今日は、夫が夕方から、山の気象学の講座を受けに、京都へ出かけました。そこで、母が読み終えて持って来た讀賣の夕刊を私もざっと目を通した後、父に届けるため、何年ぶりかで、自転車で出かけました。
胃の2/3の摘出手術 をした後の10年間の40代を、毎月3年、半年毎に2年、毎年5年、通い続けた道でしたので、懐かしい感じがしました。
自転車であの坂は無理かな、と思っていましたが、変速機のお陰で大丈夫でした。病院の建物が田植えの済んだ田圃越しにみえます。西日を受けてカメラを構えた私の影も自転車も写っています。
田圃の南側には千里川が。ヴィソラを貫通し田畑を潤して、豊中へと流れています。この川の右側=南側が大きな段差で病院側の高台になっています。自転車はこの高台に上る急な階段の下に止めて、あとは歩いて病院へ裏から入ります。
ある、ある、やっぱり今も、数台の自転車が側溝の縁に並べてあります。
私も少し離れた所に自転車を止め鍵をかけて、病院へ。
父は、今朝、母が写真の教室の発表会の作品の応募期限のことで話をしていた時、「4,5日で帰れるから」と言うのでビックリしました。
「無理、むり!」と私。まだ点滴がぶら下がっていますし、とても、とても。歩かせてももらえていないのに・・・。
「どっこも悪くないから・・」と言うので、「心臓が悪いんだって」と母も夫も。
皆で笑ってしまいました。父も笑っていましたが。まぁ、元気になった証拠ですね。
帰りは、唐池公園へ。病院の父の病室から見えるパノラマでも、一際大きな緑の塊がこの唐池公園の樹木が作る森です。この緑の塊以外には大きな緑がないのが心配なくらいです。カメラでは森の大きさは写せず、深さが少し伝わる程度でしょうか。
日経の月曜の朝刊に原子力安全委の斑目委員長の記事が載っていました。
斑目氏の「事故は人災だった」という発言は、すでに、NHKの番組でも聞きましたし、ニュース番組でも聞いていますので、「今さら」感がありますが、チョッと気になりますので、メモ代わりに引用しておきます。
国の原子力安全委員会の斑目春樹委員長は日本経済新聞のインタビューに応じ、1〜3号機で炉心溶融(メルトダウン)した東京電力福島第1原子力発電所の事故は「天災というより人災だった」と強調した。長年、技術を過信するあまり、原発の安全行政がおろそかになっていた点を理由に挙げ、事故は回避できたとの認識を示した。「規制をどんどんよくしようというDNAが日本にはなかった」と述べた。
また、「安全行政の二重構造」(安全委が指針を作成、経済産業省原子力安全・保安院が審査し、最終的に安全委もお墨付きを与えるというダブルチェック体制)が責任の所在を曖昧にしてきたと指摘。かつて国際原子力機関(IAEA)から規制行政庁として保安院が独自の基準を設けるべきだと勧告されてきたにもかかわらず、「(指針は)昔、安全委が決めたものだから、と改定の議論もないままズルズルときてしまった」と述べた。(日経27日朝刊)