時代おくれ(「いきいき」6月号より)


水曜日は午後から、屋根を挿しかけただけの自転車置き場の地面をレンガ張りにする予定でした。天気予報では翌日から雨ということで、雨による泥はねで新車のマウンテンバイクの後輪が汚れないようにするためです。以前からママチャリが置いてあって、泥ハネは今に始まったことではないのですが、夫がその気になった時がチャンスです。
国道171号線沿いのホームセンター・コーナンへレンガを買いに出かけました。台車に45個の薄型レンガを乗せているときにバッグの中でケイタイが鳴りました。「今、どこ? クッキーを届けに寄ったら留守だったけど」と。いつも夫の山行きの行動食にぴったりのクッキーを焼いてくれるSさんです。彼女もご主人と車でコーナンとか。「1号館?」と聞かれたので、(2号館まである市立)病院の方じゃなくて171(イナイチ)の方」。「帰りに寄るから」とのこと。
夫が鍬で地面を薄く削って、私がレンガを並べて。思いの他はかどって半分くらいまでのところで、Sさんが車で。夫が、バイクの自慢?を始めて、ご主人も車を降りて、話を聞いてくださったようです。「お茶でも…」と誘ったのですが、「これからスダレをかけないといけないから」と。クッキーと一緒にいつも月遅れで借りている「いきいき」の6月号も入った袋をもらって、中断していた作業を再開。3時には完成。隣の両親を呼んでお茶にしました。
その「いきいき」の6月号。今回は内容が盛りだくさんです。読み応えのある記事ばかり。
その中から二つ。金子みすずの詩と一人娘のふさえさんの記事も紹介したいですが、カットです。
一つは高村薫さんが「原発、沈滞、その先の未来」を語る記事、「この寄辺のなさから脱却するために。」
東北地方の復興について語られ、原発に話が入って、途中からの引用です。

・・・・それでも政治はどんな決断もしない。近代でいちばん難しい状況に陥っているかもしれません。
 そうであれば、私たち国民がどこかで決断しなければならない。子どもたちのために一歩踏み出す決断です。
 これは、産業革命以来、近代社会を支えてきた生活スタイルからの転換を図るというほどの大きな決断になります。(略)
 どんなに電力が足りなくても、地震国の日本だから、原発は止めると決断する。どうやって止めるのか、後はどうするのか、そういったことを言い合う前にとにかく止める。
 そうすれば、安心が生まれます。晴れない心にひとつ安心ができます。いまの日本にいちばん足りないのは、将来に対する安心です。貧しくなる不安と命の不安だったら、命の不安のほうがずっと深刻なことはいうまでもないでしょう
。(略)
 今回の震災後に思ったのは、日本人は基本的に善意に満ちた人たちが多いんだなあということです。
 我慢と善意が寄り添って、静かに沈滞している感じです。
 善意の共同体に企業が甘えている。それが日本です。私たちは共同体のよさをそのままにして、その上にもうひとつ賢くなることだと思います。どこに問題があり、何がまずいのか。目の前の現実を見つめ、怒るときは怒らなければならない。(後略)

小出裕章さんの「本当に言いたいのは、電気が足りようと足りなかろうと原発だけはやってはいけない」に通じます。


もう一つは「茨木のり子さんの詩」という記事です。詩人の茨木のり子を知ったのも「いきいき」で取り上げられた記事でした。前回(2006年)の記事では「自分の感受性くらい」という詩が衝撃的でした。今回も「寄りかからず(「寄」に人偏が付いた字)」という女のというより人としての自主自立の詩がありますが、割愛して本題の「時代おくれ」に直行です。
石原慎太郎都知事の息子の石原伸晃自民党幹事長が、先日のイタリアの国民投票の結果を「集団ヒステリー」と呼んだそうです。同じような表現をした人を私は忘れません。もっと早い時期、3月が4月、どこかの番組のコメンテーターとして出演していた森本敏氏(拓殖大)です。この方の発言はいつも正確にアメリカ政府の意図とか考え方を代弁しています。この森本氏、「原発については今みんながカーッとなっているときに言っても無駄」と発言しました。冷静になれば原発が必要だとわかるはずという言い方です。原発推進の方たちから見ると反対することはヒステリーに映るようです。逆に、犠牲者がでて被災者が苦しんでいるのを知っていてさえヒステリックに原発固執する人たちこそ冷静な判断を欠いていると言いたい。
ところで、その「時代おくれ」ですが、イタリアの国民投票ベルルスコーニ氏の原発推進政策に圧倒的な多数で反対を決めたお祭り騒ぎの中で一人の男性が差し出されたマイクに「原子力は時代遅れのエネルギー」と言ってたのが印象に残っています。
5年以上も前に亡くなった茨木さんの「時代おくれ」という詩は福島原発事故を予言するような詩です。
長いので少し端折って引用します。

時代おくれ


車がない
ワープロがない
ビデオデッキがない
ファックスがない
パソコン インターネット 見たこともない
けれど格別支障もない


   そんなに情報集めてどうするの
   そんなに急いで何をするの
   頭は空っぽのまま



はたから見れば嘲笑の時代おくれ
けれど進んで選びとった時代おくれ
      もっともっと遅れたい




ふっと
行ったこともない
シッキムやブータンの子らの
襟足の匂いが風に乗って漂ってくる
どてらのような民族衣装
陽なたくさい枯草の匂い


何が起ころうと生き残れるのはあなたたち
まっとうとも思わずに
まっとうに生きているひとびとよ

「何が起ころうと生き残れるのは(時代おくれの)あなたたち」と原発事故を予測したかのようです。
そして、ブログ「檸檬のひとり言」で、3・11以来原発問題をフォローしてきた檸檬さんはブータンを旅してくると。
(ブログはこちら:http://honenukijizo.blog114.fc2.com/
原子力は「時代おくれ」。「時代おくれ」こそ最先端。生きていると不思議なことに出会います。