「原発事故への道程・後編」つづき(3/3)

昨日は夫の山の仲間(55歳)のYさんをお招きして、お昼過ぎから8時まで飲んで食って笑っての他に、原発の話になりました。仕事を休職してC型肝炎の治療のため半年間北海道の家族の下で暮すというので、しばらくのお別れの前に是非一度とお誘いしていました。ご自分は九州は佐賀県に母親が一人暮らし、奥さんの方は一人娘で東京の実家に父親が独り暮らしだといいます。本当は、定年退職してから治療にという予定でいたら、お医者さんから、あなたのケースはそこまで待てませんと言われたため、考えた結果、最後は奥さんの後押しで、休職しての治療を選んだそうです。
「これから先も長いですし大切ですものね」と私も。我が夫も50代の初めに、多分20年前のバイク事故で手術した際の輸血のせいで、C型肝炎を発症、インターフェロンの治療を受けた経験があります。今は定期的に近くのかかりつけ医で血液検査を受けながら飲み薬を毎食服用している身。一病息災で登山までしています。あれからずい分経って治療法も進んでいます。きっと半年後には元気に復帰されることでしょう。
食事が終わって場所を変え、サンルームでお茶にして二人が色々話し込んでいる間に、私は片付け。そのあとお茶に加わって四方山話。山菜取りの名人ですし、北海道から九州までの引越しのいきさつを聞いたりでした。夫が席を外した時に私から「脱原発を実現し、自然エネルギー中心の社会を求める全国署名」の「趣旨」と「要請事項」を読んで、賛成だったら署名をとお願いしました。しばらく読んでから、「いいですよ! サインします。さっき、後始末の方法が分らないものは作るべきではないと話してたんですよ」と、快く署名していただきました。
戻ってきた夫と3人で原発事故、福島の人たちの窮状、東電の責任の話になりました。夫が爆発の映像が流れていないと言う話をし出したので、私のノート型PCを取り出して、武田邦彦先生が紹介している爆発の写真を見せました。「凄いね、これは〜。NHKでも観てない。新聞にも載らなかったね〜。とにかく、政府も電力会社もマスコミもグルだからね、あいつら。隠そうと思えば隠すんだ」と。
夫は「原発事故への道程」の後編を先日見直したところでしたので、その内容も。私も丁度ブログに書き起しているところなので、この番組の内容がまさに「原発事故への道程」(なぜ事故を起こすことになったか)を雄弁に物語っていると実感できました。

それでは、後編の最後です。

<↓島村原子力政策研究会が開かれていた(今も開かれている)新宿のビル>
1989年10月12日録音。元外務省・遠藤哲也「そもそもの始まりと言うのはインドの1974年の確か5月だったと思うが、インドが核実験をやったと、核の平和利用だと言うけれども、いずれにしても爆発をやったということでアメリカがこれはうっかりしてたら核が世界に拡散していって大変に国際政治上の不安定要素を引き起こすと、NNPAという例の1978年の核不拡散法をアメリカが作って、これは勝手極まりない法案、国内法を作ってですね、「お前も飲め」と各国に、アメリカは力が強いからああいう風に言えるんでしょうけど押し付けてきたと」
通産省・島村武久「私、一番心配しているのは、まだ再処理工場が建設にも入っていないのだから、あれがね本当に皆が願うように完全に動き出したらね、とっても余ってしようがない、日本の見通しからいうと、そうするとランニングストップやる、なんか、日本が必要とするものをアメリカが認めるだろうけど、当面使用の見込みのないプルトニウムのほとんどを再処理工場で製造することはね、アメリカが黙って許せるだろうか。
だいぶ昔からアメリカに反対する根拠はないと言ってるけれど、実質的には、それこそ遠藤さんが先ほど言われたようにね、アメリカは行政府じゃなくて議会ですから、そうすると議会が叉騒ぎ出して、「日本国民はプルトニウムを貯めて」となってくると問題だし、仮に技術的に動いてですよ、動かせないと運搬できないと、そのようにでもなると、その損失というのが相当な問題になると言う風に思うんですよ。」


1974年5月、インドが核実験に成功。核爆弾の材料となるプルトニウムは平和利用のために原子炉で抽出されていたアメリカ・カーター政権は核不拡散のためにウラン燃料をきびしく管理する政策に転じる。
日本はアメリカから使用済み核燃料の使用方を注視されるようになった。日本はブルトニウムを軍事利用しないことを示すために一刻も早くブルトニウムを燃やす新型炉を完成させたいという事情があった。核燃料サイクルへの予算の重点配分はこのためだった。


1986年4月26日ソビエトのチェリノブイリ原発で事故発生

事故評価レベル7。これまで人類が経験したうちで最悪の原発事故となった。ヨーロッパ一円に広がった放射能汚染の実態はいまだ全容が明らかになっていない。島村研究会でも当然この歴史的大惨事はとりあげられていた。


