3・11以後初の家族集合


サッカーのイタリア・カップ、29日、ローマでの決勝戦で長友が所属するインテル・ミラノが3−1でパレルモを下し、2季連続7度目の優勝です。今年1月末にチェゼーナからインテルに移籍した長友はフル出場、自身にとって移籍後初のタイトル獲得です。

ところで、28日の土曜日は、私一人のはずでした。夫は山の中級登山学校のサポート役で一泊、次男は仲間4人と讃岐うどんを食べに四国へ。風邪で微熱のある私は、早目に床に入ってと思っていた丁度その時、電話があって、今晩、泊めてくれない?と。長男です。今何処? すでにタクシーでこちらに向かっている様子。その夜は結局話し始めて1時ごろまで、翌日は、隣の両親との朝のコーヒータイムに息子も加わり、近況報告かねて取材で訪れた岩手県の被災地の報告を聞きました。ふだん黙ったままの父も珍しく色々訊ねて聞いていました。
1泊のつもりだったところへ、夫から電話。早目に二人で飲み出したら、弟の顔も見たいしということでもう一泊することに。夜9時過ぎ、次男も加わって4人集合。四国土産は讃岐うどんで、早速、釜あげうどんにして食べました。
若い世代は脱原発が当然らしく、3・11以後の人生観、死生観が変ったといいます。私たちにも盛んに「是非見ておくように。被災地の人たちは来て欲しいと思っている。観光でいいから行ってお金を落としてきたらいい。みんな来て、現状を見て欲しいと思っている。津波にさらわれて何にもない所へ立ってみるだけでいいから」と勧めます。次男は「じゃ、家族でお爺ちゃん連れて行くか」と乗り気です。
津波の被災地ではすでに復旧、復興に取り掛かっている人たちもいますが、漁師さんはまだ避難所から海へ通っているし、震災躁状態の後にはウツ状態もあるだろうし、大変だろう。 地震津波の被害の方は、底が見えていて諦めて前へ進むしかない、だけど、福島は、底が見えず、底が抜けている状態だから、どうなるんだろうと。
本当は福島へ入って取材をしたいけれど許可が絶対おりないというので、どうして?と訊くと、「責任取れない、20年後、30年後までの責任が取れないということでしょ」というので、「一企業がそんなに責任を感じているのに、どうして国はそんな危険な所にいる人たちに責任を感じないんだろう。まだ、その危ない所に住んでいる人たちがいるんでしょう」。やっぱり、おかしいよ、ということに。
広島・長崎と被爆した日本人が今度はまた自ら被爆・被曝するなんて、どこで間違ったんだろう・・・と言います。自衛隊は今回頑張ってるよ、みんなどんなに感謝してるか、すごいよ〜と見てきた長男が報告します。「確かに、頑張ってるね〜」「中沢新一も認めてたよ〜(「大津波原発」を勧めてくれたのもこの次男)という話から、やっぱり、消防や警察では出来ないこういう時のための組織・自衛隊はあった方がいいと思ったとも。自衛隊に対する見方も間違っていたと思うとも。
3・11以後のエネルギー政策については、我々の意見も聞いて欲しいね、という話から、政局や選挙の話にも。
夫と長男が筋肉比べをやりだして、上半身裸になって筋肉自慢。山で鍛えた夫の勝ち! 次男が携帯カメラを構えながら「この二人、アホや〜」、私はその後でカメラを構えていました。長男の思いがけない帰省で束の間の4人家族集合となりました。3月のあの日以来、やっぱり、考える事は皆、被災された方たちのこれからと、この国の行く末です。