小林よしのり「脱原発論」(「SAPIO」より)

小学館の「SAPIO」12月7日号の広告で小林よしのり氏が「脱原発論」を発表したと知りました。
読んで見たいと思っていたら「生き生き箕面通信1074(11月17日)」さんが取り上げて下さって、これは読まなきゃと思っていましたが、やっと、先日のピアノリサイタルの前に紀伊国屋に寄って手に入れました。読んで見て、素晴らしい!? 正論です。最初から最後まで、この「脱原発論」は異議なし!です。

万年助教の身分で脱原発を貫いている小出裕章氏の「原発のウソ」と、同じ京都大学原子炉実験所の山名元教授が森本敏、中野剛志の両氏と協著で書いた「それでも日本は原発を止められない」を取り上げて、比較しています。
「片やサヨク、こなたホシュ。片や助教、こなた教授。イデオロギーや肩書きでしか人を見ない者は、これだけで山名氏を信用するかもしれないが、そんなものはもう通用しない。小出氏が「戦争責任」や歴史認識で何を言っていようが、それは氏の専門外の領域である。問題は、自らの専門分野において、専門家として、どちらが誠実に発言しているかということだけである。」(その通り!!)
特に私が嬉しかったのは中野剛志氏を批判しているところです。もう一月ほど前になるかもしれませんが、どなたかのブログでこの中野氏が原発推進を唱える動画を見たのですが、聞いた事のない変な論拠で「へェ〜若い学者(x)で変な人が出てきた…」と思っていたら、突然、こんどはTPP問題で、参加賛成派を激しく攻撃している人として名前が出てきました。同一人物なのか信じがたかったのですが、同じ人です。
原発反対派は放射性廃棄物の最終処分法が分らない方がいつまでも反対し続けられるので本当は最終処分が出来ない方が良いと思っている”んだとか、「はぁ〜? なんと”子どもっぽい”変な人」と思ったので、TPPについての反対論も半信半疑?でした。この「脱原発論」での中野批判は痛快です。なるほど「反原発」は「サヨク思想」だと今でも思っている人たちがいて脱原発に反対しているのですね。それに現役官僚さんだということも知りました。
リサイタル前、夫に薦めたら、「なんや漫画か?」というので「漫画よ!」と。
読み終わったら「いいやないか!」でしたので、自信をもって紹介できます。
では、小林よしのり氏の漫画の途中から端折りながらの紹介です:(太字とか字の大きさは出来るだけそのままに)

ゴーマニズム宣言スペシャル 小林よしのり 脱原発 既得権者に説得力なし」より



この本に協力している「保守」の論客2人も、「原発ムラ」の住民ゆえの意見だと、残念ながら判断せざるを得ない。
それにしても最近の自称保守の錯誤はすさまじい。もはや「原発を守ること」が「国家を守ること」になってしまった。


その理屈として挙げるのは、とどのつまりはこういうことだ。原発がなければ、エネルギー安全保障が保てない!」


真面目に「エネルギー安全保障」を考えるのなら、確実に化石燃料を調達できるように外交分野に確固たるものとする一方、同時に尖閣の油田や近海のメタンハイドレートといった日本国内にあるといわれる資源を開発し、さらに自然エネルギーの割合を出来るかげり増やせるよう技術をすすめることだ。
完成するかどうかも分らない夢の叉夢の「核燃料サイクル」にまどろんでいる場合じゃない。


自称保守は、原発は「安全保障」のために必要だと言う。
だが、こんな転倒した話はない。
「安全保障」のためには、逆に「原発を即時に止めろ!」と言わなければならない。
原発は危険すぎるからだ!