1991年夏の録音。谷口富裕(元通産省)「この間ヨーロッパの人たちと議論してですね、フランスの政府の人と後OECDの人がいましたけれど、チェリノブイリは非常によかったと言うんですよね。チェリノブイリがなぜよかったかというとね、チェリノブイリが起きたことで、もちろんソ連の体制がおかしくなっただけでなくて、ソ連ががむしゃらに原子力をやらなくなった。東欧圏でも原子力をやめになった。発展途上国でも原子力をやることに非常に慎重になった。結果として日本が一番得をするんじゃないか。石油危機の時にも同じことを言われた。石油が足らなくて脆弱で一番困るのは日本じゃないかという俗説に対して、石油を最も効率的に使う技術なり、産業ポテンシャルが一番高いのは日本だから日本が一番得をする。今度のチェリノブイリでもですね、原子力技術はなかなか難しくて大変で、且つそれぞれ各国で目一杯社会情勢を踏まえてやっているなかで、ブレーキがかかった時に一番改善の能力と持ちこたえる能力が今あるのは日本しかないと。」(日本の思い上がりの一因がこういうところにもあったのですね〜スりーマイルやチェリノブイリの事故もあったのにどうして?でしたが・・・蛙の不思議)
東京電力が新潟柏崎刈羽に最新式の世界最大の原子力発電所を完成させたのはチェリノブイリ事故の後だった。



1992年10月29日、一審以来19年間争われた伊方原発訴訟が結末を迎えた
最高裁は上告を棄却。原告住民の敗訴が確定。「原子炉設置許可は各専門分野の学識経験者などを擁する原子力委員会の科学的専門技術的知見に基づく意見を尊重して行う内閣総理大臣の合理的判断にゆだねる趣旨を解するのが相当である。」「周辺住民が原子炉設置を告知されたり意見を述べる機会がなかったことは法による適正手続きを定めた憲法違反とはいえない。」
原告弁護士・藤田一良(取材)「とにかく最悪の判決だと思いました。最高裁がこういう不誠実な判決を出す、ということであれば、原発に関してどのような大災害が起こり、そして国民の広くにそれらが降りかかる事態に関しては、最高裁も共同して責任をとらなければならないという風に思いました。」


これ以降、原発の立地を巡る裁判で原告勝訴が確定した例はまだ一件もない。安全審査の妥当性を司法の場でチェックする道が絶たれた中、原発安全神話が広く定着することになった。



1991年夏、島村研究会(録音)谷口「日本の電力会社と先進国の電力会社を比べると、相当特殊な感じがありまして、何が一番特殊かというと、日本の電力会社というのは際立って立派というか諸外国の電力会社に比べると強力な組織なわけですね。それに地方へ行ったら更に地方の電力会社というのは本当の地域の文字通りのリーダーというか殿様という感じで、地域の開発の隅々まで電力会社に依存しているような図式がありまして。」



そして、あの日を迎えます。
欠点を指摘されていた福島第一原発の原子炉マークI型、耐用年数とされた30年を越え、40年を越え、更に10年の使用延長許可を得た矢先でした。
建屋の損壊、放射能の放出と言う最悪の形で廃炉が決まりました。



2011年7月、東京新橋のビルの一室。
日本の原子力の歩みを記録に残してきた島村原子力政策研究会は、今も、島村武久の後輩の世代によって会合は続けられている。
(録音テープから)元日本原子力発電副社長・浜崎一成「起こるはずのない事故が起きた、まさに、これは、え〜、また、起こしてはならない事故でしたが、実際に事故が起きてしまったと・・・」。
原子力安全委員会委員長・松浦祥次郎「起こるはずのない事故が起こったという表現は、取り様によっては非常に奇妙な表現でもある。もう少し言い方を変えれば、起こるはずがないと思っていた事故が起こったと言うなら、皆さんそうかなと思いますけど。」
日本原子力研究開発機構理事長・殿塚「起こるはずがないよねと我われが思っていたという、その一つの思い込みというのが、かなり原子力村しか通用しないという風に言われた独善性の気持ちを表現しているようにも取れる。」
元外務省科学技術審議官・遠藤哲也「日本の国はもう信用されないと思うんですよ。いくら言っても日本の国はダメだと思うんですよ。」
「いずれにしても、国民の理解と地元の合意がなければ継続して出来ないわけでしょう。」



ナレーション「メンバー全員事故後も変わらないもの、それは日本には原子力が必要だという信念です。」
中部電力副社長・伊藤隆彦「原子力がない時、日本全体を考えた時、日本の将来はどうなるんですか? エネルギーなしでと・・・・」
「だからエネルギーの究極は原子力、核反応、あるいは核の崩壊だから、それをどのように安定して安全にして使うかは、まさに人間の知恵次第ではないかと思うので・・・」(そうやってやってきた結果が出たじゃない・・・蛙の突っ込み)
科学技術庁事務次官伊原義徳「一口で言えば、日本はもう石炭も石油もないわけですからエネルギーとしてあるなら原子力しかないだろう。だから、非常に危険なものであっても何とか飼いならしてチャンとしたものに仕上げなければならないという発想で今まで来てると思う。」(そう、時代遅れ、時代は、世界は、もっと先を行ってる・・・蛙の呟き)


ナレーション「ある時は立地を進めるために、ある時は稼働率を上げるために、安全という言葉はいつも口にされて来ました。しかし、それが誰のための安全であったのか、今初めて厳しく問い直されています。」(完)