大阪府知事の国歌問題

赤い薔薇の一番花が終わる頃、小さい方のアーチのツルバラが蕾を膨らませました。

ピエール・ド・ロンサールという名前の薔薇が、今朝、咲き始めました。
さて、昨日は嫌なニュースがありました。大阪府橋下徹知事が入学式や卒業式の国歌斉唱時に起立しない府立学校や公立小中学校の教員を免職する処分基準を定めた条例を9月の定例府議会に提案すると発表。がっかりです。知事以前の「たかじん」の番組に出ていた頃と変わらない一面です。成長していないな〜と思います。自分の考えを立場を利用して押し付けたり広めたり煽ったりしてはいけないというので、裁判で負けたんじゃなかったでしょうか。あれと同じ考え方、やり方だと思います。
内田樹さんのブログ、「研究室」(5月17日「国旗国歌と公民教育」http://blog.tatsuru.com/)でも早速取り上げてありましたが、まったく同感。橋下知事のやりたい事は、本末転倒。そうやって強制的に起立させて国歌を歌わせたところで、達成されるのは「北朝鮮」と同じ全体主義橋下知事専制君主の「将軍さま」です。内心の自由を侵すのですから、面従腹背の人間を増やすだけになります。
国歌、国旗は私も以前「愛国心について」(昨年の7月13日のブログ:http://d.hatena.ne.jp/cangael/archive?word=%2A%5B%CB%DC%5D)というところで内田先生の考えについて共感しながら書いたのですが、佐藤優氏が述べていたように、これは、文化の問題で強制されるものではないと思っています。天皇陛下も「強制しないように」と注意されています(09年9月24日「2004年、秋の園遊会でのこと…」:http://d.hatena.ne.jp/cangael/20090924/1253768102)。

私も、来賓席(といっても地域のオバちゃんの一人)で小学校の卒業式に参加したことがあります。国歌を歌う時、来賓席で一人座ったままの人がいました。大勢の子供たちや先生方、来賓のいる中で座って意思表示するのは大変なプレッシャーです。目ざわりとか非国民とか教育上よろしくないと言う前に、なんでだろう、どんな考えがあってなんだろう、と考えます。そして、そうやって意思表示できる自由を保障された場であることは、座っている人だけではなくて、立って一緒に歌っている者にとっても、日本はまだ有難い国だと意識できて良いのではないでしょうか。

橋下知事には一日も早く考え直してほしいと思います。教育問題では、もっとほかにやることが一杯あるでしょう。そんな事に拘っているから大阪の義務教育の成果があがらないのではないですか。それとも北朝鮮のようになった方が成果があがるというのでしょうか。せっかく脱原発路線を早々と唱えた我が大阪府知事を支持、応援しますなんて言った私としては、とっても残念です。