後藤政志さんの「技術の失敗論」(「通販生活」)

通販生活」秋冬号よりもう一つ記事を紹介します。
「連載第21回・人生の失敗」のゲストは元原子炉格納容器設計技術者の後藤政志さん。

ごとう・まさし//1949年、東京都生まれ。工学博士。広島大学工学部船舶工学科卒業後、旧三井海洋開発に入り船舶・海洋構造物の設計を手がける。89年、東芝に入社し、原子炉格納容器の設計技術者となる。09年、同社を退社。現在、芝浦工業大学國學院大学早稲田大学などで非常勤講師を務める。

私が後藤政志さんを知ったのはNHKの「アメリカから見た福島原発事故」の番組最後の二人による対談コーナーのお一人として登場された時でした。謙虚な方だし、間違いを正して今発言しなければと言う思いが伝わるお話でした。3・11以前、ご自分でも甘かったと仰っていますが、日本の現場の技術者の「無責任な先送り」についても正直に話しておられます。

それでは、取っ掛かりの部分のみ引用してみます、で始めましたが、また、また、長文の引用に。

「3・11」以降、テレビや雑誌などのメディアで原発の危険性や欠陥について訴える後藤政志さん。東芝で原子炉格納容器の設計を担当していた後藤さんは、いわば”原発を推進する側”に身を置いていたともいえます。いつから原子力という技術の「失敗」に気づいたのか、そして福島第一原発の事故や日本の原子力政策について現在どう思っているのか、お聞きしました。取材・文:溝口敦(ジャーナリスト)


後藤政志さん(62)は日本の原発はすべて「廃炉にしなくてはダメだ。日本国民は原発リスクを背負えない」と考えている。こうした思いは07年7月、新潟中越沖地震に伴う東電柏崎刈羽原発の事故で強まり、今回の福島第一原発事故で確信に変った。
過去、自分が携わった仕事をその後、否定する。であるなら、人生のある時期、原子力プラントの設計にたずさわったことは後藤さんの「人生の失敗」になるのか。
そうではないはずである。原子力プラントの設計経験が後藤さんに原子力の実際を教えた。日本人としては数少ない現場レベルで原子力を知る人である。後藤さんが、福島原発事故において原発の危険性を分りやすく技術解説できるのも実体験があればこそだろう。日本外国特派員協会やテレビ、週刊誌、インターネットなどで諄々(じゅんじゅん)と脱原発の必要性を説いている。
後藤さんは技術者である。技術者としては「人生の失敗」とは別次元の「技術の失敗論」を信じている。


原子力の一番の問題点は、失敗が許されない技術だということに尽きます」


後藤 技術というのは失敗を体験し、それを乗り越えて発展していくのが大原則なんです。原子力の一番の問題点は、失敗が許されない技術だということに尽きます。福島の事故は絶対許されないことです。つまり、原子力は真っ当な技術ではない。それが、私の結論です。原子力は技術とさえいえない。なぜなら失敗が許されない技術は将来も発展できません。改善し、発展することが不可能だからです。


確かに稼働する原発が失敗する都度、高レベル放射能を四散させ、環境を汚染し、周辺数十キロ圏の住民が避難する災厄は二度とあってはならない。その意味で原発は失敗が許されず、失敗がゆるされないから技術的な問題点を克服できず、将来の技術改善がありえない。原子力は「失敗は成功の母」という一般則の例外なのだ。試行錯誤を許さない。


後藤さんは89年に東芝入社後、02年までに東京電力柏崎刈羽原発の3号機と6号機、中部電力浜岡原発の3号機と4号機、東北電力女川原発の3号機について、それぞれ格納容器の設計を手がけている。


後藤 92年に原子力安全委員会が発表したのですが、それまでシビア・アクシデント(過酷事故)は起こらないと言っていたのが、起こることもあると言い始めたんです。それで、事故が起きた際に格納容器がどこまでもつのかが問題になってきた。格納容器の中にはスプレーがあって、そこから水が出て圧力や湿度を下げるようになっています。でも、そのスプレーがダメになると、圧力も湿度もどんどん上がっていく。そうすると私は、事故とか安全性という面から、もしそれが作動しなかったら?と考えるわけです。
実際、今度の福島原発の事故がそうだたように、私が当時最も気にしたのは、安全システムが全滅したときにはどうしようもなくなるということでしたそうした事態があり得ることがわかった途端に、これはまずいと思った。原発崩壊のシナリオというものが、はっきりと想像できてしまったんです。


本当は防げた放射能の広範囲への拡散。


後藤 今回の福島の事故では、内部の圧力が高まった格納容器の破裂を避けるためにベント(ガスを放出)しましたが、私は東芝にいるころベントに関する研究を社内の仲間としていました。(研究結果は)報告書として東京電力にも提出されていました。だから私は、ベントの際に放射性物質の放出を薄める「フィルター」を、東電も当然つけるだろうと思っていたんですね。ところが、東電はフィルターの取り付けを拒否しました。(注・水によるフィルター効果以外の過酷事故に備えてのフィルターのこと)
又聞きの部分もありますが、拒否の理由としていくつか聞いているのは、お金がかかるということよりも「目立つから」ということでした。つまり、電力会社は、ふだんは「原子力は安全です」と言っているのに、過酷事故をそうていしてフィルターを取り付けると言うことは、理屈に合わなくなる。僕はそれを聞いてショックでしたね。
確かにフィルターは目立つんですよ。直系10mから20mにもなり、取り付ければ、原子炉の隣に大きな構造物ができて相当目立つことになり、当然、「あれは何?」と注目を集めるので、電力会社はそんなもの付けたくないわけです。


