「最後の旅で日本人に」(ドナルド・キーンさん)

昨夜のNHKクローズアップ現代は、「ドナルト・キーン89歳日本へ」(新聞の番組欄より)でした。
3・11の東日本大震災は多くの日本人の生き方に大きな影響を与えました。物より心、金より命、とか言われ、100日以上経ったこの頃では、絆が見直されたとも言われます。アメリカ人である文学者のドナルド・キーン氏にとっても、3・11は大きな転換点になりました。日本人になる決意をされたのです。日本国籍を取って、日本で暮らすと決意されました。このことは、すでに大きな明るいニュースとなっていましたが、国谷さんが最後の準備に忙しいキーン氏をコロンビア大学に訪ねて、すでに国境を越えて活躍してきたキーン氏が今なぜ国籍まで変えて日本にという疑問から、知りたかった事をいろいろ聞き出しました。

キーンさんの最初の日本との出会いは17歳で出あった英訳本の「源氏物語」。そして、日本語を勉強していたキーンさんは第2次大戦(太平洋戦争)では従軍して日本語の通訳や翻訳をします。日本人兵士たちの日記を翻訳をしていて、勇ましい戦いの記述ではない故郷を懐かしむ心に触れて驚きます。「私が最初に知った日本人はこれらの兵士たちでした」。

好戦的な日本人と、独特の美意識を持ち、控えめで細やかな兵士たちの内面、鬼畜米英から一転して親米という、極端から極端に変る日本人のナゾ?は昔から持っていたものでした。そして、捜し求めていた日本人論の手がかりを、高見順の日記に見つけることが出来たと語ります。それは、10万人の死者を出したという東京大空襲直後の日本人についてでした。
疎開でごった返す上野駅、大勢の人たちが節度と礼節を失わず順番を待つという描写があります。それは、今年3・11の恐ろしい津波の後でも目にした穏やかで我慢強い人たちと重なり、私は感心しました。そして、こういう人たちと共に居たいと思いました。」

高見順と日記の一部→ 
「日本の一番の魅力は?」には、「室生寺を訪ねた時、凄い雨の中、おばあさんが傘を貸してくれました。返せないかもしれないと言うと、かまいませんと言われました。こういう優しさが一番好きかも知れません。」

国谷さんは、「日本人という不思議な存在を探しているうちにキーンさん自身が日本人になってしまったのですね」と。
89歳のキーンさんは、今、正岡子規の評伝にとりかかっています。日本人になったら、漢字で「鬼 怒鳴門」(きーん・どなるど)と書くのが楽しみで、夢は文士の道ー完全な文士になること。今も、「知りたい、知りたい」という思いがたくさんと仰っています。
読みさしのまま長い間中断している文庫本の「逝きし世の面影」(渡部京二著)を早く読みたいと思いました。


キーンさんが高見順に重ねて見た日本人の良さは、今年、3・11後の被災者の姿が世界中に映像となって紹介され、世界の人々にも感動や感銘を与えました。それは、私たち日本人にとっても同じ思いでした。そして、同時に、その後の福島原発の人災に対しての日本政府や国民の対応が呼び起こしている別の印象を思い起こします。それは、ドイツ在住の日本人が伝えてきたドイツ人の反応だったと思いますが、明らかな人災に対して、何も言わない日本人の姿勢には幻滅というような意味合いの感想だったと思います。
天災に対する受容と節度と礼節と我慢強さは賞賛に値しますが、人災に対しても同じであることは、全く別のこと。人災においては、日本人の常識や倫理観や道徳観や行動力や判断力などが試されているとも言えます。
世界の人々の素朴な疑問、「広島・長崎を体験した日本人がどうして54基もの原発を持つことになり、あのまだ収束のメドの立たない事故の最中、原発の再稼動を許したりできるのか?」に答えなければならないと思います。