中村哲氏のアフガン報告

今日は文化の日、お昼のNHKの連ドラ「カーネーション」を見た後そのままにしていましたら、建築家の安藤忠雄さんが中学生を相手に吉田松陰を語っています。中学生に語ると言えば、今朝覘いた内田樹さんのブログも中高生相手の講演についてでした。
安藤さんは自分史と松陰先生を重ねて語っておられ、翌日はご自分が設計して建てた司馬遼太郎記念館を訪ねて授業のつづきです。15才の中学生に自己を確立せよと訴え人生の夢を作文させます。放課後の時間をどう使っているか訊ねて「塾」と答える生徒達が多いので挙手を求めると一斉に手を挙げるのを見て「あ〜絶望的だな」と。生徒達の作文を聞くと、安藤さんの思いは充分生徒達に伝わっているようです。
内田樹さんにしても、安藤さんにしても、全人格をかけて伝えたいと迫られる中学生達が能力の限界を超えて必死で受け止めようとするのは当然です。私ももし内田さんの講演を聴かせてもらえていればきっと感激してサインを求めた生徒達の一人となっていたでしょう。
内田樹先生の講演内容はコチラで:「ガラパゴス化の症状としてのグローバリズムについて」(http://blog.tatsuru.com/
この授業の前に安藤さんは松下村塾を訪ねています。私も何年か前、山口に引っ越したWさんと一緒に訪ねました。その時は貸し自転車を借りて、奇兵隊の創設者高杉晋作のお屋敷も。ここのところ松下村塾と紛らわしい塾出身者が日本の針路を弄(もてあそ)ぶような危ない政界です。目的と覚悟の程が違います。
松陰先生辞世の句→ [ 


何日か前に、ペシャワール会の会報が届きました。
中村哲氏(PMS=平和医療団日本)総院長/ペシャワール会現地代表)からの現地報告です。
河川工事の「冬の陣」・数百年使える堅牢な取水口の大工事が始まっているようです。「ガンベリ砂漠開拓も佳境に入り、今春の砂嵐対策の砂防林造成、湿害処理の排水網整備が休むことなく続けられ、用水路沿いと開拓地に植えられた木は60万本を超えた」そうです。
そして、「大自然の壮大なドラマ」が作った自然史に思いを馳せ、「その隙間の瞬時に私たちは生かされて」ある。
「数十億年かけ、植物の光合成で大気の炭素が地下に収まって酸素が増え、生物が住める絶妙な環境が築かれた。近代の経済活動は、それを瞬時に打ち壊してしまった。」「原子力に至っては、亡国的という以上に反生物的。他生物も巻き込む無理心中としか思えないーーー化石燃料から放射性物質に至るまで、組織された人の業欲は恐ろしいと思いました。」
大きな自然とシンプルに共生しかつその自然に立ち向かっておられる彼の地からの中村氏の報告は、物が有り過ぎてかつ複雑怪奇な社会に取り込まれてしまっている日本の私(たち)には、改めて色々と気づかされることがあります。
報告のタイトル:「朽ち果てる富に振り回されるのは自滅の元」
報告の最後・三つ目の見出しから引用です。

いかにその日の糧を得るか


 ここアフガンで毎日戦争の犠牲を聞かぬ日はありません。だが、大きな目で見ると、自然の摂理から遊離して、傷つけ殺し合いながら、ひたすら自滅の道を驀進する恐怖の戯画が、見えるような気がします。
 それでも、人はその日の営みを続けなければなりません。だが問題はここでは単純、いかにその日の糧を得るかです。生きるため、ひたすら水を引き、木を植えて緑を増やし、営々と田畑と林を作る。言葉にすればそれだけのことですが、これが過(あやま)たぬ人の営みであり、全ての人が協力すべきことであり、強度の安全の基礎だと思います。
 ガンベリ砂漠に続々と集まる遊牧の群、すくすくと成長する木々の緑、水を求めて虫や魚や鳥たちが集まり、人が住み着き、この生命の饗宴に参加する。かつて避けられた死の砂漠は、確実に緑の楽園に変化しています。奇跡でも魔術でもありません。「想定外」は悪いことばかりでもありません。実のところ、これほどの変化は、工事を進めたPMSでさえ予測しませんでした。ここには理屈抜きに訴える平和があり、心和むものを皆が共有できます。これが希望をかき立てる自然からのメッセージなのでしょう。水と緑は人を落ち着かせます。おそらく自然に根ざす本能的な郷愁だからです。人為の過信から自然への回帰! 新時代への萌芽を、ここに見ることができます。
 野の花の育つのを見よ。栄華を極めたソロモンも、その一輪の装いに及かざりき。(汝らへの恵み、既に備えてあり。)ーーここでは実感です。二千年前の知恵と倫理に、近代ははるかに及びません。
 朽ち果てる富に振り回されるのは自滅の元。毎日、自然と格闘しながらも、分け隔てない恩恵を知り、遠い故郷に悲しい思いを馳せるこの頃であります。
 末尾になりましたが、日本が大変な時であるにもかかわらず、この事業を変わりなく支え続けて下さる、その温かい共感と志に心から感謝し、さらに力を尽くしたいと思います。
    ジャララバードにて

「中村 哲・・・九州大学医学部卒。専門=神経内科(現地では内科・外科もこなす)。国内の病院勤務を経て、1984パキスタン・パクトゥンクワ州(休北西辺境州)の州都ペシャワールに赴任。以来26年にわたりハンセン病コントロール計画を柱にした、貧困層の診療に携わる。1986年からはアフガン難民の為の事業を開始、アフガン北東山岳部に三つの診療所を設立。98年には基地病院PMSをペシャワールに建設。また病院・診療所で患者を待つだけでなく、パキスタン北部山岳地帯の診療所を拠点に巡回診療も開始した。2000年以降は、アフガニスタンを襲った大旱魃対策のための水源確保(井戸掘り・カレーズの復旧。作業地1600ヶ所以上)事業を実践。さらに02年からアフガン東部山村での長期的復興計画「緑の大地計画」を継続、03年3月からは灌漑水利計画に着手し、10年3月全長25・5キロが開通した。年間診療数約4万5千人(2010年度)。」(会報より)

最終頁の「事務局便り」から:

2001年の9・11から10年が過ぎました。米国の「反テロ戦争」は継続され、アフガニスタンでの空爆は続いています。アフガニスタンイラクでの死者は、兵士約3万2千人(内米軍6千人)、民間人約17万人、戦争関連経費300兆円(米国民間研究所)を試算されています。アメリカのブッシュ政権の責任者のひとりは、イラク侵攻に「大義名分」がなかったことは認めつつ、それでもイラク憲法と選挙プロセスをもたらしたと抗弁しています。イラクの惨憺たる現状と、アメリカの軍事介入なしで起こった「アラブの春」を目の当たりにすると、虚しさが募ります。