「対極にあって一つ」

昨日の水野スウさんの言葉のつづきです。

今本当に、いのちの未来の大切な分岐点に、日本で生きるわたしも、あなたも、立っているのだと思う。原発の崩れたあの現場に対しては何もできないけど、自分の内なる原発のタネ*と向き合い、生きていくのに本当に必要なものは何か、大切なものは何か、と目を凝らし、耳を澄まし、こころして見定め、必要だと思った時には小さくてもいいから声をあげ、そうやって未来に関わる主体性を持った一人になることは、きっとできる。自分もそのひとりなんだ、って自覚することで。


*「原発のタネ」:それまで無自覚だった暮らしの贅肉、それをそぎ落としていく作業の中で、自分の内側に、原発をもっと必要とする原発のタネがあったと自覚したことだ。もっと便利に、もっと早く、もっと沢山、もっと効率よく、という、もっとを求める生き方。大量生産・大量消費・大量ごみ生産、今さえよければ、ごみのその後はしらないよ、自分には関係ない、という”原発的”な暮らしのありよう



今年の私のお話の出前予定は「ほめ言葉のシャワー」(コミュニケーションのワークショップの実践:蛙注)と「原発」と、くっきりふた色に分かれているように見える。でも本当はそうじゃないのかもしれない。一人ひとりそれぞれのbe(存在:蛙注)を大切にすることから生まれた「ほめ言葉のシャワー」と、一人ひとりの存在やいのちを大切にできない原発と、二つの対極を語ることは、つまりは同じ一つのことを語ることだ、とも思うから。

「二つの対極を語ることは、つまり同じ一つのこと」というのは、小出さんが引用されたチャンドラーの言葉、「強さと優しさ」にも言えることだと思います。
昨日は8月15日、終戦記念日でした。
NHKスペシャル「開戦70年」を見ていて、思うのは、開戦半年にして勝ち目なしと自覚、戦争終結の道を見出せず、陸軍と海軍がそれぞれに戦線拡大を図る果て無き言争いの中に、あの人たちにとって、当時の日本人の命のなんという軽さ! 本当に赤紙一枚、一銭五厘の値打ちもなかったことです。南方へ送られた生き残りの元兵士が話します。「誰一人殺さなかった。みんな殺された」、「ピクピクしてるのをプチプチとアリの様に戦車でひき殺していった、アメリカが」。こんな戦争を美化する人の気が知れません。アメリカ軍の前に日本人はすでに大日本帝国によってアリ扱いだったのです。
空襲の焼け跡の様子が、津波の跡と似ているのは、ついさっきまであった日常が根こそぎ無残に焼き払われるのと、押し流され剥ぎ取られるのとが似ているだけではないようです。原発事故の今も続く惨状と放射能汚染に対する政府の対応、命と健康を脅かす事態が進行中にも関わらず、原発推進といえる科学者や政治家や電力会社の人たちに大本営が重なります。一人ひとりの人間の側から声をあげて、明治の開国、敗戦につづく第3の国難といわれる今年、道を誤ることを許してはならないと思います。

沖縄の国際大学の米軍ヘリ墜落事故とストロンチウムについて13日行われた小出弘章氏の講演について今日のブログでご本人による解説が聞けます。(http://hiroakikoide.wordpress.com/) ここでは 昨日と同じく書き起こしブログから「沖縄と原発」と「チャンドラーの言葉」について:(http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65757988.html

小出「えーとみなさんご存知、でないかも知れませんけれども。沖縄という県は日本全国のえー面積で言うならば0.6%しかありません。その沖縄という県に在日米軍の75%が存在しています。」水野「そうですねえー」

小出「はい。それを放置していわゆる本土の日本人は安穏と平和の、平和を謳歌しているわけで。えー、鳩山さんの民主党政権普天間を撤去するときも最低県外だといったのですけれども」水野「そうでした」

小出「いつの間にか、また、沖縄に戻ってしまうというような。まあ私から見れば、本当に呆れるようなことがずっと続いてるのですね。それは原子力で私がずうっと40年間抵抗してきたと同じ問題で。本当にその困っている人達のところに金をちらつかせながら、力で押し付けていくというそういう歴史でした」


チャンドラーは強い、くても、生きている価値がないという人がいるということを言ってるわけですね。生きてる価値というのは何なのかというなら、優しくなるということだと、言っているわけで。いったい優しいってどういうことなのかなあとわたしはいつも、思います。 んでそれは、私の今の思っていることは、強いものに付き従うことではないと、思っていて日本の政府というのは米軍に、いや米国に付き従うのが国益だというようなことを言うわけですけども。全く優しくない政府だなと思う、のですね。えー、でもそういう生き方というのはチャンドラーからすれば、生きる価値がないと言ってるわけで。本当にどういう生き方をするのが生きる価値があるといえるのかと私自身が毎日、自問しながら生きているとそういうことを、考えたので皆さんにお伝えしようと思ったのです。」

今日は大文字の送り火ですが、陸前高田の松の薪についても語っておられます。
夫の写真から今年の剣岳