「アンダー・コントロール」とスカイビル

昨日は梅田のスカイビルにある「シネ・リーブル」、9時50分上映の映画「アンダー・コントロール」を観に行こうということに。ドイツ人監督による原発ドキュメンタリー映画です。
前日の夜、夫が山の仲間と5,6年前始めた山の歌の会で、メンバーの8割近くの人たちから原発反対の署名を戴いたと喜んでいました。今まで、みんなで原発に関する本やTV番組のDVDを回しあったりしていて、今週、「さよなら原発」の署名をしてもらったのだそうです。今回は会のメンバーのお一人が作られた漢詩を表に、カタログハウスの秋冬号(原発国民投票の号)の封筒に書いてあった詩・「原発を語るとき」を裏にコピーして皆さんにお渡ししたそうです。ご本人の了解が得られたらその漢詩を紹介してみたいと思っています。
それで、というわけでもありませんが、「るりとうわた」さんのブログで知り、その後新聞でも紹介されていたこの映画を観に行くことに。コーヒータイムを早目に切り上げて、箕面の駅まで途中から走ったのですが乗り遅れ、梅田からも小走りでスカイビルまで、上映時間ぎりぎりで飛び込みましたが、3組6人の貸し切り状態でした。
映画については「るりとうわた」さんの11月17日の記事に、監督の意図するところや映画についての詳しい紹介もされていますのでコチラで:http://d.hatena.ne.jp/sasameyuki47/20111117/p1(予告編や監督の3・11フクシマについてのお話も)

感想としては・・・「人間は間違うものだ」ということが徹底しているコントロールルーム。ここが何とも不思議な空間でした。機械がズラリと並んでいて、人間は信用できないけれど、人間が作った機械は間違わないという一種倒錯した世界。機械がアラーム音を鳴らすと30分以内に人間が事故原因を探る、間に合わなければ機械が勝手に停止に向かう次の段階に進んで原子炉の安全を守っているというのです。映画の最終場面は無人の機械室でアラーム音がけたたましく鳴り響いているシーンで終わります。
3・11以前の3年前から撮影が始まり制作された映画です。ドイツではスリーマイル島ともう一つの事故を切っ掛けに、そして、チェリノブイリでさらに、原発の安全性が問題視されてきた様子が映像からわかります。原発に携わる人たち(建設、運転、修理、廃棄)の様子も、また、廃棄物の地下処理場も映し出されます。
巨大な施設が出来上がり、運転直前に住民投票の結果運転中止され、世界一安全な原子炉として訓練や在庫の役割を果たしている様子も紹介されます。運転前に中止になった施設を遊園地として再利用しているのが、左の写真です。回りながらドンドン上に登っていく空中ブランコと子供たちの歓声が響くシーンは元原発施設の一部と子供たちという取り合わせが余りに異質で極端でゾクッとするシーンです。
巨額を投入して完成直前に中止というケースが何度か出て来ますが、中止の決断がよく出来るもの…と感心します。そして、廃棄された原子炉の解体作業。戦車のようなキャタピラーに掘削機のような機械を乗せたのが、分厚いコンクリート壁に穴を開けて黙々と解体作業を続けています。原子炉近辺も大きな鉄とコンクリート、ゴム?など素材別に分別して解体していく作業が延々と続いていきます。
1950〜60年代が原子力発電の最盛期。70年代から80年代にはもう安全性の問題から原子力産業は酷い目にあってきたと語る関係者がいます。そんなに早くから…?と日本人の私からすると驚きです。
日本では決して撮影許可されないだろうと思われる映像ばかりです。原子炉の内部や燃料棒、冷却水や巨大タービンなど原発内部がリアルです。原子力の平和利用という名の原子力発電所の実態に少しでも近づける映画です。あらためて手をつけてはいけないものに手を出した。止めることの大変さと止める勇気について考えさせられます。

さて、映画館は空中庭園(写真上の右端)のあるスカイビルの3階にあります。
この時期は毎年クリスマスツリーとヨーロッパ風の屋台が出現します。
ツリーは出来上がっていましたが、周りの出店やクリスマスに因んだ飾りつけは準備中のところも。
11時半には終わりましたので、ビルの地下にある昭和初期のレトロな町並みを再現した滝見小路を一回りして「きじ」というお好み焼き屋さんに入りました。
このビルも出来てから何年になるかしら…93年3月というと、18年です。
ウェスティンホテルとの間の木々も林か森かというぐらいになってきました。

そうそう、書き忘れましたが、遊園地で再利用されたブランコを入れた巨大な冷却塔の周りには雪山の絵がペインティングされていました。国や住民の判断で原発の運転を止めるという勇気ある決断によって、使われなかった元原発施設を子供たちが遊ぶ遊園地にしたからこそ、あの命に敵対する放射性物質を閉じ込める役割を失った壁面に、絵を施すことが出来たのです。
あの絵を見て、私は、日本の福島第一原発の建屋にも絵が描かれていたのを思い出します。
あの爆発した建屋の青い空と白い雲(花びら?)の絵は、実際は核物質を扱う危険な原発施設であることを覆い隠して、地域に親和性をアピールしています。あの明るいブルーと白のペインティングは、見せ掛けと誤魔化しの安全神話そのものです。東電や政府は、自ら危険施設であることも自覚できなくなって、重大事故の想定そのものを拒否し、実際、爆発の際には、子供たちを守るヨード剤の配布もしなかったのです。
そういうことが3・11でやっと分ってきました。チェルノブイリと地続きでなかったからか、ヨーロッパから25年遅れの安全神話崩壊です。でも、フクシマが現在進行中でも、この国は、まだ、原発維持の方針を変えられないでいます。