一夜明けて

昨日の午後、ブログを読んで・・・と電話がありました。
しばらく政治について話す気がなくて・・・と先日の不信任案をめぐる騒動について。一夜明けての民主党の岡田幹事長、枝野官房長官、安住国対委員長や北沢防衛相などの「あれは辞任が前提」発言をまだ知らない様子。
騙すより、やっぱり騙される方がいい。あんな事が通じるわけがない。身内が見放し始めたみたいと。
今の被災地の事を考えると、選挙はダメ、対応の遅れの原因がどこにあったか、あれで被災地の方たちにも一部はわかったのじゃない? 政争、政局をやっている場合じゃない、けれど、菅さんがリーダーでは一歩も進まないというのも見えてきたのじゃない、と二人で整理を。
そして、私たちが共通して体験した中学校の偏向教育についての話に。
あの時も、被害を受けた当事者にしか解らない事があり、それは、離れれば離れるほど解ってもらえないことでした。
障害者教育と同和教育と民族教育のモデル校のような中学校でのことでした。
差別はいけないという大義のもと、凝り固まった考え方の先生が力に任せて職員室も教室も学校もコントロールしている時、生徒たちは、父兄は、教師たちはどうなるか、というのを見てきました。その先生は、有能な教師で学年主任、校長以上の力があり、かつ子供たちにも人気があり信頼されていました。(橋下知事がこうならないよう願っています。)
彼女は自分の子供が学校の言いなりに利用されて、挙句の果てに人違いによる暴力をふるわれて、自分の子供を守るために抵抗を示しましたが、最後は「他の子供や父兄に迷惑がおよぶ」と脅されて矛を収め、あとの二人の子供たちは公立中学校から逃がす道を選びました。
私は、たまたま当時クラスの父兄の委員でしたので、もう一人の方と話し合って、学校には内緒で(「知っていた」と言われました!?)クラスの母親に集まってもらって、子供たちの健康被害を調査しました。全盲の先生がクラス担任をしていて、毎日、ホームルームで同和教育がなされ、クラス討論をさせられていました。子供たちは結論のわかっている話し合いに白けて口数が少なくなります。そうするとクラス委員が責められます。原因不明の下痢や体調不良で遅刻や欠席が増え、なんとか通学している子供たちもストレスを抱えている事が解りました。
クラスだけの問題にすると揉み消されると思って、PTAの会長さんにも話を持っていきましたが、逃げ腰。副会長だった別のクラスのお母さんが取り上げてくれました。この3人で、主任先生相手に「闘う」ことになりました。
全盲教師が全国でも初めてクラス担任をするというので、クラス作りの時から問題を起こさない理解ある父兄の子供たちを選んだということを後で知りました。その選りすぐりの父兄ですので、当然学校が推し進める差別のない教育について反対する人たちはありません。しかし、そのやり方については大いに問題ありでしたし、この先生の「考え方」(教師は弱い立場の子の味方)には賛成できませんでした。部落以外の子が弱い立場にいる、あるいは、なる場合だってありますし、何をもって誰が「弱い」「強い」を決めるのでしょうか。片親の子は両親揃っている子より「不幸」で「弱い」と決め付けることがその子のためになるでしょうか。障害者は健常者に何を言ってもいいのでしょうか。
何よりも分断の思想が許されませんでした。子供を人質に親子を分断し、子供たちの中で部落と部落以外、健常者と障害者を分断し、教師と父兄を分断して、バラバラにしていく考え方を押し付ける。押し付けられれば迎合する親や生徒を生みます。まず、教師集団が壊れてしまっていました。心ある先生は初めは抵抗されていたようですが皆さん転校して、職員室での民主的な話し合いがまるでなかったようでした。主任先生の言いなり遣りたい放題だったようです。
二学期が始まる前に主担任と副担任が入れ替わるということで決着しましたが、その間、私たち3人は色んなことを知り(学び?)ました。(週刊誌や新聞記者や議員が嗅ぎ付けてきましたが子供たちのためにと公にしなかった事が本当に良かったのか、子供たちが卒業後も、3人で集まったときの話題であり疑問点でもありました。)
内申書のために先生の前では同和教育の理解者のふりをしながら、クラス会では差別を口にする親。その親を信じ込んで家庭にまで入り込んでいる先生。学力については学校はあてにならないので塾通いをさせ、学校では勉強の話は一切しないようにという親たち。勉強なんかしてないよというフリをする子供たち。学校の協力者にされてクラスで孤立する生徒の親は一年が終わると子供の為に隣の市に転居を決めました。街中でパッタリ会って、この方の娘さんと全盲の先生との経験、その実態と、健康被害について話してくれました。名前を挙げてもいい?と私が確認したら、皆のためになるならと了承してくれました。
菅さんが何故不信任案を突きつけられるようになるのか。私は、自分の体験から、当事者にしか解らないことがあるということが理解できます。原口一博さんが、「こういうことがアチコチであるんです、だから菅さんではダメなんです。前総理との”言った、言わない”の問題が、東電とも、保安院とも」、各首長とも、復興委員会とも、その他もろもろと、私は勝手に付け加えて、納得できました。
お遍路さんの話まで出して、退陣・辞任を信じ込ませておきながら、違う、辞めるとは言っていない。一夜明けると、あの岡田氏や枝野氏が今度は、違う、冷温停止までなんて言っていない、夏までに退陣しますと言う。やはり、これでは、「その場しのぎ」とか「場当たり」という評判が本当で、この方が居ない方が事は進むんだということがわかってきます。その為にこれだけの大騒ぎが必要だったということです。
電話の彼女は、私が自分の子供のクラスで体験した事を数年後、関東から引っ越してきて事情のわからないまま一人で子供を守りたいと思って体験した話でした。私たちは自分たちの経験をどうやってこれからの人たちに伝えていけばよいか、同じ経験をさせたくないとは思っていましたが、PTAが取り上げてくれなかったため一クラスの問題だけで終わってしまいました。悔やまれますが・・・彼女の話はよくわかります。
あれから20年以上、その後の中学校の様子は知るよしもありませんが…私たちの子供たちは無事育って社会人として頑張っています。
そうそう、全盲の先生は「結局利用されたんだ」と言って辞めたと聞き、
あの先生は東の方の中学校の校長先生になっていました。
菅さんの不信任案騒動が思いがけず私たちの共通した苦い思い出を掘り起こしてくれました。
電話の彼女と知り合ったのは10年ほど前、福祉関係のボランティアのお役が切っ掛けでした。


もうすぐあの大震災から3ヶ月になります。この間の政治不在のなんと罪深いことか・・・
福島の放射線被害の実態はいまだ明らかにされません。一刻も早く政治が行われるよう・・・
面倒でも片付けなければならない問題は片付けて・・・政治の場面でも日本人らしさが示されますよう。