赤いカンナと「夏祭」

  
プールからの帰り道、中学校の校庭で野球の練習をやっていました。一昨日から甲子園では高校野球が開幕ですが、私は中学校の3年間、この校庭でソフトボールをやっていました。当時は、大阪府大会を目指していて、日生球場で試合をしたことがあり、マウンドというのがあんなに高く土を盛ったものだと初めて知りました。創部3年目の3年生で、府下ベスト8達成でした。体操服に白いトレパンでやっていました。
自転車を止めて、甲子園出場以前の中学生の練習風景をカメラに収めていたら、蝉の声が。真上の桜の木から聞こえます。わかるかな〜と見上げると、油蝉が見えました。今年初めて見る油蝉。カメラで捉えられるか? 何とか写せましたが、蝉の方は、逃げもせず、まだ鳴いています。自転車に乗りながら、「キジも鳴かずば撃たれまい」を捩って「蝉も鳴かずば撮られまい」なんて・・・撮られたからといって煮たり焼いたりするわけではないので、単なる語呂合わせか〜なんて・・・
昨夜のNHKスペシャル「東北夏祭り〜鎮魂と絆と」はゲストに福島の住職さんで芥川賞作家の玄侑宗久さん。「東北」のお祭でしたが、ここでは二つに限って取り上げ、印象に残った事を書いてみることに。
福島の相馬野馬追、一部地域が20キロの警戒区域に入り、立ち入り禁止のため、今年は規模を縮小して、それでも7月23〜25日までの3日間行われました。番組が取り上げた方は、奥さんを亡くされた方ですが、今年も武者行列の先導役を務めました。祭に参加することで区切りがつけられたと語ります。
岩手県南東部・陸前高田の日本唯一の「動く」七夕祭。大石地区は津波で壊滅状態。郵便局に勤める斉藤さんは、焼け跡のような被災地に姿を留める七夕の山車と大太鼓を見つけ、何とか今年もと60代の大先輩に祭り参加を相談。大先輩は避難所暮らし、数10人がかりで動かす山車は今年は無理と断る。斉藤さんは諦めきれず、仕事の合間に一人、叉一人と賛同者を掘り起こし、ついに大先輩も担ぎ出して、塩に漬かり錆びた山車を動かすまでに。津波で汚れた七夕飾りは避難所暮らしの地域のお年寄りや中学生の手を借りて、真新しい和紙の飾りが加わって、いよいよ祭り当日を迎えます。
大石地区は見る人のいないお祭、町筋は瓦礫のまま、祭の一行は浜に残る松林を目標に海に向かって黙祷を捧げます。
そして海に向かってマイクの声が響きます、「聞こえますね〜〜! 太鼓や囃子〜」。

「七夕祭はお盆の前に先立って行われます。今年亡くなった方たちは戻ってくる場所がわからないのです。亡くなった人のための目印のお祭。動く七夕は死者を迎えに行っているのですね〜
夏祭りは死者を意識し、死者と共に生きることを確認することです。
地域のお祭は、神さま=亡くなった人=に守られてやっている。
準備を通して、生きていく覚悟が出来る。
日本人は、昔から勤勉で、わざわざレジャーのために時間をとったりしなかった。
大変な祭の支度を一生懸命協力しながら積み重ねて、非日常の祭典を作り、そのことで新たな生きる力を蓄えてきた」と、宗久さんの解説です。

祭を終えた直後の斉藤さんが呼び出されて、嗄れた声で語ります。
「沢山の人の協力を得ました。高田の人の元気を見せることが恩返しと思います。
このお祭を通して皆がまとまって行けた。つながり、きずなが深まった。一歩だけでも前へ進めるんじゃないか。」