原発は危険」…この意識はもう、国民感情として定着している。

ところが不思議なことに、この当り前の認識が、自称保守にはすっぽり欠落している。
山名はもちろんのこと、中野、森本も、「たった一度の事故で原発を全て廃止せよなんて極端すぎる」「この失敗を糧にして、より安全な技術を作り上げるべきだ」というようなことを、いとも簡単に言ってのける。あきれ果てるのは、その絶望的な鈍感さだ。
彼らはその「たった一度の失敗」が、どんな被害を招いているのか全く理解していない。


先祖伝来の土地、生まれ育った故郷を無理矢理追われ、
愛するふるさとが荒廃していくのを防ぐ手立てもない人々の気持ちを、考えた形跡もない。

「それにしても中野剛志氏は、TPPの議論では素晴らしい著書もだしており、わしは大いに評価している知識人なのだが、残念ながら「原発」に関しては杜撰(ずさん)な理屈を振り回している。現経産省官僚の立場を超えて「公」に就くことは難しいんだろうか?」:小林よしのりさんの中野評です。
ここから、中野剛志氏の言い分は赤色で、写して見ます。(一部です)

中野氏は、日本は資源小国なので、たとえ電気料金が世界一でも全くおかしいと思わないと言う。

だが、日本の電気料金が高いのは、資源小国うんぬんの前に、「総括原価方式」という、無駄にコストをかければかけるほど、電力会社に利益が上がる仕組みになっているからではないか
電力会社はマスコミを懐柔するための莫大な広告費まで「発電コスト」として消費者に負担させるという、詐欺まがいの商売をずっと続けてきたのだ。
総括原価方式」はテレビのワイドショーでも何度も取り上げられ、今では家庭の主婦でも知っている。(そう、そう、知ってる、知ってる=蛙)
それを隠して見え見えの詭弁を弄してまで、なぜ東電を守ろうとするのか?
これはもう、中野氏が自分で言っているように、「既得権者」と言われても文句の言いようがないだろう。
そもそも経産省の現役役人なのだから。


さらに中野氏によれば「『反原発』と『反国家』はイコール」なんだそうだ。
原発運動は、「反国家テロ」だそうだ。

原子力は国家が監理しなければならないから、国家が嫌いな人が「反原発」を言い出すのだそうだ。
原発は戦後左翼・団塊左翼の「最後の夢」なのだそうだ。
電力の分散化も「中央集権は危険だから地方分権にしようという議論と同じ」で、左翼思想なのだそうだ。


バカバカしい!
すでに描いたが、発電システムを大規模集中型から地産地消型に分散しようというのは、単純に効率の問題である。



中野氏は反原発運動を完全に「左翼陰謀論」で語ってしまっているが、右も左も関係ない。
「国家の安全保障上、危険すぎるから止めろ!」と言っているだけだ。


国家国民の安寧のために、
あまりに危険だとわかってしまった以上、
「危険だから原発をやめろ!」というのは当り前の話で、
むしろ愛国者ならば 脱原発を唱えるべきだろう。


たったそれだけの話なのに、「左右対立」という構図に無理矢理当てはめてしか
モノが見られない自称保守が余りにも多い。

「まだ『脱原発論』はこれからだ。自称保守がぐうの音も出ないくらい苛めてやらねばならない。」「詭弁を弄する自称保守よ、覚悟せよ!」と書いてありますので小林よしのりさんのこのシリーズは続くようです。
脱原発に右も左もない」ということを、右の立場の人が言い出すということ自体とっても良いことだと思います。
フクシマ以前は「脱原発は左翼思想だ」というレッテルを貼られたり差別されたり無視されたりという事実があったのでしょう、と言うより、自称保守が今でもそう主張しているのだから、今だってそういう見方が現にあるということですね。
フクシマは、そう意味でも私達一人ひとりが強くなって自分が正しいと思ったら「右だ左だと言われることを気にしないで」意思表示できる自分になるチャンスです。個人が変れば社会が変るという切っ掛けに出来ればと思います。
今頃、右だの左だのと拘(こだわ)っているのは時代遅れです。今はもう政治の世界も右か左か、民主か自民かではなくて、「脱原発か、原発維持推進か」であり、「従属か、自立か」で立場や考え方が分るような気がします。時代は、世界は、やはり変化していますね。