東京電力の人たちだって、安全性を完全に無視していいと思ったわけじゃないと思うんですよ。一番罪が重いのは、過酷事故は「起こらない」と言っていたのを「起こることもある」と言い換えた原子力安全委員会です。事故は起こると言っておきながら、でも工学的に無視し得るくらい事故の確率は小さいとして、安全委員会は電力会社やメーカーに対して、フィルターを付けろと指示はしていない。その一方で、過酷事故対策について検討することが好ましいと言っている。要するに「自主的にやってくれ」という話なんですね。だから、東芝は、フィルターを付けるかどうかは「自分たちの自由だ」となり、「事故の確率は小さいのだから、付ける必要はないだろう」となってしまう。本来なら、電力会社任せにするのではなく、原子力安全委員会やメーカーなども交えて、フィルターを付けるかどうかを正面から議論する場がなければいけなかった。そのことについては、福島第一原発の事故を目の当たりにしたいま、私は本当に残念に思います。


<これはおかしいぞと技術者同士で語りあう場はあったとしても、異論、反論の類は、当時、メーカー内で許されたいたのか。>
後藤 それは、物凄く難しい。例えば、「格納容器をベントするときにフィルターはあったほうがいいよね」という議論はできる。わたしも「それはいるんじゃないの」ぐらいは言える。だけど「過酷事故対策のためには絶対必要だ」とか「こんな対策じゃ甘くてダメだ」とか、私が今発言しているようなことは社内ではいえない。「おまえ、何言ってるの? 仕事やめるの?」とでもいうような目でみられます。ものすごい”縛り”は感じましたね。


原発については「トイレのないマンション」とよく言う。最終的に使用済み核燃料をどうするか、という議論は、後藤さんが東芝時代にも行われていたのか。>
後藤 実は、考えられていないんです。問題を先送りするだけ。「使用済み核燃料については後で考えよう」「まあそうだな、しようがないよ」という感覚です。一言で言えば、ものすごく無責任なわけです。私みたいに原子力プラント業界で働いていた人間も、使用済み核燃料という「核のごみ」が出ることは知っているけれど、「まちょっとそれはいま、考えたくないな」というのが正直なところでした。そのことを脇に置かないと仕事ができないんです。それが、今回の事故のように重大な被害が出ると、今まで抽象的に考えていた問題が具体的につきつけられるわけですね。


<合理的な経済行為だったはずの原子力発電、「原子力の平和利用」が地域を無人の荒野に変えることになるーーー戦争は愚行だが、ときに経済合理性が悲惨な結末をもたらす愚行になる。>
後藤 チェリノブイリのような過酷事故はそんなに簡単に日本では起こらないだろうと思っていた。本当に自分でも甘かったと思います。
事故の兆候は確かにあったわけです。電力会社によるデータ隠しや、地震に対する評価の甘さはもうずい分前から分っていた。私は地震の専門家ではないですが、東芝に入ったとき、原発の耐震設計が甘すぎることがよく分りました。地震の揺れをこんなに少なく見積もるとは何事かと思いましたよ。
そして阪神・淡路の地震があって、その後の宮城県沖地震(05年)で女川原発が自動停止した。女川では地震の揺れが設計上の上限を超えたのですが、このときは社内で議論になりました。これは確実に大きな問題になる、と。揺れの周期があって、ある1ヶ所だけが上限を超えた。地震の揺れとしてはそんなに大きいわけではなくて、すぐに原子炉が壊れることはないと思っていました。でも、超えるはずがないと想定していたのに、たった一ヶ所とはいえ、突破されてしまったという事実は非常に重い。設計上の大きな問題になるわけです。そして07年7月、中越沖地震が起き、柏崎刈羽原発で想定を3倍以上超える揺れが生じた。原子炉本体は無事だったが、火災も起き、極めて危ない状況だった。このとき、それまでのやり方を続けていたら「原発は極めて危ない」と思いました。
そんな経験をしたうえで、今回福島で事故が起きたものですから、もういても立ってもいられなくなった。これで黙っていたら、自分自身がものすごく後悔すると思いまして、表に出て発言し始めたんです。


後藤さんの話で、これまで原子力発電が「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という気持ちのまま推進されてきたことが分る。原発の関係者たちは、危険は他人事だと考えてきた。福島の事故は原発の危険性ばかりか、原発を推進してきた人たちの無責任性をも浮上させた。にもかかわらず、今なお原発固執する人たちがいる。真に驚くべきことである。 
 聞き手:みぞぐち・あつし(1942年、東京都生まれ。「暴力団」(新潮新書)ほか著書多数)

3・11以前、安全神話を信じて疑わず、日本ではチェルノブイリのような原発事故は起こらないと思っていたのは、原子力の専門家も私達何にも知らないで電気を使っていた家庭人も同じ、福島事故に関しては同罪と言えるかもしれません。でも、福島の事故後、神話はウソだったと気づいたからには、その後が問題です。事実を見据えて・・・というのは安斎育郎さんでした。福島の南相馬市での除染、昨夜のETV特集を見ました。福島の今を見据えることから目を背けてはいけないと思います。それは、専門家の方達も私達主婦も同じですね。
ノーモア・フクシマですが、事故の収束すらまだ見えず、放射能汚染下怯えながら生きているフクシマがまだ終わっていません。