壊後、アメリカのこうした姿勢は徐々に変化していった。特に、「テロに対する戦い」という実現不可能なフィクションがブッシュ政権下で登場すると、それはアメリカの文化を変え、アメリカ人がつねに誇りとしてきた民主主義の原則を深刻なまでに蝕んでしまった。
いまや戦争について、アメリカ政府は外交努力が失敗した際に訴える手段として位置づけてはいない。現在のアメリカ政府は、戦争を外交努力に取って代わる正当な手段と考えているのだ。日本の一般の人々が考える戦争と平和と、これほど大きくかけ離れた思考はない。
しかし日米安保条約締結後、アメリカの優先課題は変った。まるで世界各地で戦争を繰り広げる必要があるかのように同国がふるまう現在、日本はその巻き添えにならざるを得ない。日本が意図したわけではなくとも、アメリカの帝国主義的な一連の動きの一部を今の日本が担っていると、世界の多くの人々や政府はみなしはじめている。アメリカのプロパガンダに騙されるな
目下、日本にとって差し迫った問題として重要なのは、現在のようなアメリカとの関係が続くのでは、日本が近隣の大国と関係を取り結ぼうとしても、その努力は妨害されるか、うまくいかないだろうということだ。
現在の日本は中国に対する独自の政策を決定することもできない。もし、中国との関係改善、強化をめざせば、たちまちアジアにおけるアメリカの役割を無視する反アメリカ的な動きであると批判されてしまう。アメリカ政府はまた、同国を含まないアセアン+3と呼ばれる東南アジア諸国連合ASEAN)と日本、中国、韓国で協力をはかる枠組みに、日本が加わらないよう望んでいる。
世界の現実と結びつかない外交政策は現実性を欠いたものになる。かつての共産主義体制に代わるおもな脅威とされるのはテロリズムである。さらには中国が将来、脅威を与える存在になるかもしれないという、漠然とした見方である。アメリカのプロパガンダはこのような中国脅威論をさかんにあおり立てているわけだが、それはとりわけ日本に効き目があるようだ。だがこれらすべてが、現実の世界がいかに変わったかを無視している。
世界でリーダーシップを発揮していたかつてのアメリカなど、もはや実在せぬファンタジーなのであって、軍事機構を含めた同国の主要な機能は制御不能な状況に陥ってしまったという現実に気づくのであれば、そのとき初めて、事態を変化させることができるのかもしれない。我々が自発的にこの事実を受け入れるとき、リーダーシップにはかならず好ましい変化が生じるはずだ。しかし、実態に気づかず、リーダーにそそのかされ、あざむかれたまま、崖から突き落とされることになれば、そんな国民は不運である。20世紀に世界で起きた出来事をわずかでも思い出すならば、日本人にもヨーロッパ人にも、それが何を意味するか理解できるはずなのだ。

Karel van Wolferen:1941年、オランダ・ロッテルダム生まれ。オランダの高級紙「NRCハンデルスブラット」の東アジア特派員を経て、フリーランス・ジャーナリスト、評論家として活躍する一方、アムステルダム大学名誉教授を務める。最新作は「誰が小沢一郎を殺すのか?」(2011年、角川書店

最初は見出しだけ並べるつもりでしたが、読みながら、これも、これも、とついつい長文の引用になってしまいました。戦争が常態化した軍産複合体アメリカと運命共同体のような従者の道を日本が選び続けるなら大変な事になるということですが、なかなか説得力のある内容だと思います。アメリカの意志がストレートに伝わってくる日本では、アメリカの考え方が世界の見方と思ってしまいがちです。
白い花は八重咲きのクレマチス、紫(青く見えますが)の花はヒゲが目立つイチハツです